第19話たとえ兄弟だとしても、その靴だけは渡さない!
追いつけない程、馬車は加速していく。
しかし、マッチ売りの少女は、僕の叫びに応えてくれていた。
馬車の接近に気が付いたマッチ売りの少女は、駆け足で道を横切ろうとしている。
「うわん! うおん!」
マッチ売りの少女を応援している気持とは裏腹に、その声は馬への声援となっていた。
さらに加速した馬車は一気に距離を詰めていく。
このままでは、マッチ売りの少女が危ない。
マッチ売りの少女も、その危険を感じたのだろう。慌てないように、しっかりと行動していた。
ただ、少女の靴は大きすぎた。
そして、脱げないようにするあまり、一層動きが遅くなっている。
さらに加速して迫る馬車を感じたのだろう。少女の顔は焦りの色が濃くなっていた。
そして、その結果は明白だった。
突然、片方の靴が脱げていた。
それでも、必死に道を横切ろうとする少女。
何が彼女を前に進ませるのかはわからない。でも、少女は決して戻ろうとはしなかった。
しかし、片方が脱げた状態では、さらに動きにくかったのだろう。
そこは、お約束のようにこけていた。
その間も、どんどん加速していく馬車。
這いずりながらも、逃げる少女。
両方の靴が少女の足から離れている。
これは葛西の選択なのか? それとも偶然なのか?
マッチ売りの少女を危険にさらすことに、いったいどんな意味があるのだろうか?
走りながら、一生懸命考えてみても、その答えは分からない。
そして、僕の問いに答えてくれる人はいない。
ただ、それが葛西の選択だとしても、そうでは無かったとしても、もう間に合いそうになかった。
もう駄目だ……。
そう思った瞬間、少女の服を引っ張る形で、何かが少女を馬車の進路上からほんの少しずらしていた。
馬車は少女のことなど目もくれず、少女の脇を駆け抜けていく。
「くーん おん! あおおん! わふ! くぅ、くうぅん!」
脱げた片方の靴を銜えて、尻尾を振りながら路地裏へと消えていくのは、あの姿。
先に脱げたもう片方は、浮浪児がさっさと持ち去って行った。
なんてこった!
僕が引き金を引いたことは、とりあえず記憶の彼方に消し去ろう。起きてしまった事を悔やんでも仕方がない。それよりも目の前の状況だ。
現状、葛西は二つに分かれてしまった。
マッチ売りの少女はどうやら無事そうだ。
さらにみすぼらしくなってしまったが、それは後で何とか考えよう。
今は葛西だ。
救出するにしても、こちらの体は一つしかない。
てっきり持ち去るのはこの僕だと考えていた。
でも、それは完全な思い込みだった。
こうなったら、どっちかを選ばないとダメだ。
どうする?
そう思ったものの、答えは体が知っていた。
まず、浮浪児に体当たりして、その服を一部頂く。
よし、臭いは覚えた。後で取り返すから、まってろよ、片方の葛西!
次はアイツだ!
「おえ! ジョンソン兄弟は路地に入って行ったぞ! 多分兄は靴を銜えてるほうだ!今なら大丈夫だが、弟に気をつけろよ! アイツら似てるからな! 特に暗闇では、ガードしながらだぞ! アイツらは夜目が聞くからな!」
追手の男たちは凄い数になっていた。
一瞬、マッチ売りの少女と目があった気がしたけど、それはまあ、気のせいだろう。
とにかく、奴にさらわれた葛西を救出することが先決だ。
奴め! 葛西に何する気だ!
といっても大体想像はつく。
そして、そのために奴はねぐらに帰ってくる。
『野生の勘』がそう告げていた。
臭いをたどる必要もない。記憶を呼び覚ますと、奴が靴に対して異常な執着を持っているのは理解できた。
さっきも、靴の中に鼻先を突っ込んで逃げている。
葛西よ、喜んでいいのかわからないけど、お前は奴にとって、よっぽど好きな匂いの部類に入っていたに違いない。
そして、記憶を呼び起こすことで分かったこと。
それは、元のこの体の主が、奴のことをそれなりに憎んでいるということだった。
ことあるごとに、元のこの体の主からいろんなものを奪い取っているようだった。
奴は兄弟だけど、僕のことを顎で使う兄貴だった。
そして、奪ったものを、ねぐらに集めている。
このままでは、葛西が危ない。
あんな野良犬に、なめまわされた挙句に、かじられてボロボロになってしまう。
記憶の中に、ボロボロになっても奴の寝床に眠っている結構な数の靴があった。
それは、絶対阻止しなくてはならない。
しかも、どうやら奴とは兄弟だけあって、僕たちはそっくりらしい。
このままでは、誤解されてしまうかもしれない。
奴が葛西にしたことが、僕がやったことになってしまうかもしれない。
それは勘弁してもらいたい。
とにかく、最初の場所に戻ろう。
そして記憶を手繰り寄せたことで、もう一つ理解できたことがある。
男たちが必死に追いかける理由。年末の大捕り物のようになっている理由。
ジョンソン兄弟と言われるのも理解できた。
まあ、確かに気持ちは分かる。僕もたぶん、被害にあっていたなら、その捕り物に参加したかもしれない。
でも、元々はどう考えても、お前らが悪いんじゃないか?
でも、今はそんなこと知ったことじゃない。
そもそも、それは僕じゃないし。ただ、この体の元の持ち主には、親近感を覚えてしまう。
それでも……。とにかく今は、葛西を取り戻すのが先決だ。
追手のことは気にせずに、一直線にねぐらに帰ってみると、奴はまだ、そこには帰っていなかった。
奴の寝床には、葛西はいない。
追手をまきながら帰ってくる奴は、狭い穴を通ってくるので、進むのに時間がかかっているのだろう。
寝床の前でしばらく待っていると、奴の驚いた顔が帰ってきた。
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