第37話 白い狐は頑張りました。
「
「あるじ!!」
二人の必死な声が聞こえていたのに、彼から離れてしまうのが、寂しくて。
こんなにも必死に、俺を呼んでくれていたのに。
それなのに、
「無事ですか?! 怪我は?!」
「……ない」
「誰です? 坊っちゃんを閉じ込めるだなんて」
「あの……あのさ」
学校の屋上に場所を移され、そのまま、ぺたぺた、と俺の全身に触れながら確認するふたりに、何かを言わなくちゃ、と思うのに言葉が続かない。
結界が欠けたこと。
それが、どんな影響を及ぼすのか、検討とつかない。
彼が放った術と、自分の、差。
彼との違いを、はっきりと思い知った気が、する。
考えなくちゃいけないことは山積みで、やらなきゃいけないことも山積みのはずなのに。
あの時、すぐに動けなかったこと。
それも、声を出すことを躊躇わせる。
きっと。多分。あれは二人を裏切ったわけじゃないはずだ。
なのに、そんな気分になって、視線がどんどんと下がっていく。
それに、彼の、言葉の意味。
彼に会った時に考えた、「また、一人」の意味。
傍に、いるのに。
ふたりは、ずっと。
一人なわけが、ないのに。
そんな俺に気がついたのか、「坊っちゃん?」と
その声に、答えられなくて、黙ったままの俺に、「あのね」と小さな声が聞こえた
「あの、あのね、
「……
「大丈夫。大丈夫だよ、まきび。二人なら怒らないよ」
「……でも」
「もー! ボクが大丈夫って言ってるんだから大丈夫なの!」
ぽふんっ、と音を立てながら、少し毛並みが乱れて、少し汚れがついたままの初月が首元に巻き付いて俺と顔をつきあわせる。
「……でも、俺」
「坊っちゃん」
言葉を続けた俺と、馨結の声が被り、それと同時に、もふ、と初月の尻尾が頬にあたる。
「『彼』に何か酷いことでも言われましたか?」
「なっ」
馨結の言葉に、バッ、と顔をあげれば、馨結がいつもと変わらない表情で俺を見てくる。
「……言われてない」
「まぁ、でしょうねぇ」
答えなんて分かりきっていた、と馨結は笑う。
「……なんで」
「……分かりますよ、それくらい」
「……そっか……」
それしか答えられなかった俺に、やり切れない何かを抑え込むような、そんな表情を馨結が浮かべる。
その顔に、「ごめん」と呟けば、馨結がはた、と瞬きを繰り返す。
「え、何故です?」
きょとんとした表情で問いかけてきた馨結に、思わず「え?」と声がもれる。
「まあ、そりゃぁ、傷なんて作って? その上で私たちではなく、『彼』に治されてることにはちょっとイラッとしましたけど」
「え、いや、そこなの?」
「ちょっとじゃないですね。だいぶ、ですかね。いやだってそりゃあそうでしょう? そんな簡単に傷口を触らせるだなんて……それが呪いの類いだったらどうするんです?」
初月の尻尾があたっていない方の頬に触れながら、馨結が言う。
「あ、いや……まぁ……そうなんだけど……呪いとか……まったく考えてもいなかったというか」
「ええ、そのようですね。まあ、でも貴方が人に触れられ慣れているのは私たちにも責任があるでしょうし……」
「そうですよ。それに本当に駄目な人間なら、
馨結に続いた滉伽の言葉に、滉伽へと視線を動かせば、滉伽が小さく息を吐く。
「やっとわたしも見てくれましたね、主」
「……滉伽」
「心配したのですよ?」
「……うん……」
ごめん、ともう一度呟けば、「無事ならそれで良いです」と俺の頭をなでながら滉伽が言う。
そんな二人に、「ごめん」とまた呟けば、首元にいた初月がするり、と動きだす。
「まきび、ごめん、じゃないよ」
「……初月……」
