第26話マッチ売りの少女
どうして今更あんなことを思い出したのだろう。思い出すことに、何か理由がいるわけじゃないけど、多分今はその理由がわかる。
追手である野犬狩りの男たちの顔を見ているうちに、あの日のことを思い出したのかもしれなかった。
皆、何かに憑りつかれたような目をしている。
しつこいくらいに追ってくる男たちを振り切りながら、特別意識しなくても、色んなことが頭をよぎってくる。
でも、本当にこれでよかったのだろうか?
物語の終盤になると、いつもやってくるこの感覚は、いったい何故なのかはわからない。
でも、今回だけは後悔するつもりはなかった。
こうして考えている間にも、男たちは無謀な挑戦を繰り返してくれる。たまに惜しいくらいのギリギリの距離でかわすと、効果的だった。
追いかける意欲を、コントロールすることが必要だ。
引き離し過ぎると、息を整えるために雪を食べる。それで勝手にばてていると勘違いしてくれるだろう。
そして、しつこい追跡者がまた増えていく。
もっとも、今だけはしっかりと追いかけてきてくれよ。でないと、こっちが困ってしまう。
街中だから、猟銃は使えないのは分かっている。でも、その手に銃を持っているものは確かにいた。
いつかは使ってくるだろう。でも、今はその時じゃない。
網での生け捕りが、主な作戦だから、こうして今も逃げる事が出来ていた。
人間にとって、雪は滑りやすく、転びやすい。
急な方向転換と、自分の腰よりも低い相手に対する姿勢は、重心のバランスを一気に崩し、転倒するものが多発していた。それでも、しつこく追いかけてくる。
状況が出来上がりつつあった。そして目的地はすぐそこにある。
男たちは獲物が手負いであることがわかると、どんな姿になっても追うことをやめない。
その
泥だらけ、雪まみれ、汗まみれの男たちは、それでもしつこいくらいに僕を追いかけていた。
もうすぐだ。
そう思った時、一発の銃声が暗闇を切り裂くように響き渡っていた。
***
一瞬、本気で撃たれたのかと錯覚してしまった。『すばらしい五感』のせいで、やたら間隔が敏感になっている。
まだ、公園の中に入っていない。
でも、人通りもないところだから、本気で撃ってきたのだと思った。
しかし、それは僕の後ろから聞こえたわけじゃなかった。『すばらしい五感』がそう告げていた。
そう、僕の目の前には教会がある。そのさらに奥に公園がある。そして、公園の中央には噴水がある。
それは、公園の中央からの銃声だった。そこにいるのは、間違いなくマッチ売りの少女だ。
まさかそんなことがあり得るか?
マッチ売りの少女が撃ち殺された話なんて聞いたことがない。
そもそも、撃たれる要素も、撃たなければならない危険性もないマッチ売りの少女に、猟銃をぶっ放すなんてことするわけがない。
でも、あの場所で、こんな時間にいるのは……。
はやる気持ちを抑え込み、最後の仕上げに取り掛かる。
これをしなければ、誰も救われない。
教会の中に飛び込んで、さんざん、引っ掻き回した後、追いかけてくる神父たちをひきつれて、公園の中に飛び込んだ。
***
目の前に光景は、ちょっと信じられないものだった。
マッチ売りの少女が、見覚えのある体にしがみつき、必死に何かを訴えていた。
「だから、あんたは勝手なのよ! あの時もそう! 勝手に自分だけの解釈を押し付けて! あんたがいないと、意味ないじゃない!」
泣きながらだから、その意味までは正確には分からない。でも、あの時のことっていうのは、あの時の事だろう。
そして、目の前には猟銃を持った男がいる。
銃身からわずかに立ち上る湯気のようなものがあるから、あの男がアイツを撃ったのだろう。
しかし、マッチ売りの少女は無事だ。
なにがどうなったのかは知らないけど、とにかく少女は無事だ。
アイツはもう助からないだろう。仮に自爆技を使っても、喜びはしないだろう。
白い雪が、アイツの血で染め上げられていた。
「お嬢ちゃん、そいつは怖い狼犬なんだ。危ないからこっちおいで」
よほど僕たちにひどい目にあわされたのだろうか?
猟銃でうったあとまで、アイツのことを警戒している。芝居じゃないことは見たらわかるだろう?
それでも、誰一人マッチ売りの少女に近づく者はいなかった。
どうするか……。
なんでアイツがこの場にいるのかはわからない。僕より先に駈け出していたから、僕より先にここに来たのは理解できる。
でも、なぜ、ここにいる?
確かに、この場所に人を集める計画だ。そして、この場所で捕まることで、冷えた体を温めるため、温かく年を越すために男たちはマッチを求めるはずだった。
そのために、走らせた。汗は体の熱を奪う。
そのために、転ばせた。雪でぬれた服は熱を一層奪っていく。
そして生き残るために、教会の人間まで引き連れてきた。
まだ、教会の人たちや、後ろから追いかけてきた男たちが集まっていない。今、僕が飛び出すわけにはいかない。
その時、信じられない言葉が僕の耳に飛び込んできた。
「ごめん、もうだめだわ。私も頑張ったんだけどね……。これじゃあ、あの時と同じだね、パトラッ……」
力尽きるように、アイツの体に顔をうずめるマッチ売りの少女。
目を凝らしてよく見ると、マッチ売りの少女の周りには、一束分くらいのマッチの燃えカスがあった。
まさか? もう幻影をみてたのか?
でも、この寒い中で噴水のそばで待つのはそういう事だろう。
物語と違うのは、僕がここにいろと言ったからだ……。
何てことだ……。
まさかそんなことがあるなんて……。
有りないと思って、真っ先に消した選択肢。固定化した観念にとらわれていたのは僕だった……。
マッチ売りの少女が、葛西だったんだ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます