桃太郎伝説編

第2話職員室という説教部屋

「おまえねぇ……。どうしてここにいるか、わかってるよな?」


 職員室の一番後ろの席で、メガネをかけたいかにも教師という顔にため息をつかれた。扉のすぐ近くでもあることから、教師としての序列は低いのだろう。向こうの方では、ちらほらこちらを見ている先生もいる。


 ――そんなに珍しいか?

 

 いや、この場合は僕が珍しいのだろう。

 どこに行っても、どれだけ過ごしても、まるで珍獣扱いだ……。


「おい! 聞いてるか?」

「聞いてるよ、やっさん」

尾社おやしろ先生な! 生徒が職員室で、先生の名前をあだ名で呼ぶな!」

「すみません、おやっさん」


 まるで魂まで一緒に抜け出るんではないかというくらい、盛大なため息を見せられた。


 まあ、こんなことを言えるのも、この先生だからかもしれない……。

 他の先生だったらこうはいかない。


「おまえね……。なんでもかんでも、『お』をつければ、丁寧な言葉になるなんて思ってないよな? ペーパー試験だけで見れば、優等生なお前が……」

「そんなこと、当たり前じゃないですか。 嫌味ですか、それ? だいたい、おやっさんに『お』をつけたら……。おおやっさん……。いや、おおやさん。いいですね、それでいきましょう! おおやさん!」

「おまえねぇ……。それじゃあ、もう先生ですらないだろ?」

「いいじゃないですか? 多分似たようなもんです。すみません、今月分の支払い、まってもらえませんか?」

「もう待てんわ! 第一、お前の今の成績だと、来年、あのクラスにお前の席はなくなってるぞ? 今からさっさと一年分くらいためて、ランクあげてこい! このままだと留年決定だからな? お前が留年なんてしてみろ、俺の評判に傷がつく!」


 投げ出すように渡された紙束の表紙には、『特別補講』という文字が付いていた。しかも、難易度固定のあの青紙だ。


「そんな……。結局、生徒のことを言ってるふりして、自分の為じゃないか! しかも、今月分だけじゃなく、来年分も催促してくるなんて……。鬼! 笑えないから!」


 いや、笑えないどころじゃない。今終わったばかりなのに、昼休みもないなんてひどすぎる。

 でも、そもそもこの青紙が出てくる時点で、すでに決定事項になっている。こうなったら、何かお返しだけでもしなけりゃ気が済まない。


「ふっ、あたりまえだ! お前にどれだけ時間費やしてると思ってるんだ? それでも足りねーんだよ、お前はよ! だいたい、今月何度目だ? この話するのは?」


 メガネの片側をあげて説教された。おやっさんが生徒指導に夢中になるしぐさ。

周りを気にしなくなってきた証拠だ。しかも、丁度いい感じにあれが来きている。


「え? 今月は初めてじゃないかな? 昨日で先月終わったし。大丈夫? おやっさんもいい年なんだから、そろそろ体と心と髪の毛を大事にしないと」

「誰のせいだと思ってる? それに俺はまだ若い。お前らには負けるが、まだまだ現役だ! あと、まだフサフサだからな!」

「そうやって油断してると、あっという間に時間は過ぎていくんだよ? おやっさんもいい年なんだからさ、そろそろ結婚してもいいかと思うんだ。葛西なんてどうかな? アイツ、おやっさんのこと好きだって言ってたし」

「バカかお前? いや、お前がある意味バカだってのは知ってるが、やっぱりバカだろ、お前。生徒と教師がそんなことになってみろ? PTAが黙っちゃいないだろうが!」

「PTA……。『パッと見アクシデント』っていう謎の組織か……。厄介なとこに目をつけられたね、おやっさん……。大丈夫?」


 小声でそっと話しておく。こういうことは、聞かれるとまずい。


「おまえ、いつか刺されるぞ? まあ、ぶっちゃけ、目をつけられたらおしまいだけどな? あそこは危険な香りはする――」

「やっぱり、おやっさん、葛西とできてたんだ……。うわ、ひど……。葛西、泣いてるよ。こんなひどいおっさんにだまされて……。この偽善者。教師の風上にも置けないよ。そうやって、生徒に嘘つくんだ。まっすぐ生徒と向き合ってよ。ちゃんとつきあってよ!」


 少しずつ、声の調子を上げていく。近づくにつれ、ほんの少し会話が聞こえるかのように。


「はぁ? お前、人聞きの悪い事言うなよな。俺は正直者で有名だぜ? 何時だって俺は、真剣に向き合ってるだろうが? いまさら何言ってんだ? 俺はお前のこと真っ直ぐ見ているだろう? ちゃんとつきあってるだろ?」

「あー。先生、正直に話してくれありがとう! 葛西にちゃんと伝えておくよ! 先生も葛西のことが大好きだってこと! これで、葛西も両思いだよ! よかった! 本当によかった! ありがとう先生!」

「おい、何言って――」

「尾社先生。ちょっといいですかね?」


 おやっさんが、その声に振り返った時、そこには校長の凍りついた笑顔があった。


「おまっ! ちょっと校長! 誤解、誤解ですって! 誤解なんです。今のは何でもないですよ。今、コイツの成績のことで話していたんです! 何か盛大に誤解していますって!」

「え? それは終わりましたよね? このままだと留年するから、これからもう一度行ってランクを上げるようにっていうことで。じゃあ、僕は行きます。これから昼休みをつぶして、頂いたこの補習課題をやります。それでは校長先生、失礼します」


 おやっさんの顎が見事に落ちる。あんぐりあいたその口は、何でも入れ放題なほど空いていた。


――と同時に、その手に持っていた、さっきの成績が床に落ちた。そして、そこにはしっかりと刻まれている『雪女伝説 成績:ランクD』と――。


「ランクDですか、頑張ってください。君のお父さんは、この世界の英雄なんですから。いえ、あちらの世界の英雄でもありますね。お母さまも、由緒正しい家柄ですね。その名に恥じないように、頑張って――」

「ちょっと、校長――」

「いえ、尾社先生。大丈夫です。ありがとうございます。それでは、行ってきます」


 早々に、お辞儀をして、職員室を退散する。


「おい、まて――」

「尾社先生。さっきの話ですが――」


 職員室の扉を閉めるとき、少しだけ見えたおやっさんの顔は、校長に必死に弁解しながらも、その目は僕の方に向いていた。


「大丈夫だよ、おやっさん。もう慣れてるから……」


 頭を下げながら、小さくそう告げておく。一応あれでも僕の数少ない仲間には違いない。


「――何が慣れてるだ、この補習魔がよ! なんなら俺が手伝ってやろうか?」

「お昼休み返上? かわいそー。でも、勝手に人を出演させないでよね! 演技は得意だけど、出演料は高いわよ?」


 職員室の前で待っている奴なんて、ろくな奴がいないのが相場だけど、こいつらはその中でも、輪をかけて厄介な奴らだった。

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