第44話 それは、似て非なるもの

「っは」

『あるじ!』


「…………」

っちゃん」

あるじ


 ぱち、と目を開けると同時に飛び込んできた赤と朱に、「またか」と掠れた声が漏れる。


 そんな俺の考えを見透かすかのように、「今日は早かったですよ」と馨結きゆうが困ったような顔のまま少しだけ笑う。


「それにしても」


 僕までとは。

 小さな声の呟きに、バッ、と声のした方を見れば、こっちを見ていた彼と目が合い、彼が柔らかく笑う。


「あ」


 ちゃんと笑った。

 そんなことを思った俺に、「真備まきび」と彼が俺の名前を呼ぶ。


「……1つ、聞いてもいいかい?」

「なに?」

「君は、さっき何を思った?」


 意識を失う前と変わらずに、笑顔を浮かべたまま問いかけてくる仲春なかはる君に、「……さっき?」と呟けば、「アチラを視る直前、かな」と仲春君が言う。


 その言葉に、直前、と小さく呟きながら、まだ少しだけぼんやりとした意識を探る。


「なんだっけか……ああ、そうだ。ええと、多分だけど……きっと、真備まきびさんも仲麻呂なかまろさんの力になりたいって思うんだろうな、って。俺が、仲春君の力になりたいって思ったのと同じ、よう…………に」

「……真備?」

「坊っちゃん?」

「主?」


 言葉が止まった俺を、仲春君が不思議そうに見やる。


「なん、で」


 いつもは、自分だけなのに。

 どうしてさっき、仲春君まで気を失った?

 いままで誰も、そんなこと無かったのに。

 滉伽こうがも、馨結きゆうも、引きづられることなんて、無かったのに。


 まさか……俺の


「俺の……せい」


 纏まらない考えに、視線が下へと下がっていく。


「真備?」


 優しい視線は、さっきと変わらない。

 気遣うような視線も、出会った時と同じだと思う。



 もし、また、彼を


 ―― 仲春君を、巻き込んでしまったら


 ぐるぐると渦めいた嫌な思考が、頭の中に広がっていく。


 ―― 巻き込みたくない

 

 そう思った瞬間、ふわと懐かしい匂いが鼻先を掠める。


「真備」


 ぴたり、と当てられた手に、びくり、と肩が跳ねる。


「大丈夫。落ち着いて」

「…………ッ」

「なっ」


 グン、と少し強めに腕を引かれた。

 そう思った直後、ぎゅう、と抱きしめられる感覚が身体に伝わる。


「な、仲は」

「実はね、僕もアチラをるのは初めてじゃないんだ」

「え」


 腕の力を緩めることなく、話し始めた仲春君の声が、すぐ近くで聞こえる。


「ここまで鮮明に見たことは無いのだけれどね」

「……そう」


 すり、とほんの少し、仲春君の頭が動く。


「君を見て、そうかもしれない、と思ってはいたのだけど」

「……何、が?」


 そう問いかけた瞬間、仲春君の手が、背中を滑る。


「さっきので確信に変わった。やはり真備は夢見の力が強いようだ」

「夢見?」

「そう。それから、えにしを紡ぎ、繋ぐ力」

「縁……」

「まるで……云うなれば、君のそれは、とても強力な媚薬のようにも思えてくるね」

「媚薬?」


 物騒な言葉に、顔を動かした瞬間、ぐいっと身体が後ろへと引っ張られる。


「おわっ」

「もう十分でしょう。安倍の」

「いい加減離れてください」


 頭上から聞こえた不機嫌な声と、べたりと巻き付かれた腕に、思わず上を見上げれば、馨結も滉伽も思い切り不快感を全面に押し出した顔をしている。


「おや、盗られてしまったね」

「そもそも貴方のではありません!」

「おやおや」


 ケロリとした声の仲春なかはる君とは違い、馨結きゆうは俺の前に出ながらイライラした声で即答し、そんな馨結を見て仲春君はフフ、楽しげな笑い声をこぼしている。


「いや、さっきまでの空気感」


 思わずそんなツッコミを入れた俺に、馨結はムスっとした表情を浮かべるものの、渋々、といった様子で、俺の横へと移動する。


「ええと、何処まで話したのだっけ?」

「あー……えっと……俺の夢見の力の話」

「ああ、そうだったね。まるで媚薬のようだ、と僕が言ったんだっけね」


 フフ、と相変わらず楽しげに笑いながら、仲春君は口を開く。


「なんで、その……媚薬って」

「ああ。それはね」


 俺の問いかけに、にこり、と笑った仲春君の唇が動く。


「これも、さっきので確信したのだけれどね。君の力は、濃厚で、強く、多少でも力を持つ者にとっては甘美なものなのだろうね。云うなれば、アダムとイヴがもいでしまった、あの禁断の果実のような、そんな風にも感じる」

