第25話過去の記憶

父親に連れられて、初めて見た異世界は、驚くほど冷たく、驚くほど寂しかった。

転移ゲートと呼ばれる先で、僕たちを迎えてくれた人たちの眼は忘れもしない。


その時は冷たい目をした人達だと思った。


でも、今から考えると、あれは観察していただけなのだろう。

奇異の視線というものを、あれからたくさん浴びたからよくわかる。


僕がこの世界に来る前に、父親と母親は二人でこの世界に来ていることは知っていた。

二つの世界をつなぐ役割を持っているということも、話として聞いていた。


父親の結婚を機に、二つの世界で文化の交流も始まり、人の交流も始まっていた。


トラウラントの人の中にも、父親の世界で生きることを選択した人もいる。

おやっさんもその中の一人だ。


もともと母親付の執事だったおやっさんは、こっちで暮らす僕たちと共に、この世界にやってきた人々の一人だ。


そして、あの事件の後、こっちの世界に残ってくれた最後の一人でもある。


そう、あの事件がすべてを狂わせた。

でも、それも偶然じゃなく、僕は必然だと思っている。



***



僕がこの世界で暮らし始めて、一年がたとうとした時のことだった。


この世界にも少しは慣れはじめたけど、ようやく仲良くなることのできたのは和彦と葛西の二人だけだった。

二人とはよくお互いの家を行き来して遊んでいた。


あれは、その二人と一緒に、僕の家で遊んでいた時のことだった。

一人の研究者が、慌てたように家の前で叫んでいた。


『ラドア王国で転移者たちが大暴れして、市民をはじめ、多くの人間を殺している』


その知らせを聞いた僕たち家族は、急いで転移門のある場所に向かっていた。ラドア王国は僕の生まれた国の名前。そして、母親が暮らしていた王国の名前だ。


父親が飛び出し、母親がその後を追っていく。


よほど急いでいたからだろう。

僕は葛西の手を引いて、連れてきてしまっていた。

僕たち四人を乗せた車は、緊急車両として転移門のある施設へ飛ばしていった。



転移門についた後、ずいぶん長い間待ったような気がする。

一人で門をくぐった父親が、大勢の人間を引き連れてきた中に、アイツはいた。

キョロキョロと誰かを探しているようなそぶりの後、アイツは僕見て、急にニヤリと笑っていた。


アイツの衣装は向こうの世界の衣装だから、拘束もされていなかった。

多分、一緒に護送してきた人なのだろう。

誰しもそう考えていたのだと思う。


それに、誰もが油断していたのだと思う。


いつもは用心深い父親も、暴れた人間を拘束していたのだから、問題ないと思っていたのだろう。


ゆっくりと僕と葛西に近づいてくる人がいたって、誰も不思議には思わなかったのだから……。


その時、僕の目の前で過ぎる時間は、とてもゆっくりと進んでいた。

こっちに来るアイツの眼が普通じゃないのは見て分かった。正気じゃない。そう思ってみたものの、当時の僕は何もできなかった。


声が出ない。


何かに拘束されたように、動くこともできなかった。

その男の手に、光るものが見えるまでは……。


特殊な形態をした、いわゆる儀礼用の短剣とよばれるものをアイツが手にした瞬間、反射的に、僕は葛西を突き飛ばした。


小さな悲鳴が世界を動かす。


それは、幸せな世界の終わりを意味し、悲しみの世界の始まりを告げるものだった。


急速に戻る時間の中、僕の目の前には母親の顔があった。

母親の顔でアイツが見えなくなった時、僕は母親に押し倒されていた。


周囲の喧騒さの中でも、母親の鼓動は手に取るようだった。

急速に母親の鼓動が早まって、やがてゆっくりとなっていった。


顔に浴びた母親の血は温かかったけど、それは母親の命そのものだった。


僕を抱きしめる母親の体からは、急速に何かが抜けていくようだった。


母親はその時に何かを言ったけど、僕はそれを覚えてはいない。ただ、その顔は笑っていたことだけは覚えている。


ただ、茫然とした僕から母親を奪いとり、そしてそのまま強く抱きしめる父親の姿は、これまで見たことのないものだった。


その慟哭は、今でも忘れられない。


あの後、父親は何かに取りつかれたように母親の仇を探るようになり、ほとんど家に帰ってこなくなった。


父親の妹夫婦が、時々やってくるものの、僕は慣れないこの世界の家で、一人で過ごすことが多かった。

ただ、母親の姿と父親の姿はいつもこの家にはあった。


母親が残した家族の人形。

本物そっくりの精巧な人形。そこに精神が宿れば、自分自身の体としても使えるほど精巧な物を母親は苦も無く作っていた。


それが置いてある分、寂しさが余計に感じられた。


人形は、僕を挟んで父親も母親もそろっている。でも、僕は一人だった。


後で聞いた話では、あの事件はかなり世間を騒がせたようだった。

転移後の精神状態に関して議論され、異世界転移には精神訓練が必要だという結論に達したようだった。


その結果、当時すでに実用段階にあった『仮想世界体験プログラム』が運用開始となったようだった。


『仮想験』は僕の母親に事件があったから、運用が早まったと言う人もいる。


さらに、異世界転移も規制され、『仮想世界体験プログラム』での上位ランク者しか転移を許されないものとなっていた。


だからおやっさんは、僕を上位ランクにあげようとしている。


この世界で監視され、そして二つの世界の間に生まれた唯一の子供であるこの僕を、トラウラントに返そうとしているんだと思う。


それはおやっさんが、この世界の人たちに対して、ある種の危険を感じているからだろう。

トラウラントの住人であったおやっさんは、誰よりもそれを感じているのかもしれない。


それも仕方がないことだ。


父親が母親を殺した犯人と、それを企てたあの王国の第二王子を殺した結果、トラウラントの国々と、この世界の間では緊張が高まっていた。


母親の母国、ラドア王国はこの解決策として父親の身柄をこの世界に要求し、この世界はそれを受け入れた。


そして、父親は民衆の前で殺されたと聞いている。

その時のことは、誰に聞いても話してはくれなかった。


ただ、中学に入る時に、謎の小包が僕の所に届けられた。差出人もなく、何かもわからない小包。それを開けた瞬間、僕の止まった時が再び動き始めた。


その中には、父親の最後が映っていた。

誰かが、トラウラントの様子を記録し、それを今まで隠していた。たぶんそういう事だろう。


それを見た時、僕は自分の中である種の理解が下りてきたことを実感した。


『帰ってこなければよかった』


どこに、誰がとは言っていない。ただ、最後にそうつぶやいて、父親の首は地面に落ちていた。


そう、帰らなければよかった。


母親の物語を改編した父親は、最後まであの世界で過ごすべきだったんだ。

和彦は、両方の世界を背負うためにと言ってたけど、僕はそうは思わない。


父親は、逃げたんだと思う。


あの世界にいる限り、自分は異世界人だという現実から逃げたんだ。


あの時は、また違う感情で考えてたけど、今なら父親の気持ちはよくわかる。


そう、トラウラントで生まれた僕は、この世界にとっての異世界人だから……。


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