第20話片方だけでは、靴じゃない?

「わふ! ばうう! くおん? わうぅ、うぅうー!」

えっと、『兄弟! 早すぎる! どうして? もしかして、これをねらってるのか!』だよな……。

葛西を地面に置きながら、威嚇する目でこっちを窺っている。


いやいや、それはないし……。いや、あるのか……。


今、僕がいるのは、コイツのお気に入りの寝床の前。その場所を陣取っている以上、コイツは僕の話を聞かなくてはならない。


この寝床に、お気に入りの靴を大事にとっているのだから、葛西をそこに加えたいに決まっている。それ以外の場所で、堪能する趣味はコイツにはない。


『兄弟! それは俺のだ! よこせ!』

葛西がそこで聞いている中、こんなセリフを言う羽目になるとは……。

しかも、後でこれを見た女神ちゃんに、何て言われるやら……。


でも、それも仕方がない。

この二人同時介入設定ペアダイブは、何としても成功させなければならないのだから……。


「わふ! ばうぅ、ぅあおーん!」

えっと、『兄弟! 今日こそ、決着をつけよう!』か。そうか、実力行使しかないか……。

でも、やけに嬉しそうだな!


一旦地面に置いた葛西を、また鼻で器用に保持しながら、喋ってくるのは少し尊敬する。


でも、それとこれとは話が別だ。この体も、積年の恨みを晴らすときだろう。


奴は僕のことを完全に見下している。ひとしきり、その匂いを堪能し、自信に満ちた顔で、また葛西を地面に置いていた。


その瞬間、いきなり奴は、力いっぱい飛び込んできた。


寝床の一部が破壊されても、お構いなしに突っ込んでくるあたり、ちょっと正気ではないのかもしれない。


しかも、結構おなかがすいているはず。

いったい、どこにそんな力があるんだ……。それだけ必死だってことか?


だけど、素直に感心し続けるほど、余裕はない。

奴の動きは、恐ろしく素早かった。


とっさに横に飛び、それを避けていたのは、体が覚えていたのかもしれない。そして、そのまま距離を稼ぐ。


崩れた寝床の一部の中から現れた奴の顔には、避けられたことへの軽い驚きが浮かんでいた。

たしかに、いつもこれで戦意を失う程のダメージを与えられていた。


弟だと思って甘く見すぎだ。

今はただの弟じゃない、僕なんだ。しかも、こっちには『野生の勘』がついている。


ただ、奴もさすがに気を引き締めなおしたのだろう。

じりじりとした感覚が襲ってくる。

お互いに距離を測るべく、弧を描くように移動したとき、目の前に、ぽつんと葛西がおいてあった。


あれ? これって……。

それは奴も同じ思いだったに違いない。しかし、僕のほうが一瞬早くつかみ取った。


『ごめん、葛西!』

ちょっときつくかんでしまった。

でも、葛西からは何の反応もなかった。


きっと、我慢してくれているのだろう。今は、奴から離れるのが先決だ。多分、単純な喧嘩では、奴には太刀打ちできないだろう。


体は同じだけど、どうも奴は戦い慣れしてる気がする。


「わふ! うぉん! わぉん!」

さっきのセリフをそのまま返されてしまったけど、『はいそうですか』と応じるわけにはいかない。

奴の魂胆は見えている。

僕が話したときに、葛西をかっさらう気だろう。


そうは問屋が卸さない。


後ろから迫る、奴の突進を避けながら、元来た道をひた走る。狭い路地は、だんだん、人間の臭いで充満してきた。


何かがおかしい。これだけ人間の臭いがあるのに、誰一人として姿を現さない。


その時、『野生の勘』が目の前に、危険な罠があることを告げていた。

後ろには奴が、勢いを増して迫ってきている。


どうする?

口はふさがっているし、逃げ場もない。奴に罠を知らせる手段もない。


仕方がない……。

路地の壁をけりあがり、反転して奴の背後に回っていく。

さっきまでいた場所を通り越していく奴の目には、軽い驚きの色が混じっていた。


しかし、それも一瞬。

奴も同じようにけりあがり、反転しようとしていた。


しかし、それは成就しなかった。


奴の上から、複数の網が覆いかぶさってきた。


「わふ! うぉん! わぉん!」

この期に及んでも、そういっている奴に詫びながら、元来た道から、安全と思われる道を選んで走り去る。


すまんな、兄弟。あんたの尊い犠牲は、忘れない。

そして、マッチ売りの少女を助けてくれてありがとう。


でも、葛西をこんな目に合わせた報いだけは、しっかりと受けておいてくれ!



「葛西、葛西! 返事してくれよ、葛西! 僕だ! 僕だよ!」

安全と思える場所について、葛西に呼び掛けてみたけど、一向に返事がなかった。


おかしい。


噛み続けるのもなんだから、奴と同じようにしたのが、悪かったのかもしれない。

別に、その匂いに興味があったわけじゃない。


「ごめん、葛西。ああするしかなかったんだ。怒ってるんなら、いいかげん機嫌直してくれないかな?」

葛西に土下座して謝ってみても、葛西は返事をしてくれなかった。


目の前の葛西は、いくら鼻先でつついても、前足で軽く転がしても、何の反応も示さなかった。


これは、やっぱり履かないとだめなのかもしれない。

犬の前足はどちらかというと手の感覚があるから、後ろ足にはいてみるしかないか……。


「葛西、ごめん。今から足をいれるよ」

泥で結構汚れているけど、あとで誠心誠意謝ろう。


だからごめん、葛西。返事をしてくれ……。

今はやらないといけないことが、増えてしまった。


だから、葛西、お願いだ!


しかし、僕の願いもむなしく、葛西は返事をしてくれなかった。

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