第23話走る、走る、俺達

ぐるりと迂回して、檻の方に近づいてみても、小男は全く反応しなかった。

臆病なほど気配に敏感な男だっただけに、その変化は拍子抜けするほどだった。


檻の方からする気配の変化には、すっかり反応しなくなっている。あのバカ兄貴の行動が、小男の警戒心を完全に麻痺させたようだった。



さて、本当にいないのか? 隠れてないよな?

さっきは風上だったから匂いが届いてこなかったけど、今は完全に風下だからよくわかる。


敵対する人間どころか、近くに人間はいなかった。


おそらく総出で僕の方を探しに行っているのだろう。まさか、僕があのバカ兄貴を助けに来るなんて思ってもいないのだろう。


しかも、助けに来たところで、どうすることもできないと踏んでいるに違いない。

あのバカのとらえられている簡素な檻には、それに似合った簡素な鍵が付いていた。

でも普通なら、人間以外が鍵を開けられるとは思わないだろう。


でも、この僕は普通じゃない。


固定した考えは、柔軟な発想を欠く。

古来より、奇襲や奇策というのはその隙間から生じている。


日本史に名高い桶狭間の戦い。

当時の常識から判断すると、籠城するしかないというのは、軍議の席でも明らかだった。


ハンニバル将軍のアルプス越え。

まさかローマ軍もアルプスを越えて侵攻してくるとは思ってもみなかった。


どちらにしても、常識という枠にとらわれない自由な発想があった。でも、それだけじゃ足りない。

それを実行する行動力があってこそ実現できることだと思う。


ただ、この二人には決定的な差がある。

それは、奇策を奇策で終わらせるか、それとも後につなげるかの違いだと思う。


そもそも、奇策というものは、あくまで打開策でしかない。


だから、通常は選択しない。

圧倒的不利を覆し、一時の勝利が生み出すうまさは、筆舌に尽くしがたいものだろう。


でも、勝利は利を得るためにすることだ。

利を生み出さない戦いは、そもそもすべきではない。孫子にはそう書いてあった。


敵の事、味方の事、情勢、状況。

そういうものをしっかり把握して、勝利すると確信してから戦いを始めるべきだろう。


そもそも、戦いは下策なんだ。

争うことに意味はない。争って得られるものは、ほとんどないと言っていい。だから、それ以外を模索したのちに行うべきだ。


でも、いざ戦いになったならば、必ず勝利しなければならない。本当はそうあるべきだ。


織田信長は、今川義元の本隊の位置をしっかり把握するために情報を求めていた。そして、その付近の地形も頭に入っていた。でも、勝てるとわかるまでは、動いていなかった。


そして、それ以降の行動に、桶狭間のようなことはしていない。


ハンニバル将軍は、周囲の状況を変えるために奇策を用いた。そして確かに戦術的に勝利した。

でも、アルプスの状況をしっかり調査しなかったために、行軍だけで大規模な損失を受けている。

結果、戦術的には勝利しても、戦略的には戦術的にえらえた華々しさは得られなかった。


今からするのは、あくまで奇策。

だから最後の最後、僕はハンニバル将軍と同じことになるだろう。


しかも、今の所、何のプランもない。

でも、僕には幸い能力が与えられている。


屈強な男の背後に忍び寄り、闇にまぎれて男の股間にかぶりつく。思いっ切りかじり、ねじるように股の間から前に出た。


もんどりうって倒れる屈強な男は、情けない悲鳴を上げている。低くうなりをあげると、小さい男の方は、股間を抑えながら逃げて行った。


「わふ! あおおん!」

『あきカン』の能力を使って、前足で簡単に鍵を開ける。


耳だけで、ちっとも見ようとしなかったバカ兄貴は、何の驚きもなく悠然とでてきた。

小さくため息をつくようにして、天を見上げるバカ兄貴。


「わふ! ばうあ、あおおん!」

何を考えたのか、このバカは天に向かって叫びだした。


言っている事と、やってる事が、もはやめちゃくちゃすぎて言葉が出ない。

この期に及んで、このバカは僕を逃がすことを考えている。


人間に通じるわけはない。でも、その声がするということは、追いかけている人たちの耳に入る。いずれ逃げた小さい男からも情報が入るだろう。


いいよ、分かった。そっちがその気なら、その状況を利用させてもらう。


その声に負けないように、力を込めて叫ぶ。


「ぅあおーん!」

狼の遠吠えは、街を行く人の耳に届くだろう。


さあ、お祭りの始まりだ。


***


僕たち二匹の遠吠えは、野犬狩りをしていた男たちを刺激するのに十分だった。


いろんな場所から男たちが集まってくる。


今日は一年の最後の日。

有終の美を飾りたいのかもしれない。


もう、日は落ちている。しかも、雪も結構降ってきた。


それでも僕は走り続けた。おそらくバカ兄貴も違うところを走り続けている。

走っては、吠え、そして集まる人間をひきつれてひた走る。


恐らく、僕らも野犬狩りの男たちも、お互いに体力的にも限界に近いだろう。

ていうか、状況はもう最悪だった。


もともとこれは、マッチ売りの少女の物語。でも、僕はマッチ一本売ってない。

しかも、色々と準備することがあったけど、結局何一つしていない。


もう残された手段は一つしかない。

協力はした。

これで二人同時介入設定ペアダイブの条件はクリアされている。

あとは、マッチ売りの少女をハーピーエンドに導くだけだ。


そうすれば少なくとも……。


その後のことは、もう考えても仕方がない。割り切って考えるしかない。

今からできることなんて、時間的に考えておそらく何もないだろう。

もともと僕は、そういう役目なんだと思う。


ただそれは、なんとなく悪い気分じゃなかった。

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