「……そんなことは……」

「無いとは、いえないと思うよ。真備まきび。きっと君は、君には心当たりがあるはずだ」


 じっと俺の目を見たまま、逸らさない仲春君の言葉に、ふいに入学式後の妖かしの事が頭を過る。


「けど、それは、俺の力じゃなくて」


 吉備真備きびのまきびさんの力だ。


 そう呟いた直後、仲春君の「違うよ」という声が響く。


「それは違う。その力は、君だけの力だ」


 じっ、と俺を見て、仲春君はそう言い切る。


「どうして」


 どうして言い切れるんだ。

 そう呟く俺に、仲春君はほんの少しだけ困った表情を浮かべたあと口を開く。


「僕が君を、ずっと探していたから」

「ずっと……?」

「たぶん、千年ぐらい、かな?」

「千年?!」

「あ、僕がずっと生きていたわけではないよ?」

「え、あ、はい」


 千年。

 そんな単語を飲み込めずにいるものの、目元を緩めて笑いかける仲春君の言葉は、嘘をついているようには思えない。

 けれど、その言葉を、そのまま鵜呑みにできるわけでも無く。


 なんで、とまた小さく呟いた俺に、仲春君は微笑んだまま、言葉を続けた。



「確かに、僕には、君に真備公の魂の記憶があるように、阿倍仲麻呂公あべのなかまろの記憶がある。けれど、だからこそ、真備と、真備公は非常に似ているけれど、違うモノだとわかる。真備、君も同じじゃないかな?」

「それはどういう……」

「君には、僕と仲麻呂公の違いが分かるはずだよ」

「いや、分かるわけがな」

「分かるよ」


 分かるわけがない、と言いかけた俺を、仲春君の言葉が止める。


「真備。僕をちゃんとみて」

「ちゃんとって言っても」

「君はまだ不安定なだけで、君の中に力はある。ただそれを上手く引き出せていないだけだ」

「……そうは言うけど」


 そんなこと云われても、どうすればいいのか。

 困惑したまま呟いた直後、仲春君の背後の景色が、ゆらり、と動き、仲春君が、そちらを見たあと、眉を顰める。


「……そう」


 仲春君が、短く苦しげな声を零した直後、「玄武」と仲春君が短く言葉を発した。


「……玄武?」


 玄武って、確か、十二天将の。


 そう思った瞬間。

 仲春君を中心に、広く、大きな結界がはられる。


「結界っ?!」

っちゃん!!」

あるじ!!」


 馨結きゆう滉伽こうがの叫ぶ声に驚き、後ろを見れば、二人と自分の間を結界が断っている。


「なんで」


 その様子に驚き仲春君を振り返れば、「ごめんね」と仲春君が俺に向かって謝罪の言葉を向ける。


「ごめんって、一体」

「どうやらもう、君を安全で、温かな場所にいさせてあげることは、出来ないみたいだ」


 人差し指と中指を唇に当て、仲春君は小さく何かを呟いた直後、何もなかったはずの空中にザッ、と何枚もの札が現れ、彼をぐるりと取り囲む。


「まさか」

「ごめんね。少し手荒になるけれど」


 仲春君は困った表情を浮かべたまま、空中の一枚の札を手に取り、指に挟む。


 流れるようなその動きの綺麗さに、思わず魅入った直後。


 ザンッ、と云う音とともに、仲春君の足元に風が走る。


 それから。

 ほんの一瞬、痛みを堪えたような表情を浮かべた仲春君の、その手から、稲妻が自分に向かってくる。


 やけにゆっくりに見える。

 そんな事が、頭をちらりと過る。


「主!!」

「坊っちゃん!!」

「ーッ、略式結界 土式ノ壱!」


 馨結と滉伽の声に、ハッとしながら叫べば、ドドッと激しい振動とともに目の前に突き出してきた地面が、大きな土の壁となって、仲春君が向けた稲妻を取り込み崩れる。


「うん、悪くないね」


 バラバラと崩れていく土壁の向こう側で、仲春君は、ふふ、と楽しげな声を零す。


「ちょ、ちょっと待って?! なんでいきなり?!」


 さっきまで普通に話をしていたのに、どうしてこんな事に。


 自分の頭の現状把握がまったく追いつかず、大きな声で叫ぶものの、仲春君は困ったように笑うだけで、札を収める気は無いらしい。


「なんで」


 やっと会えたのに。

 仲春君も同じだと、そう思ったのに。



 そんな俺の考えを、全て見透かすかのように、仲春君は表情を変えないまま、俺を見つめる。



「真備」

「…………なに……」

「君は、結界が壊される可能性を、考えたことはあるかい?」

「え……」

「この街のみならず、この国に作られた結界が、壊される可能性を、壊される意味を、考えたことはある?」


 ひらり、と一枚の札を手にとり、仲春君が俺に問いかける。


「君と僕が出会ったこの時に、同じくして壊された、此処にあったはずの結界。それから」



 ピッ、と宙に立てられたのは、一枚の紙。



「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の

 われても末に 逢わんとぞ思ふ」

「それ」

「これは、とある方から、渡されたモノでね」


 崇徳天皇が詠んだ和歌だと、授業で習ったばかりだけれど。

 仲春君のもつその紙の四隅が、黒く変色している。


「仲春君、それ」

「ねえ、真備。君は最近、大天狗殿には、お会いしたかい?」

「え……」


「会って、いないだろう?」


 苦しげに、そう呟いた仲春君の指先が捉えていた和歌が書かれたその紙の上部に、じわりじわりと黒色が、広がっていく。


「待っ、どういうこと?!」

「言っただろう? 時間が無いって」


 そう仲春君が呟いた直後、猛烈な爆発音が、辺り一帯に響き渡った。









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