第40話 百年経とうと、千年経とうと。

「……あーあ、消されちゃった」


 屋上の建物のふちに腰掛ける彼女の小さな呟きは、誰にも聞かれない。


「……もう、いいじゃない」


 覚醒に向けて動き出した彼は、もう止まることはない。


 彼をずっと探していた。

 それこそ、何度も、彼の子孫が生まれる、命果てる時を、何度も、何度も見てきた。


 だから『彼』がいれば、『貴方』だって、いるはずなのだから。


 貴方だって、あの子に、会いたいはずなのに。


「どうして、来ないの」


 この町に、この国に、貴方の気配はあるのに。

 すぐ近くに、いるはずなのに。

 

「なんで来ないのよ」


 わたしが生まれ変われないことなんて、とうに知っているでしょう?


 わたしが、貴方以外に求めていないことなんて、とうに知っているでしょう?


 それなのに。


「…………何百年、何千年待てば、会いに来るのよ」


 黒い靄を手でいじりながら、彼女は呟く。


 会いになんて、行ってやらないんだから。


「絶対に」


 そう呟いた彼女は、するり、と姿を消した。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇



「……ちっ」


 忌々しい。

 そんな表情で舌打ちをする自分を、肩に乗せていた初月ういづきが不安そうに見上げる。


「また舌打ちをしてるよ。ぬえ様」

「おや、これは失礼」

「……探しているヒトは、大事なヒトなんじゃないの?」

「……仲麻呂なかまろにとっては、ですね」

「でも、あのマキビともあの国で会ってるんでしょう?」

「……そう、ですね」

「ずっと一緒にいたんじゃないの?」

「いえ、ほんの一瞬でしたね」

「そうなの?」

「ええ」

「でも、あのマキビの記憶に残ってる」

「……そうですねぇ」


 ふわ、ふわ、と初月の尻尾が揺れる。


「……嫌いなの? 鵺様は、あの人のこと」

「……嫌いなどと生温い感情では、ないですね」


 先ず何よりも奴と自分は相性が悪い。本当に良くない。

 自分は雷で、奴は水だ。


 とうの昔、奴が仲麻呂と出会った日に星が動いたと、真備は言っていた。


 けれど、それは、奴が来たから星が動き、真備と仲麻呂の距離は遠く、離れてしまったと言えるではないか。


 真備の放つ光に惹かれ、仲麻呂に乞われ、彼についてきたけれど。


 今の自分がいるのも、あの日の出会いがなければ、とは理解をしてはいるけれど。



 奴が来なければ、



 どろりとしたナニカが、胸の内に垂れ、侵していく。

 けれど


 ぴこ、と真白の耳が動く。

 この子からも、自分からも滲みでる幼き主の気配。


 どこまでも澄んでいて、柔らかいのに、中に含むモノは、途方もなく強く眩い。



 その気配が、この重苦しさを祓うのも、塗り替えるのもまた、彼の紡いだ縁だと、物語っている。


 いるけれど。


「……でも、誰かを大事って、誰かを大好きって思うことは、大切なこと、なんでしょう?」


 少しだけ首を傾げながら、初月は話す。


「まきびのお母さんが、小さい頃にまきびに言ってたもん。ココ、あったかくなるんだ、って。お母さんが、まきびのお父さんを大事に想うときも、お母さんがまきびを想うときも同じだ、って」


 ココ、と言った初月の尻尾が、人の心臓のあたりに触れる。


「ボク、まきびが大好きだから、ココ、あったかくなるよ。でね、まきびが大事に思ってる吉備真備あのマキビのことも、あのマキビが大事に思ってる人たちのことも、考えるとあったかくなるの。鵺様も、白澤様も、おんなじでしょう?」


