Ⅲ 上

 今沢と佐々木は署長室を後にすると、コートを羽織り、拳銃を腰に吊るして、指定されたホテルへと向かった。署からホテルまではそう離れているわけではなかったから、移動自体に要した時間は二十分程度だった。しかし、大変だったのはこの後だ。


 急遽、集合場所のホテルを変更されたのだ。理由を聞けば、なんでも、今いる場所からだと移動に時間が掛かる。なので、そっちのホテルには行けないとの事だった。あんたらが指定したホテルなのだから、あんたらがこっちに来い。

 と、言いたいのだが相手は議員。そんな事言えるはずもなく「了解です」と二言目には了承していた。


 そのホテルから車で約四十分。途中で署の前を通り過ぎ、次に車を止めたのはさっきよりも大きなビルの前だった。その大きさに圧倒されながらも中へ入り、受付で警察だと言うと迷う素振りなく議員のいる階を教えてくれた。

 議員が居る部屋のドアをノックする。

「失礼します」


 扉が開き、中へ案内させられる。奥のソファーに腰掛けていたスーツ姿の男は立ち上がる。

「工藤幸男です。今日はよろしくお願いします」

 工藤議員の第一印象はどこなく狐を彷彿とさせるものだった。別に、彼の目がつり目だとかそういうわけでも無いのだが。

「今回、警護に当たることになりました今沢百合子警部補、佐々木巡査長です」

 彼女の紹介に合わせて軽く会釈すると、工藤議員はただ「よろしく」とだけ言って別の部屋へ行ってしまった。後から秘書だと思われる男性が、議員のそっけない態度について説明と軽い謝罪をしていった。


 どうやら本職の警護課ではなく、一課の刑事という畑違いの部署が警護することに不満がある様だ。そんな事を一介の平刑事に言わないでほしい。

 むしろ、そういう不平不満はこんな仕事を回してきた上層部に言って欲しいものだ、という感想を持つが結局口にすることはない。


「それでは警護の詳細を詰めますので」

 小百合さんは工藤議員のそんな態度も気にすることなく、仕事の話へと入っていった。この切り替えの早さはさすがの一言に尽きる。

「議員の今日の予定は?」

「これから、ミナトショッピグ街の広場で演説がありますね。それ以後は特に出かけることはないので、これが主な警護地点になるでしょう」

「そう。……とりあえず佐々木くんは先行して現場の調査、私は議員の警護に付く。合流は向こうで」

「了解です」

 テキパキと段取りを組み立てる小百合さん。

 佐々木は役目を終えた手帳を閉じると踵を返した。

「そういえば今回の件、どこかきな臭いから注意しときなさい」

 背後から呼びかけられた声に振り返らずに答える。小百合さんのこの手の忠告はよく当たるのだ、用心しておいて損はないだろう。

「わかりました」





        *


 道を走る車列の間を一台のバイクが器用な操作で抜けている。そのバイクに跨っているのは幅の広いボストンバックを背負った人物だった。ライダースーツの上にダウンジャケットを羽織った女性だった。


