第42話 譲った代償は拳。

 ―― 『まだ、終わっていないよ』

 

 そう告げられた言葉に、ハッとして烽炎ぐえんの炎を見れば、まだ黒い靄の威力が収まっていない。


「っ、どうしたら?!」


 どうしたらいいんだよ?!


 目の前のことも、あの人のことも、どうしたら。

 そんな焦りが術に反応したのか、靄に炎が押されていく。


「くっ、そっ」


 祓わなくては。

 そう思うばかりで、策が、次の手が、思いつかない。


真備まきび!!」


 太地が俺の名前を叫ぶ。

 同時に見えるのは、勢いを増し、自分に向かってくる、黒い靄。


「しまっ」


 ―― 捕まる


 何故だか分からないけど、そう思った瞬間、ぶわっ、と一際つよい風が吹く。


「なっ」


 何、と呟きかけた言葉が、視界いっぱいに映った金色に埋もれる。


ちゃんに手を出すなんて、いい度胸をしてますね、貴方たち」

「……あなた、たち?」


 どういう意味、と疑問を持った直後、ぐらりと揺れた身体が、馨結きゆうの背中にぶつかる。


「わぶっ」

「アレも、オマエたちも、消し去ってくれよう」


 びり、と身体に走る電気が、馨結の怒りを伝えてくる。


 なんでそんなに怒ってるんだ。

 そう思ったときにはもう、馨結の扇は振るわれ、風とともに、靄が消える。


「消えた」


 苦戦をした自分の目の前で、まさに秒で片をつけた馨結に、ほんの少しだけ悔しい気持ちになるものの、その感情のはるかに上回ってやっぱり凄い、などと思っていれば、「坊っちゃん」といつもと違う声色で馨結が俺を呼ぶ。


「……なに?」


 薄紫の着物を掴んだままの俺に、振り返ることなく、馨結が言葉を続ける。


「アレを、アレが何者なのか、知っているのですか?」

「あれ? って、だ」


 誰のことだよ。

 そう問いかけようとした脳裏に、一人の先輩の姿がよぎる。


「馨、結」

「アレは」


 馨結きゆうが、アレ、と言う度、ピリと電気が宙を走る。


「……彼女は、敵じゃないよ」

「っ、坊っちゃんっ!!」


 バッ、と振り返った馨結の薄紫色の瞳が、揺れている。


「敵じゃない」

「ですが!!」

「……泣きそうだったんだ。先輩」

「…………」

「だから、あの人は、大丈夫。きっと、何かの理由があったんだよ」


 いまだに縮まない身長差に、馨結の顔を見上げながら言った俺に、馨結が苦し気に顔を歪ませて視線をあわせる。


「彼女は、野田先輩。たぶん馨結と滉伽こうがと、あの人の知っている人、だろ?」

「……ええ」


 俺の目を見ながら、かろうじて答えた馨結に、「だと思った」と告げれば、はぁぁぁ、と大きなため息が降ってくる。


「……坊っちゃん」

「なに?」

「次、アレに出会った時は、必ず呼んでください。私でも、こうでも」


 必ず。


 そう言って、ぴと、と頬にあてられた手は、もういつもと変わらない。


「分かった」

「……本当に分かってます?」

「分かったって」


 グイ、と長めの指先で擦られた頬に、静電気が走ることもなく、「っふは」と小さく笑い声が溢れる。


「……何を笑ってるんです?」


 呆れたような表情で、俺を見た馨結に、「いつもの馨結だなって思って」と返せば、額にパチンッ、と衝撃が走った。




 その後、途中から自分の風じゃない風に乗っていたから、と太地たいちが風酔いとやらになり、慌てて下へと降りれば、滉伽が本物のすずの背を支えて立っていて、その様子に、「……良かった」と静かに呟けば、すずが「真備まきび様」と俺の名前を呼ぶ。


「真備様に、本当にお怪我は……」


 眉尻をさげ、泣き出しそうな顔をして、そう問いかけてきたすずにほんの少しだけ、鼻の奥がツンとなりながら、「どこも怪我してないよ」と答えれば、すずがほっと息をはく。


「自分の心配しなよ、鈴姫」


 まだ少し青白い顔をした太地の言葉に、すずは「貴方様も同じでしょう?」と言って、ふわりと笑う。

 そんなすずの言葉をうけ、太地はちらり、と俺を見たあと、少し耳を赤くして顔を背けた。



「馨結」


 静かな声で、馨結の名前を呼んだ滉伽に、馨結が一歩前へ足を踏み出す。


「いつでもどうぞ」

「そうですか。では、遠慮なく」


 そんな短いやりとりをした、直後。


 滉伽が左手を大きく振りかぶった。


「こっ?!」

「…………っ」

「滉伽?! どしたの?! なんで急に?! 馨結?! だいじょ」

「大丈夫ですよ主。コレには、この程度、痛くも痒くもないはずですから」


 コレ、と馨結きゆうを睨むみながら言った滉伽こうがと、ほんの少し、右頬を赤くし口元を拭った馨結を交互に見る。


「避ける気があれば避けれた。それをしなかった。それだけのことです」


 ぷらぷらと自分の手を揺らしながら言う滉伽に、「そう、かもだけど……」とかろうじて答える。


 この二人が本気でやり合っているところなんて、俺は生まれてこのかた見たことなんてない。言葉で言い合うことはしょっちゅうだけど、滉伽から手をだしたところなんて、初めて見た。


 想像もしていなかった展開に、動揺を隠せずにいれば、「これでチャラですね」と馨結がケロリとした言葉をかえす。


「え? ええぇぇ?」


 ちょっ、ええぇ? 何この展開。

 ついていけないんだけども。どういうこと?!


 訳が分からずに、ふたりの顔を交互に見やれば、「いまだけ譲ってさしあげたんですよ」と滉伽がにこりと微笑む。


「いや、どういう事?? っていうか……いきなりの少年漫画展開についていけてないんだけど、俺」


 置いていきぼりも良いところでは。


 ぼそりとボヤけば、「主」と滉伽が俺を呼ぶ。


「なに?」

「主にお会いしたいという方がいらっしゃるのですが、どうされますか?」

「……え? 誰?」


 滉伽の問いに質問で返した俺の足元を、ふわり、と覚えのある風が通る。



「現安倍家当主、安倍仲春なかはる

「なっ?!」


「また会えたね。賀茂真備まきびくん」



 会いたかった。



 そう告げた『彼』の背後で、12個の人影がゆらりと揺れた。















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