 ほんの少し、眉根を下げて言う初月に、何故だか自身の主を思い出して、少し笑いを溢しながら小さな背に触れる。


「友の大事なひとは、自分の大事なひと、とやらですねぇ」


 はぁ、と大きなため息を吐き出す自分を、初月が不思議そうに見つめる。


「初月のいう、『あの』真備が言った言葉、ですよ」


 そう告げた自分に、「ふふ、やっぱり、まきびとマキビは似てるね」と、初月は嬉しそうに尻尾を揺らす。


「…………はぁ」

「どうしたの? 鵺様。お腹すいたの?」

「違いますよ。ただ……」

「ただ?」

「……気が、抜けてしまったなぁ、と」

「?」


 ぴこ、ぴこ、と動く初月の耳が、頬を掠める。

 本来ならば温かさなど不要なはずなのに、いまは初月の温もりが心地よい。

 初月を通して、伝わる幼子の気が、するすると胸の内も、身体中にも広がっていく。


「初月は、っちゃんとおんなじ匂いがしますねぇ」

「おんなじ?」


 ええ、と頷けば、えへへ、と初月が嬉しそうに笑う。

 その様子に、ふと、「……本当に、あの方が生み出したとは思えませんね」とぼそり、と呟いた言葉に、初月の動きが止まる。


「初月? どうしました?」

「あのね、あの……」

「初月?」


 ほんの数秒前まで、機嫌が良さそうに揺れていた尻尾も、耳も、ぺたり、と下がってしまっている。


「……あのね、大天狗様ね……気配が、ないの」

「……気配がないとは?」

「しないの、少し前から、どこにも」


 そう言った初月の耳は、完全に下がり、大きな目には涙も浮かんでいる。


「契約をしていても、生みの親があの方ですから、気配はあったのですよね?」

「うん……」

「繋がりは? なにも感じ取れないですか?」

「あるにはあるの。でも……」

「でも?」

「すごく、弱い」


 弱い。

 初月の零した言葉に、小さく息をのむ。


 あの方が、ヤラれるわけがない。その場合は、我々も気がつくはず。


 となると。


「何かがあって、外との繋がりを断っている。あるいは」



 断たざるを得なくなっている。


 そのどちらかであろう。


 その結論は、初月も同じだったのであろう。


「でもね、でも、きっと、すぐ出てくると思うんだよ!」

「……それは、何故です?」

「だって、大天狗様、まきびのことずっとずぅっと心配してたもん! だから、だから」


 大丈夫だもん。


 ポロポロと泣き出した初月を、抱え直し、扇を一振りする。


「初月ぃー……」

「ういづき……」

うん

「……あなたたち、一体」


 トン、と降り立った瞬間、滉伽こうが阿吽あうんの姿を認識すると同時に、阿吽の2匹が駆け寄ってくる。


「大天狗様いないってほん」

「こら」


 走りながら問いかけた阿の首元を、こうが容赦なく掴み、阿が「んぎゃっ」、と声をあげる。


「もう約束を忘れたのですか? あなたは」

「んぐぅ……」

「駄目だよ、阿。さっき駄目って白澤はくたくと話したでしょ」

「うう……ごめん……」

「謝るのはわたしたちではありませんよ、阿」


 優しい口調と声色で阿を諭す滉を見ながら、「言葉と行動がバラバラじゃないですか」と思わず呟けば、滉がギロリとこちらを見やる。


 その直後、初月ういづきがチラ、と視線を動かしたあと、じわぁ、と瞳にまた涙が溜まりはじめ滉は視線を緩める。


「初月」

「……白澤様……」

「きっと大丈夫ですよ。あの方は、そんな弱くありません」

「うん……」


 うん、と泣きながら言った初月の身体を、青白い光が包む。


「……まきびだ……」

っちゃんですね」

「……ええ。初月」

「……なぁに?」

「主は、そろそろお昼ごはんの時間でしょう。ですから」


 この時間なら大丈夫ですよ。


 そう言いながら滉が初月の頭を撫でた直後、初月の姿が消えた。







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