第3話 口利けぬ侍女
口利けぬ侍女が王子の元にやってきたのは、そんな日々の中でした。海岸に倒れていた少女を、王子が助けたのです。
何処の誰ともわからぬ少女を侍女にするのは、少しおかしなことではあります。ですが、王子がたいそう気に入っておりますし、今後政略結婚するうえで、口も利けぬ女であればそばにいても差し使えなかろう、という王の判断からでした。
王子は海岸を侍女と一緒に散歩するようになり、心を癒すようになりました。
口利けぬ侍女は、美しい銀色の髪をして生気のない青白い顔をしていました。やや、足が悪いのか、侍女は砂浜をゆっくりと亡霊のように歩き、その歩みに合わせて王子もゆっくり歩きました。そして、手を差し出し、ひいてあげると……その手は氷のように冷たいのでした。
「はじめておまえを見たときに、私を助けてくれたあの人かと思ったのだよ」
王子は一人きりになると、誰にもいえない苦しい胸を内を、口利けぬ侍女に語るのでした。口が利けないのですから、何を語っても人の耳に広がることもありません。
「私を助けたあの人が、やつれ果てた青い顔で夢枕に現れた。その朝、おまえを見つけたのだ。とても心が痛んだ……」
そう言うと、王子は悲しそうな顔をして、口利けぬ侍女の頬に手を差し出しました。
プラチナの少女の明るい顔が、今、このようにやつれて青白くなっているのでは? と、不安でいっぱいでした。
「私は、今、必死であの人を探している。私を助けてくれたあの人を……。あの人に再び会えたならば、もう二度と離すまい。でも、それすらも許されぬ身なのだ」
王子の悲壮な顔を見て、何かを訴えるように、口利けぬ侍女は海の色にもにた青い目を向けるのでした。
王子は少しだけ元気を取り戻しました。
口利けぬ侍女は、プラチナの少女によく似ておりました。そこで王子は、銀に映える美しい衣装や宝石を贈るようになりました。
口利けぬ侍女が、青ざめた頬を緩ませて微笑むと、王子はとても幸せな気持ちになりました。
兵隊に連れさらわれた少女が無事であるはずもなく、命があるのかないのかさえもわかりません。こっそりと隣国の罪人をすべて調べさせ、それらしき人を探したのですが、見つからないのです。
でも、口利けぬ侍女が少しずつ元気になるにつれ、あぁ、きっとあの人もこのように元気でいるにちがいない……と思えるようになったのです。
時に王子は口利けぬ侍女を抱きしめて言いました。
「おまえは、私の心の支えだ。ずっと一緒にいて欲しい」
そのようなある日、隣国の大使を招いた晩餐会が開かれました。
その席で、突然王は、口利けぬ侍女に、お客様の前で踊りを披露するように申し付けました。そして、恥をかかせるようなことがあれば、国を追放するとまで言ったのです。
最初は口利けぬならば……と許していた王でしたが、王子があまりにも侍女をかわいがるので、大変不安になったのです。
結婚の前に、王子に側室がいると勘違いされては、王女は何と思うでしょう? しかも、あのように愛でていては。
口利けぬ侍女が、時々痛そうに足を引きずるようすを、王も見知っていました。ですから、彼女が踊りを踊れるはずなどないと決めつけていたのです。
しかし、それは間違いでした。
多くの人が集う中庭の噴水の前で、口利けぬ侍女は踊りました。
王子が贈った美しい水色のドレスと、散りばめられた真珠の髪飾り。それだけで、お客様たちは声を上げたほどです。しかし、踊り始めると今度は誰もが言葉を失いました。
まるで、ゆったりと水が流れるように……。それは華麗な舞いでした。うっかり王様まで、拍手してしまったくらいです。
その姿に見とれていた王子は、やがて群舞に曲が変わった時、まるで姫君に挨拶するようにお辞儀をし、侍女の手をとって踊りの輪に溶け込んでいったのです。
それは何と素敵な時間であったことでしょう。
色とりどりの衣装に身を包んだ人々の中にあって、侍女と王子は一際目を引く存在でした。
——海のセラよ、空のエアよ、大地のガイアよ
——讃えよ、千年の王国を。
歌うたいたちの声が響き、木々のざわめきすら調べに変わる夜。くるくると身を入れ替えながら、王子と侍女は踊りました。
しかし、そのうちに侍女の笑顔に苦痛の色が見え隠れしました。
「ああ、悪かった。あまりにも楽しくて……。おまえは足が悪かったのに」
そう言いながら、王子は侍女の手を引き、ゆっくりと踊りの輪の中から外れました。
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