第18話マッチを売る少女

でも、さすがにこっちものんびりはしていられなかった。


マッチ売りの少女がマッチを売りに出るのがいつなのかはわからないし、どこの通りを歩いているのかもわからない。

この比較的大きな街で、顔も分からない、匂いも分からない少女を探すのはさすがに骨が折れるだろう。


なによりも、靴の葛西がどう選択するのかを見届けないといけない。

その選択に合わせて、僕が間違いなく行動しなくてはならない。


葛西の涙を見ないためにも……。


ん?

違う。これはマッチ売りの少女の物語だ。

まず、マッチ売りの少女に来年を見せてあげなくてはならない。


葛西と協力して……だな。


抜け出た通りの方向から、男たちの足音が聞こえてきた。

今日はしつこいくらいだと『野生の勘』が告げている。


あてになるのかならないのかはわからない。

でも、あいつも警戒していたことを考えると、この街に、一大野犬狩りキャンペーンが開催された可能性もある。


でも、それも夕方までだろう。

今日は大晦日。さすがに日没を迎えてからも続けるとは思えない。


野犬狩りから逃げつつ、マッチ売りの少女を探す。

そして、マッチを買ってくれる人を探すんだ。


さあ、命がけの市場調査にでかけるか!



予想よりも、追手はかなりの数がいた。


年末なのに忙しいことだと、心の中でバカにしていた自分を反省したくらいだ。


でも、なんか悪いことしたっけ?


朝からの行動を振り返ってみても、その理由は見つからなかった。

試しに頼った『野生の勘』は、全くあてにならなかった。


もっとも、『野生の勘』は勘なだけで、そもそも明確に答えてくれるものじゃない。


とりあえず、逃げながら探す現状では、『土地勘』だけが頼りだった。

人間が通れない道を逃げ道として確保しつつ、大通りに顔を出す。


元の物語を考えてみると、マッチ売りの少女を探す手段は一つしかない。

しかも、それを見ることで、葛西の行動も予測がつく。


マッチ売りの少女が靴を無くす原因となったのは、通りを横切った際に、猛スピードで駆け抜けていく馬車をよけたからだ。


その時に靴が脱げてしまった。


元々母親の大きい靴を履いていたマッチ売りの少女。

自分の足にフィットしていなかったから簡単に脱げてしまったのだろう。


母親の体がものすごく大きいわけではなく、単にマッチ売りの少女が小さいことをアピールするための表現として、使われたに違いない。浮浪児の行動は単なる誇張にすぎないと思う。


ともかく、馬車が猛スピードで走るには、大通りしかない。

そして、靴である葛西の行動を予測するのはそこしかない。


僕がこうして考えることは、おそらく葛西も考えているはずだ。

お互いに出会うためには、物語を大きく逸脱してしまっては意味がなくなる。


葛西はくる。この大通りのどこかに。


もし、通りを渡らなければ、葛西はマッチ売りの少女からは離れないという意志表示だ。

もしくは、通りに顔を出したとしても、どこかに行ってしまうという行動でも同じだろう。


そして、通りを渡ったとすると、葛西は全てをこの僕に委ねたことになる。

靴がひとりでにマッチ売りの少女に帰ってくるはずがない。


僕が回収することを信じているのだろう。

だからぐずぐずしてはいられない。


朝から網を持った男たちがどんどん増えていく状況に嫌気がさしてきた頃、それらしい格好をした少女が、ここからはるか先、通りの反対側に姿を現した。


「いたぞ! こいつだ! ジョンソン兄弟の……、たぶん弟だ! 守りながらいけ!」

と同時に、数人の男たちが、僕を見つけて駆け出してきた。


その言葉に、ちょっと僕も慌ててしまった。意識をマッチ売りの少女に向けたのが悪かった。


でも、もっと慌てたのは、他にいた。


僕がはずみで倒してしまった何かの置物。

それが倒れた音に、激しく驚いたのは馬だった。

御者の制御を振り切り、すさまじいスピードで駆け出していた。


あっ、これってもしかして……。

思わぬところで、物語の発端を作っている? 意外と僕は、重要な脇役だったのだと、一人で納得してしまった。


でも、あの話は二台の馬車だったはず……。もう一つはどこ行った?


もちろん、逃げる必要もある。また数が増えている男たちは、すごい形相で迫ってきている。

でも、ここを見逃してはいけない。

逃げるというより、その場面を見逃さないために、馬を追いかけなくちゃならない。


逃げる馬車。追いかける野良犬。それを追いかける大勢の男たち。


年末のあわただしさを代表するかのように、一際あわただしい集団が出来上がっていた。


その時、僕は確かに見た。そして、『すばらしい五感』には本当に感謝した。


マッチ売りの少女と思われる少女は、確かにマッチ売りの少女だった。


ボロボロの服でみすぼらしい。エプロンのポケットには、マッチの束を入れているのが見える。手に持っているのも、マッチの束。

ただ、金色の髪が、分厚い雲の間から、少し顔をのぞかした太陽によく映えていた。


マッチ売りの少女は、道の脇に立ち、歩いている人に遠慮がちに声をかけている。でも、だれも見向きもしていない。


疲れているのだろう。俯き、ため息をついている顔には陰りも見える。


しかし、次の瞬間には、あきらめないように、顔をあげていた。

まっすぐ通りの向こう側を見る瞳には、まだマッチを売る意思があった。


その顔には見覚えがある。


可愛らしい顔に、決意を宿す青い瞳。瞳の色こそ違えども、その顔は幼いころの葛西そっくりだった。


そして、少女は通りを横切ろうとしている。

しかし、馬車には気付いていない。


「わおう! わおん! わおう! おん!」

一応『葛西逃げろ!』といったつもりだけど、通じるはずがないのは分かっている。

でも、いきなり吠えた僕の声に、馬はさらに驚いたように逃げて行った。

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