第39話 黒い靄と、金色と緑
声が聞こえる。
泣いている声
不満を言う声
怒っている声
笑っている声
誰かを、嗤う、声
声が重なり、不協和音の中から『ソレ』が生まれる。
「黒い、靄……」
校庭の真ん中に現れたソレが、拡がっていく。
「なんでこのタイミング」
これから体育の授業で校庭を使うっていうのに、なんで。
思わずそう呟けば、「このタイミングだからだろう」と
「……それって、どういう」
「ここに今、お前がきた。ただそれだけのことだ。力のある者に、力を持つものはひかれる。邪であろうと清廉であろうと、力は本人の意思など関係なく力を引き寄せる。ただ、それだけのことだ」
スッ、とほんの一瞬、金色に光った瞳が、俺を射抜く。
「いいのか、あのままで」
強まった視線に、「いいわけが無いだろ」と返せば、桂岐がふん、と短く答える。
そのままにしておいて良いわけがない。
誰かが触れてしまう前に、祓わなくちゃならない。
祓わなければいけないのに。
今までのものとは、何かが違う。
ノイズのように耳元で聞こえる音。
肺の奥を重くする空気。
手足に纏わりつく黒い影。
―― [ク、ウ。喰ウ、寄]
―― [ヨコ、セ……寄コセ……!!]
「……っ、中級に?!」
「寄せ集めだな」
「っ、そんな……っ」
いやだ。苦手だ。無理だ。
聞きたくない。
見たくない。
耳を、塞いでしまいたい。
きっと、
待っていれば、
俺じゃなくても、誰かが、祓ってしまえるんだ。
でも、
でも、
でも。
それでいいのか。
十四代目の俺は、それでいいのか。
選びにいくと決めた俺は、それでいいのか?
あの人が未来を託した、託された俺が、それでいいのか?
「……いいわけ、ないだろ」
馨結と滉伽が、信じてくれた俺が、それじゃ駄目だろ。
[チ……ヲ、ヨコ……セ!!]
ふる、と震えた手を、かたく握りしめる。
札も
出来る気が
「しな、い」
けど。
「立ち止まるのか。おまえは。耳を塞ぎ、目を瞑り、全てから逃げるのか」
「……できることなら、したいところだけどね」
「アイツは、アイツなら、そんなことは、しない。こんなところで、逃げたりしない」
俺の後ろに立った桂岐が、ジッ、と俺を見る。
「お前は、何のために術を奮う。何のために戦う? 何のために、そこにいる」
俺の中の『あの人』を見ながら、桂岐が俺を見る。
「何のためのだろうね」
知らない誰かのためなんて、そんな大それたことなんて、言えるわけがない。
「でも」
自分の知ってる範囲でも、自分の手が届く範囲だけでも
「護れるようになりたい。なるって、決めた」
俺には
「手放せないものが、たくさんある」
グッ、と腹の奥底に力をこめ、桂岐に背を向け、地面を踏みしめる。
――
――
「
ゴォッと音を立てて、冽風が校庭を走る。
「やっ」
「まだだ」
やったか?! そう呟いた瞬間、桂岐の声が語尾に被さる。
「……っ、マジかっ」
それなら。けど、まだ時間が。
「呪力を練るくらいの時間なら稼いでやる」
「桂岐!」
「遮蔽くらいはかけておけ」
「……っ、了解」
瞳の色を替えた桂岐が横に並ぶ。
「略式結界 隠遁! 結界陣 霊縛!」
重ねなくても良かったかもしれない。
けど、万が一にも、桂岐も、俺の姿も、他の生徒たち見られないように、強く念じながら、印を組む。
バッ、と結界が校庭を覆うと同時に、桂岐が走り出す。
拡がった黒い霧の中を、一筋の金色が途切れることなく宙に線を描く。
[グゥァアアア?!]
桂岐に怪我がないように、と思った瞬間、「根こそぎ祓うことを考えろ!」と桂岐の怒号が響く。
「でも!」
「……お前がやると、決めたんだろう?!」
ズザザザ、と地面を滑り止まった桂岐が、黒い靄から目を離さずに言う。
「見せてみろ。おまえの本気」
金色の瞳が、暗闇に輝く。
ギラリ、と輝いた光に、あの人が反応をした気がする。
そんなことを思いながら、「分かった」と短く答え、黒い靄を見据える。
繋がる。
続いている。
黒い靄。黒く長い、うねる太い根。
表面じゃない。地中から伸びている。
「……この根を、祓う!!」
いまなら
「出来る気がするっ!」
パッ、と宙に浮かび出た霊符に、組んだ印をぶつける。
[オマエ、ハ――ッ?!]
「願い奉る! 破魔の
術の詠唱が終わると同時に、桂岐が大きく後ろへと跳ねる。
[ギャァァァィァアアアァ!!!!]
