第41話 あの橋の袂

「寝たな」

「だね」


 初月ういづきが泣いてる気がした。

 馨結きゆうと一緒に帰ったはずの小さい白い狐。


 ―― 「大丈夫」

 

 今となっては触り慣れた初月の頭と背中を撫でながら、心のなかでそう声をかける。

 そんな感覚で初月を思い浮かべた。

 その直後に、ポンッ、という音と同時にべしょべしょに泣いてる初月が現れたのには、まぁ、驚いたけど。

 でも。

 何があったのかを問いかけるよりも、抱きとめるほうが先だった。



 滉伽こうがに作ってもらったお弁当を食べつつ、時々おかずを初月と太地たいちに分けていれば、いつの間にか初月が膝の上で丸まって寝ている。


「大天狗様の気配がしないって言ってたけど……どういうことなんだろ……」

「それな。んー……」

「どした?」

「なぁーんか引っかかんだよなぁー、と思ってさあ」


 購買のカレーコロッケパンに齧り付きながら、太地が首をかしげる。


「引っかかる?」

「や、だってそうでしょ。あの大天狗様だよ? あんなドチャクソに強いヒトが、そんな簡単にヤラれる訳ないし、わーわーギャーギャースマブラよろしく大乱闘やってたら絶対にオレらだって気付くじゃん」

「……確かに」

「……となると、何かあって身を隠してる説が有効じゃん?」

「……まぁ、そうかもだけど、でも、何で?」

「そこなんだよなあ!」


 ぐいん、とさらに首と身体を横へもたげながら、太地はまたコロッケパンを食べる。


「あんな強いヒトが隠れる事態ってマジでなに?」

「うーん……」


 ふたり揃ってウンウンと唸っていれば、太地の動きがふいにピタリと止まる。


「太地?」

「……また要石が割られたっつってる」

「どこで?」

「今度はふたつ隣の市の、ええっと……何だっけ、なんとかフラワーパークってやつ。ほら、校外学習で行ったアレ」

「ん? ああ、俺も校外学習で行った。って、え? あそこ?」

「みたい」

「……なぁ、太地。規模、広がってない?」

「せやな」

「なんで? この近くだけの話だったんじゃないの……か……?」


 自分で言いながら、腑に落ちなさすぎて語尾が小さくなる。


 隣町の橋の下、隣町の鉄塔、この町の雑居ビルの間の祠前、ふたつ隣の町のフラワーパークそれから、俺たちがいる、この学校。


「そもそもがこの近くだけって感じだけじゃ無かった可能性も出て来たんじゃね?」

「でも、そしたら、どこまで……?」


 四方八方にバラバラに散っていて、場所も方角も統一感がない。

 近所も離れた場所も、どちらもだなんて。


「どこまでかは犯人しか分からんだろうけど、少なくても、悪戯の可能性はもう確実にゼロだな。それに、一人でやれることでもなき」

「個人プレーじゃないのか……?」

「たぶんね。一人でやるには割に合わないと思う。あ、それと、川基準ってわけでもなさそーだしなぁ」

「川?」


 川。

 そう言った太地の言葉を繰り返しながら、飲み物でおかずを流し込む。


「じっちゃん達が川がどーのこーのって言っててさ。って真備?」

「川、ねぇ……」

「おーい」


 もぐ、と最後のおかずを口に放り込む。


 川、と言われて思いついたのは、あの橋を題材に、歌った人が居たこと。


 ――  確か、アイドルが歌ってたんだっけ。

 なぜかぼんやりと、頭に浮かんだそれは、朧気なメロディラインとともに、消えていく。


 さっぱり分からない。

 見つからない答えを考えながら食べたベーコンチーズ巻きは、なんだか味がしなかった。



真備まきび様」

「あれ?」

「すずじゃん。珍しいね」


 校門から少し離れた場所に立っていたすずが、俺たちに気がついて笑みを浮かべる。


ぬえ様と白澤はくたく様は、いま手が離せないとのことでしたので、わたくしが参りました」

「手が離せない?」

「はい。何やら調べごとがあるとか」

「調べごと……」


 馨結きゆう滉伽こうがも同じようなことを考えているのだろうか。

 そんなことを思いながら、足を進める。


「オレたちと考えてること同じだったりして?」

「どうなんだろ。俺たちよりも色々かんがえてそうだけど。特に滉伽が」

「あー。それあるー。ありえるー」


 俺の隣を歩く太地の問いかけに滉伽の姿を思い浮かべながら口を開く。


「ま、白澤だしねぇー。あのひと」

「……たまに忘れそうになるけどね」

「たまに?」

「割と?」

「いつもじゃね?」

「そんなことは、ナイよ。たぶん」

「多分!」


 そんな風に笑って言い合いながら歩けば、ほんの少し後ろにいたすずがふと立ち止まる。


「すず?」

「どしたん?」


 何かあったのか、と彼女を振り返るものの、眩しそうに瞳を細めて彼女は笑って、静かに首を横に振る。


「?」

「だいじょぶ?」


 何も言わず。けれど、どこか嬉しそうなすずに、俺と太地が問いかけても、すずはやはり笑うだけで、何も言わない。

 その表情から、何かあったわけじゃないんだろう、と判断して、止めていた歩みを再開した瞬間。

 キィン、と強い耳鳴りが右耳を襲う。


「いっ」


 引っ張られる。

 そんな感覚に、痛い、という言葉が、言葉にならずに声が出た直後。

 リィン、と鈴の音が聞こえ、痛みが一瞬にして治まる。


「真備様」

「……すず」

「おー。すっげー」


 右耳を抑えていた手を離しながら、自分の名前を呼んだすずを見れば、彼女の手には、大きな白色と朱色の鈴が握られている。


 ―― あの鈴、どこかで見たことがある気がする。


 そう思った瞬間、小さい時の記憶がふいに頭をよぎる。


 ―― あれは確か、初めて旅行でこの県を出た時の ――


「父さんが、買ってくれた」


 あの小さな鈴。

 音が綺麗だと、気に入った俺に、父さんが買ってくれたもの。


 大きさは、全然ちがうけど。


「すず、それ、もしかして」


 父さんの  ――


 そう呟いた俺に、すずが驚いた顔をしたあと、喜びを隠すことなく笑う。


「そっか。すずが持っててくれたのか」


 数秒前まで忘れてすらいたのに、あの時の鈴だと認識した今は、何故だろか、何かがこめられている、とても大事なもののようにすら思えてくる。

 差し出された鈴に触れれば、じわり、と指先に温かさが広がる。


「これ……こめられてるみたい、じゃなくて、こめられてるのか」


 複雑に絡み合った呪に触れれば、懐かしさすら感じてくる。


「ああ、そうか」


 なるほど。

 そう呟く俺に、痺れを切らした太地が「どゆこと?」と口を開く。


「これ、昔、俺が父さんに買ってもらったやつで、この鈴、父さんの呪の力を感じる」

「親父さんの?」

「うん」


 ――  よく知っている、父さんの力だ。


 そう頷いた直後、すずから、ひゅっ、と不自然な音が聞こえる。


「すず?」

「……っ」


 不穏な気配に、彼女の名を呼んだ瞬間。

 彼女が身につけているの鈴の一つに亀裂が走る。

 すずを侵食していくかのような亀裂が、じりじりと伸びていくのが、まるでスローモーションのように、見えた。


「鈴姫!!」

「ッ、すず!!」

「……大、丈夫です。真備様」

「大丈夫じゃないだろ、ヒビが」

「ーっ?! 真備、鈴姫の手、握って!」

「太地? なにを」

「いいから! 早く!!」


 クソが!! と叫んだ太地がすずの手を握った俺の反対側の手を、強く握る。

 直後、太地を中心に強い風が吹き荒れた。



 強い風の真ん中にいる。

 そう自覚したすぐあとには、とてもよく知る場所が目前に迫っている。

 もう、すぐそこまで来ている。

 ただ、そこは向かうべき場所、ではなくて。


「太地、こっちじゃない!」

「何いって」

「すず自身は、今こっちに居ないんだよ!」

「え」

「あの橋! いまは最初の橋!」

「そっちかよ!!」


 マジか!

 そう叫んだ太地が慌てて隣町の方角へと方向を変える。


「真備ん家にいるんかと思ってた」

「少し前までは一緒だったんだけど、最近橋の近くにいるんだよ。念のため、って、すずが言い出して」


 なんてことないかのように話しながら、太地の操る風が、目的の場所へと走る。


 視線の先の、あの橋の近く。


「居た」


 一角から、見慣れた淡い光が漏れている。

 けど、それと同時に視える、輪郭の掴めない黒い色。


「……靄?」


 淡い光を放つ方角へと、太地の風がさらに強くなる。

 と同時に、術の詠唱にそなえて、札を数枚とりだす。


 黒い靄から、土の気を感じる気がする。


 それなら。

 金は土に弱く、土は ――


火式ほしき ーー 烽炎ぐえん!!」


 放った術が、黒い靄を取り囲み、炎を高くあげる。

 確かに炎はあがった。

 けれど、何かに引きずりおろされるかのように、ずるずると高さがなくなっていく。


「なんだ、あれ」


 そう呟いた太地の声が、幾重にも重なる。


 ―― なんだ、これ。


 ぬめりとした、重たい空気。

 纏わりつくソレを、俺は、知ってる。


 [……カラ……コ…………]




「真備!!」


 叫んでいる太地の声に、焦りが滲む。

 ―― このままじゃ


「散らせない……っ」


 劣勢じゃない。

 けど、楽勝、でもない。


 ―― 気を抜けば、靄に巻かれる。


 そう思った瞬間、ひときわ強く、濃い靄が烽炎の炎に巻きつく。


 それと同時にあたりに広がった桃みたいな匂いに、バッと匂いのもとを見やれば、一つの人影が、宙の中に消える。


「……な、んで」


 視線が交わったのは、ほんの一瞬。

 けど、俺の目に映ったあの人の表情が。


「泣きだしそうな顔、だった……」


 ただ、それだけの事実が、ズキリ、と深く重く、胸に突き刺さった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る