 バイクは数分大通りを走ると、『ミナトショッピング街 500メートル先駐車場』という看板が掲げられている手前で曲がり、逆に人通りの無い路地へと進んだ。

 まるで人目を避けるように。

 路地に入ってすぐの所にある廃ビルの前にバイクを停めた人影は、ビルの中に入ると一直線に屋上へ向かう。コンクリートがむき出しになった階段を上る。


 視界も、嗅覚も、触覚も、全てが冷たい印象を与える。灰色を一段一段確実に踏みしめる。

 鉄の扉を開けた女性はキョロキョロと視線を走らせると、南側の縁へ向かう。

 背負っていたバックを下ろし、中からヘッドセットと幾つかの鉄のパーツを取り出す。

 彼女は手早く鉄屑を組み立て始めた。次々と部品をつなぎ合わせる。現れたのは1丁のスナイパーライフルだった。


 ライフルの前に腹ばいになり、サイトを覗き込む。

 準備を整え、ヘッドセットのスイッチを入れる。

 レティクルの中心をある広場の一点に固定する。

 深く息を吐き出し、女性は自分の中から音も匂いも全てを消し去った。ただ、この鉤爪を標的へ確実に届かすことのみを考える。


 意識からレティクル越しの風景以外が全て溶けだした。





        *


 佐々木は車を走らせながら、頭の中では別のことを考えていた。

 この警護の話が降りてきた時、どうしてうちに来たのだろうか? 警視監ならば、それこそ警護課へ仕事を回す方が楽で確実な筈だ。


 現に、僕はこうやって現場の下見には向かっているものの、何を、どういう風に見ればいいのか分かっていない。何より警視監になるようなエリートなんだ、刑事に警護が務まらない程度のことを分からない人ではないだろう。

 佐々木は垂れ流していたラジオを切ろうとボタンに手を伸ばした。しかし、あと少しで押すといった所で、きになるニュースが飛び込んできた。

『一週間前に発生した仮想通貨Gコイン流失事件において、Gコインを管理していたMARUDE株式会社は被害者に対して約五〇〇億円の賠償をすると発表しました。有識者の間では今後どうなっていくのか注目が集まっています。

 次のニュースです。先日、三ッ葉銀行櫻山市中央支店で強盗事件がありました。犯人は三人の女性グループとみられています。現在、警察が足取りを追っています』


 この強盗事件はウチの署でも話題に上っていた。なんでも、彼女らは警備員や人質を簡単に解放したりと、普通の強盗とは違った行動をしているそうだ。

『強盗グループは『のら猫』と名乗っており、突入した警察特殊部隊に甚大な被害を及ぼしたとして、指名手配されています』

 しかし、彼女たちはとても強く、冷酷だ。突入したSATを全滅させたのだ。全員、胸に二発、頭に一発以上撃たれており、見識をした捜査官が言うにはアレをやったのは心ない殺人マシーンだそうだ。


 そうこうしている内に、目的地であるミナトショッピング街に到着した。

 今から数年前に開発されたミナトショッピング街は、総面積十五万平方メートルを超える敷地を有し、中に入っている店は実に百に届く。休日は老若男女を問わず人で溢れかえる。

 しかし今日は平日。さらに、昼間ともなれば、小さい子ども連れの主婦か立ち寄ったサラリーマンが客の大半を占めている。


 広場へ着いた佐々木は、片手をコートのポケットに突っ込んだままフラフラと辺りを見回す。寒空の下に鎮座する舞台へ登る。

 開けている上に様々な所から丸見えだ。それに百メートル弱先にはビルが立ち並ぶ場所もある。爆弾等を仕掛ける場所は多くないが、逆に狙撃には絶好のロケーションだろう。警官は佐々木と今沢の二人だけだが、実際は秘書やマネージャーなどがいる為、近寄ってナイフでグサリということはないだろう。


 一応、広場周辺のお店にも入ってみたが、窓が大きかったりガラス張りの店なんかは店内からでもなんとか狙えそうだ。

 また、逃走経路自体も非常に多く、広場から五十メートルも行けば大通りに出る。護りにくく、捕まえ難い。何とも立地の悪い所を選んだものである。

「何事もなく済んでくれれば良いんだけどなぁ」

 ボソッと呟いた言葉を掻き消すように乾いた風が吹き抜けた。


 不安なことや分からないことは多いが、ここで悩んでいても仕方がない。切り替えて、目の前の仕事に集中しなければ。

 頬を軽く叩き、気合いを入れ直した佐々木であった。

 ショッピング街を歩き回っていると、コートの胸ポケットに入れてある無線から声が聞こえた。


『佐々木くん。後、五分くらいでそっちに議員が着くから準備しといて』

「了解。詳しいことは着いてから」

『それでよろしく』


 短いやり取りでブチッと無線が切れた。


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