耳に突き刺さるような叫び声の直後、薄緑色の風が、靄を包み、爆発音とともに、消えた。
「やっっっぱ、規格外すぎるんだよなぁ」
「……そうなの?」
「ね、そう思うよね!
「…………ふん」
やっと入れた! と結界を解いた瞬間に腕組をした
どうやら外で待っていてくれたらしく、少し離れていたせいか、太地が小走りで近づいてくる。
「オレ、待ってばっかりじゃね?!」
ぶぅ、と唇を尖らせなが言う太地に、ごめん、と返せば、「むー」と太地の唇がさらに尖る。
「……ごめんって。って太地、鼻赤いよ?! 寒くないの?!」
いくら晴れた日の昼前とはいえ、いま梅雨前だけど?!
そんなことを思いながら改めて太地を見れば、彼は半袖の体操服と長ズボンのジャージという組み合わせをしている。
むちゃくちゃ寒そう、と思わず呟けば「そう?」と太地があっけらかんと返してくる。
「あー、でも
頭の後ろで手を組みながら俺を見る太地に「なんでだよ」と返せば、「だって真備、ほっそいじゃん」と太地が笑う。
「これでもちょっとは筋肉ついたんだけど」
「ですってよ、桂岐くん」
「……ふん」
太地の言葉に、桂岐が俺をちらりと見てスタスタと歩き出す。
「あ、桂岐!」
その背に慌てて声をかければ、桂岐の足が止まる。
「ありがとう。助かった」
少し離れた場所から、そう告げれば、桂岐は沈黙のあと「まだまだだな」と言って歩き出す。
「……」
「……まだまだ、だってさ」
「……もー、本当に素直じゃないなぁ」
桂岐の言葉に、瞬きを繰り返していた太地に声をかければ、太地が呆れたように言う。
気がつけば、先生と他の生徒たちも校庭に集まっていて、桂岐のあとを追うように自分たちも歩き出す。
ふと「あ、そういやさっき、これ預かったんだった。はい、コレ」と太地が俺の手に、小さな鱗を渡す。
「これ」
受け取った瞬間、鱗は手のひらで雪の結晶みたいに溶けて消えたけど、絶対に
「え、ていうか、いたの? 馨結」
「いたよー、いるに決まってるでしょー? あの過保護の代表みたいなのが来ないわけないでしょー?」
「決まってはない気がするけど……。あと過保護ではないと思う」
「いーや、決まってますぅー。過保護ですぅー。真備と桂岐が見えなくなった瞬間に、おや、隠遁と霊縛を合わせましたか、って。言うだけ言って帰っちゃう
ぷんぷん、と口で言いながら自身の両手の腰に手をあてて太地は言う。
「え? ん? それだけ?」
「そう思うじゃん。マジでそれだけだったよ? 大丈夫かどうかなんて、離れてても出来るのにさ。マジで過保護すぎん?」
呆れた様子の太地に、「過保護なのか」と呟けば、「まさかの本当に無自覚!」と太地が大きなリアクションで驚く。
「いやそんな驚かなくても」
「いやいやいや、驚くっしょ?! なぁ驚くよね桂岐?!」
「オレに聞くな」
「あれ」
桂岐、いつの間に。
そんなことを思えば、「気づくのが遅い」と何故か怒られる。
「いいじゃん、それだけ気を許してるってことだよ、桂岐」
「…………」
「無言ってことは肯定だな」
にこにこと笑いながら桂岐に話しかける太地に、桂岐がふんっ、と息を吐いたあと背を向ける。
「でも何ですぐ帰ったんだろ」
「なんか、することあるっつってたけど」
「すること……」
うん、と頷く太地に、すること、と呟きながら、持久走開始の合図を聞いて走り出す。
穴もあいていない、平坦で、時々、小石が落ちている、ごくごく普通の学校の校庭。
さっきの爆発なんてなかったかのように、すっきりさっぱり綺麗な校庭と、チラ、と視線を動かした先の校舎。
そのどちらにもついていた黒い靄も、いまはもう見当たらない。
目を凝らしても視ることが出来ない。
前を走るクラスメートたちの背を、ぼんやりと眺めながら、小さく呟く。
「あれは、すぐに溜まるもの、だよな」
人の負の感情が呼び覚ますもの。
しばらくの間は、あんなにも大きなものになることはない、と思う。
「…………ちゃんと、祓えた、んだよな」
ぽつりと呟いた声に、「大丈夫っしょ!」と太地の声が聞こえる。
けど、
でも、
じゃあ、この喉の奥がざわつく理由はなんだろう。
消えない違和感が残るのは、何でなんだろう。
そのことに、手のひらを握りしめれば、「大丈夫ですよ」と溶けて消えた鱗から、声が聞こえた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます