カフェ『cradle』の入り口に一人の男の姿があった。短い黒髪に服の上からでも体格の良いことがわかる。どちらかといえば、こんな小洒落たカフェよりもスポーツ用品展とかジムとかにいそうな男であった。


 男は慣れた様子で店の扉を開いた。

 店内ではゆったりとしたボサノバが流れていて、客の大半は女性客であった。初老の男性が立っているカウンター席の隅に男は腰掛けた。暖かい木目に男は肘をつく。


「これはこれは。佐々木ささき様ではないですか。二ヶ月ぶりくらいですか」

「ようやく仕事がひと段落したので」

「そうですか。ごゆっくりしていってください」

「ええ、いつものを」

「かしこまりました」

 目の前で豆を挽いているマスターと呼ばれた男性は佐々木と他愛もない話を楽しむと、店の奥へ行った。それを確認した男はポケットからスマートフォンと財布をカウンターの壁際へ置いた。


 それから暫くして、一杯のコーヒーとキツネ色に焼かれ溶けかけのバターが乗ったトーストが置かれた。

 バタートーストの芳醇な香りと酸味の効いたブレンドコーヒー。

 至福のひと時に噛り付く。


−−隣、いいですか?


 久しぶりに食べるマスターの朝食に若干の感動を覚えていると背後から声をかけられた。

「どうぞ」と言うと声の主は佐々木の隣の席に腰掛けた。

 磁器の様に白く美しい肌。

 ダークブロンドの髪は窓から入り込む光を受けてキラキラと輝いているよう。

 首にヘッドホンをぶら下げ、カジュアルな服装は彼女をより可愛らしくしていた。

 歳は多分、佐々木と同じか少し上だろう。


 彼女は視線に気が付くとにこりと笑い、僕の手元を指して「それは何ですか?」と尋ねた。初対面の女性を見つめていたことに、佐々木は若干の恥ずかしさを覚えた。

「えっと、ブレンドコーヒーです。酸味が強めでオススメですよ」

「じゃあ、それを一つ」

 彼女はマスターにそう言うと、カバンから取り出した文庫本を開いた。


 その所作一つ一つに彼は目を離せなかった。

 ありていに言って彼女に見惚れていたのだ。

「どうぞ、ブレンドコーヒーです」

 マスターはいつもと同じ手順で、いつもと同じ風景でコーヒーを淹れた。

「いただきます」


 彼女は文庫本を脇に置き、そっとカップを手に取る。

 香りを嗅ぐと少し怪訝な顔をした。

 しかし、一口含むと表情は大きく変わった。どこか納得した、それでいて悔しさがにじむ。そんな表情だった。


 ふぅと小さく彼女が息を吐き出す。

「良いコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い」

 ふわりと微笑んだ彼女。


「それ、何ですか?」

「タレーランの言葉よ……マスター、ご馳走様でした」

 思わず聞き返した佐々木に短く答えると、彼女は席を立ち財布から五〇〇円玉を一枚、カップの横に置いてこの店から出て行った。


 佐々木は立ち去る彼女の姿が、声音が、有り様が、焼き付いてしまったかのように頭から離れなかった。





        *


 連続的に響き渡る銃声が室内に木霊する。

 空になった薬莢が弾け、硝煙の匂いが少女たちの脳を麻痺させる。

 それはまるで麻薬だ。

「金を詰めたら逃げるよ!」

 銃弾をばら撒いていた二人の女性は素早く手近のカバンを掴むとバイクに乗り込んだ。

 二人が乗るなり声をかけた小柄な少女はアクセルを踏み込むと、三人を乗せたバイクは夕闇に染まる街へ飛び出して行った。


「ヒャッハー、やってやったぜ! ……それにしてもコイツは大収穫だ!」


 バイクの風を肌に感じながら、金髪の少女が楽しげに嗤う。









 舞台は用意された。

 役者は銃を手に取った。

 −−さあ、撃鉄を起こす時間だ。

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