第21話靴は少女の手に帰る

なぜだ?


葛西は靴のはずだろ? 違うのか?

もう一度葛西に鼻先にあてて、様子を見ても、一向に返事をしてくれる気配はなかった。


じっとその姿を見つめてみる。

どう見ても、ただの女物のでかい靴だった。


そうか! 基本的なことを忘れてた。靴は片方だけではダメなんだ!

両方そろってこそ、靴は靴!

犬の気持ちに染まって、一つで満足していた自分が情けない!


浮浪児の持って行ったほうの靴をそろえて、履かないとダメなんだ。


しかし、また鼻にぶら下げたのでは、浮浪児の匂いが追いきれない。

かといって、放置することもためらわれる。

しかも、奴のような野良犬がいないとは限らない。


そうなると、葛西を放置するなんて論外だ。

どうする? どこかに隠すか? いや、今は追われている身だ。それは捕まる危険を意味する。『野生の勘』がそう告げてきた。


「…………」

散々迷った挙句、やはり隠しておくのは危険だろうという結論が出た。

ここは素直に『野生の勘』に従おう。


さっきのように、人間の待ち伏せにあう可能性だってある。こちらの行動もよまれている可能性だって捨てきれない。


しかたがない。

マッチ売りの少女に預けよう。もはや、それしかない。直に意思疎通が図れない可能性もあるけど、一瞬の隙を衝けば、何とかなるかもしれない。


マッチ売りの少女は、僕が靴を持ってきたことに少し驚いた表情を見せたものの、しっかりと受け取ってくれた。


「ありがとう、おっきいわんちゃん。さっきは、助けてくれてありがとう。じゃあ、ここで待ってるね」

マッチ売りの少女は、教会の前にある公園、その中央にある噴水の前にいた。

そしてアイツと勘違いしている。


大晦日の公園は、人はまばらで、こんな場所でマッチが売れるとはとても思えない。

物語とは少し違っているけど、一日中売り歩いていたのだから、こういう場所でも売っていたのだろう。


動かないなら好都合だ。頭をなでられると、なんだか無性にうれしくなる。

犬の性分サガなのだから仕方がないが、せわしないほどシッポが動いているのが分かる。


あとはあの浮浪児の臭いだ……。

とにかく、一刻も早く葛西と連携を取らなければならない。

幸い、あの浮浪児の臭いは覚えている。それを追っていくしかない。



浮浪児は、似たようなにおいがたくさんある通りの裏ですぐ見つけた。

しかし、肝心の葛西を持っていない。


多分大切にしまい込んでいるのだろう。

今度は葛西の匂いか……。

どちらかというと、マッチ売りの少女の匂いがそのまま葛西のように感じてきた。


当たり前か……。

葛西を履いているのが、マッチ売りの少女なのだから。


いろんな場所を手当たり次第に引っ掻き回して探して、ようやく目当ての葛西を見つけたときには、日も暮れようとしていた。


急がないと! 色んな意味で!


マッチ売りの少女の待つ、あの公園へと急ぐ。

途中追手を幾度となく振り切り、ようやくたどり着いた時には、すっかり日も暮れようとしていた。


「おっきいわんちゃん。取り返してくれてありがとう。せっかくだから、履かせてもらうよ」

マッチ売りの少女の笑顔は、とても気持ちいい笑顔だった。シッポが別の生き物になったように感じられる。


でも、そんなことを言ってられない。


何故かマッチ売りの少女は、先に渡した葛西をその手に持っている。

持ってきた葛西を手渡すと、マッチ売りの少女は、持っている葛西をそろえて履こうとした。


いまだ!

この瞬間を待っていた。


「いたーい! 何? 何なの?」

マッチ売りの少女に軽く体当たりをかまし、そのすきに葛西を履いてみた。


「何? え? 何?」

マッチ売りの少女は、混乱している。でも、今はそれどころじゃない。


「葛西、僕だ! 返事をして! お願いだ!」

後ろ足で履いて、前足で履いて、左右の前足と後ろ足で履いてみたものの、葛西は一向に返事をしてくれなかった。


「葛西、僕だ! 頼むよ!」

もうマッチ売りの少女に残された時間はない。いい加減、協力しないと難しいだろう。


「おっきいわんちゃん。それは、わんちゃんが履いても意味ないよ……」

立ち上がったマッチ売りの少女の言葉は、今の僕にとって最悪の言葉だった。


そうか……。

僕は犬だから、葛西には届かないんだ……。


靴は人間が履くもの。

だから、コミュニケーションをとるにしても、人間じゃないとだめなんだ。


くそ!


葛西をそろえてマッチ売りの少女に返す。

汚れてしまった少女の足をなめ回すわけにはいかないが、少しだけ謝罪の意味でなめてみた。


「ひゃ! なに!? 痛いよ……」

「くぅーん」

謝罪の意味を込めて体を摺り寄せてみたものの、それはうまくいかなかった。

よく犬がやることだから、見よう、見まねでやってみたけど、案外加減が難しいものだ。

それが分かったからといっても、大した学習にはつながらない。

でも、見ていると簡単に思えても、実際やってみると案外難しいということを学習したということにしておこう。


そして、またもや少女を押し倒してしまった……。

じっと少女の眼を見つめる。


とりあえず、ここから動かないでほしい。

少し野暮用が出来たから、それを終えて、必ず来るから。


言葉では伝えられないその想いを、体全体で表現しよう。


マッチ売りの少女の周りをぐるぐるとまわりながら、鼻先で地面を指し示す。

これでわかってもらえるとは思えないけど、今、この子に伝えるすべがない。

見上げた空は、もう暗くなっている。


時間が無い。それにこっちも時間が無い。葛西と連携する時間も無い。


「いいよ、おっきいわんちゃん。ほんと、そっくりな目をするのね。ここで待ってるから。ほら、大事な用があるんでしょ? 行ってらっしゃい!」

マッチ売りの少女は、読心術でも持っているのだろうか?

それとも葛西の能力なのだろうか?


いずれにせよ、言いたいことが伝わった。

もしも、神様の粋な計らいだというのなら、この時だけは感謝したい。


「あおーん!」

ちょっと待っててくれよ! バカ兄貴!

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