第29話物語は終わり、物語は始まる

「やあ、気分はどうかな?」

気が付くと、いつもの場所で、いつも通りの女神ちゃんの声がした。


帰ってきた。

でも、帰ってすぐ、こんな風に女神ちゃんが話しかけてくるのも珍しい。


いや、女神ちゃんに違和感があるんじゃないな……。多分、問題は僕にあるんだ。


いつも帰った時には、自分を振り返るようにしていた。

だから、女神ちゃんのことを認識するのが後回しになっていただけだろう。


そして、何となくしっくりこない。

僕の中にある、大切なものがごっそりなくなったような感じだった。


いつものように自分に問いかけてみても、やっぱり何の返事もなかった。


「そうか……」

ゆっくりと、思い出すように手足を動かしてみる。


今までとは少し違う感じはするけど、体は変わっていない。足らないと感じている僕が、そう感じているだけだと思う。


帰っちゃったのか……。


そう思うと、なんだか寂しい気分になる。でも、その表現はなんだかおかしいかもしれない。

物語の終わりに感じる、少しばかりの寂しさが押し寄せてくるようだった。


もう一度自分に問いかける。


やはり何も返っては来ない。葛西の中にいったん入った段階で、僕はこの事を確信していたけど、今なら自信を持っていう事が出来る。


成功した。ちゃんと帰った。寂しいけど、今の僕は満足感でいっぱいだった。



「どちらかと言うとね。はっきり言って最悪だよ。子供の頃のことを喜んでみられるような年齢にはまだなってないよ。はずかしい」

ただ、葛西の中に入ったことで、葛西の記憶に変化が起きてないかが心配だ。


あの時の葛西の感情は、昔の僕はともかく、今の僕は分かってしまった。

そして、余計なお世話なのかもしれないけど、僕の一部を葛西の中に残してきた。


勝手に入って、何も言わないのはさすがに失礼だと思う。


絶対あとで、余計なことだと言われるだろうけど、それを僕は聞く必要もない。

ただ、僕は、その判断を間違ったとは思っていない。


それは必要な事なんだと思う。葛西の気持ちを知って、そう思えるようになった。


「それは、瑞希ちゃんの笑顔に照れていたことを言ってるのかな?」

「うっ……」

このやり取りは記録されている。

だとすると、今の心理状況をそういうことにしておいた方がいい。


木を隠すなら、森。


色々な感情が今は出てしまうから、いっそのこと恋愛感情による情緒の不安定さを印象付ける方がいいだろう。


後で何か言われても、その時は、その時だ。もっとも、聞くかどうかは疑問だけど……。


「ふっふっふ。ネタは上がっているんだぞ、少年! 瑞希ちゃんの泣き顔を見るのが嫌だったから、いろいろ我慢してたんだよね? その結果、得られた報酬があの笑顔だもんね! まあ、仕方がないよ、少年! いやぁ、若いっていいねぇ!」

なんだか、おっさんっぽい女神ちゃんがいた。


でも、今はそんなやり取りをしているのももどかしい。でも、女神ちゃんはさらにまくし立ててきた。


「じゃあ、そんな君が、何故最後になって暴れたのかな? あそこまで我慢したんだったら、最後まで我慢したらよかったのに。君の場合、それもできたんじゃないのかな? それとも、人が変わったとでも言いたいのかな?」

偶然なのか、そうじゃないのかわからない。でもこれ以上、この話題を続けるわけにはいかないだろう。


この女神ちゃんは、何か違和感を持っているのかもしれない。僕との会話の中で、何かを引き出そうとしているのかもしれない。


「はい。認めます。僕は、葛西の笑顔に照れました。だから、もう出してよ、女神ちゃん」

ただ、今の僕はこの世界で培った『従順な僕』そのものだ。だから、僕自身はそれを肯定すべきなんだと思う。


「ん。素直でよろしい。でもさ、まだ駄目なんだよね、君はやっぱり反体制思想を持つ可能性がある。いや、すでにもっているのかもしれないね。君の場合、生まれがちょっと特殊だしね。だから、観察期間が長かったとはいえるかな。でも、今回の検証で十分だったよ。君は物語を変えようとした。これまでの君は頑なにそれをしなかったのに、そうしようとしてきたね。いったいどういう心境の変化なのかな? わからないなぁ。でも、まあいいか。だから、君には選択肢がないんだよね。ここで君の物語は終わるんだ。残念だったね! それと、残念ついでにもう一つ。君の項目に、変態という文字が追加されたと言っておくよ」

急に女神ちゃんの声から感情が消え、機械の駆動音が徐々に小さくなっていった。


ああ、もう終わりか……。色んな意味で……。


ただ、これで僕の役目も終わる。長かったような、短かったような……。でも、僕は満足している。


僕が僕らしくあるために、僕は精一杯頑張った。


でも、やっぱり最後に葛西には、僕がお礼を言っておきたかったな……。


「ねえ、女神ちゃん。葛西は無事かな? あの緊急離脱って、葛西の体に異常が起きたからだよね? どうしたの?」

あの時、確かに葛西の体に入った時、かなり熱っぽかったのを感じた。

体調が悪いのに、無理をしてまで、この二人同時介入設定ペアダイブに参加してくれたのだろう。


「うん、まあ、大丈夫だ。安心しろ、ちゃんと伝えておく。ありがとな。あと、ごくろうさん」

さっきまでの女神ちゃんではなく、その声は外部端末から聞こえてきた声だった。よく知った声が僕の気持ちに応えてくれた。


そうか、ならいいや。


この僕の物語は、ここで終わる。

でも、葛西の物語は続いていく。和彦の物語にしてもそうだ。

でも、いつかは終わりがやってくる。

その時に、誰かに何かを託していく。それが大切なことだと思う。


人の歴史は、物語のつらなりでできている。僕の物語は終わっても、僕は誰かの中で物語の一部として語られていく。

何より、僕が生きている限り、僕の物語はつながっていく。



扉があき、外の世界の光が、装置の中まで差し込んできた。

周囲にはたくさんの大人たちが待っていた。


皆、この日が来るのを待ち望んでいたのだろう。明確な罪状を示さなければ、逮捕することもできない。


僕はあまりにも有名すぎた。


「さあ、出ろ! 歩け!」

短く命令してくるあたり、反論は受け付けないという事だろう。

これから僕を待ち受けるのは、そういう世界なんだ……。

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