「二人が言ってほしいのはごめんじゃないよ? そうでしょう? 鵺様、白澤様」
えい、と胸の前にきた初月を抱きかかえれば、初月が馨結と滉伽に向かって問いかける。
「そうですね。欲しい言葉はそれじゃないですね」
「ええ。そっちじゃないですね」
仕方ないですねぇ、と言いながら、馨結が俺の顔を見て口を開く。
「おかえりなさい、坊っちゃん」
「……馨結……」
「どうせ『彼』に会って悩んでしまって、私たちの声にすぐに反応できなかった、とかそんなことで悩んでるのでしょうけど」
「……当たりすぎてて辛いんだけど」
「坊っちゃんの思考回路なんてだいたい分かりますよ。ですよね、滉?」
「ええ、そうですね」
「……え、あ、はい……」
「主、ごめんなさいよりも、わたしはありがとう、が聞きたいです」
「……うん」
きゅ、と初月を抱きかかえる手に少し力がこもる。
「……二人とも、ありがとう。迎えに来てくれて」
2つの赤に、そう声をかければ、二人の色がほんの少し鮮やかになり、馨結と滉伽、二人が小さく笑う。
その様子に、ほっ、と小さく息をつけば、「ほら言ったでしょ? 大丈夫だ、って」と初月が俺に頬を寄せながら笑った。
「初月も頑張りましたね」
「というか、今日の一番の功労者ですね」
「……だね」
その功労者殿は、どうやら疲れてしまったらしく、俺の腕に抱えられ、肩に顎を置いたまま、すぴー、と静かな寝息を立てている。
「帰ったらお風呂とブラッシングですね」
「あと、お揚げさんも用意しておかないと」
すよすよと眠る初月の身体を撫でながら言う二人に、「そうだね」と呟く。
「……ねえ」
聞きたいことが、ある。
ずっとずっと、聞きたかったこと。
例えば、なんて言っていい話じゃないのは、分かっている。
でも。
いま、彼に会った今、聞かなきゃいけない気がした。
いまじゃなきゃ、聞けない気が、する。
「ふたりに、聞きたいことがある」
声を振り絞った俺に、
「なんです?」
「
ふたりの視線に、喉がカラカラになりそうで、こく、と唾を飲み込む。
「こんな話、意味がないって分かってる。聞いたところで、俺の自己満足でしかないのも分かってる。でも」
きゅ、とふたりの手を、指先を掴む。
その手を、この先 ――
「もしも、あの人……
そこまで言って、言葉が止まる。
―― 真名とは、その者の本質、魂そのものです
ふいに、昔、滉伽が話してくれた言葉が頭をよぎって、ふたりの顔を見上げる。
俺の次の言葉を、待っていてくれてるふたりの目が、胸の奥に何かを深く、深く突き刺した気がする。
そうだ、そうだよ。
真名を、教えてくれた意味は、軽い気持ちなんかじゃ、決してないはずなんだ。
だって、そうだろ?
命を預けてくれているのと、同等だろ。
それなのに。
「……なんで……」
「
「主?」
「なんで、そんなこと出来たんだよ」
いまみたいに、意思疎通すら出来てなかったのに。
将来どうなるかなんて、分からなかったのに。
「なんで、俺に」
俺なんかに。
もしかしたら。
想像のつかないらしい俺の未来が、ふたりの好奇心を刺激したのかもしれない。
もしかしたら。
自分の全てを預けてでも、知りたい、手に入れたいものがあったのかもしれない。
いや、でも、もしかしたら。
そう思う度、そう呟く度に、違う、そうじゃない、と誰かの声が聞こえる。
「だって、マイナスしか、無いじゃん」
損得勘定でいったら、マイナスしかないかもしれないのに。
プラスになる可能性なんて、無かったかもしれないのに。
でも、
それでも、ふたりは俺に、賭けてくれたんだろう。
俺の力に。
先の見えない、未来のために。
じゃなきゃ、あんな風に笑う顔も、必死に俺を呼んでくれた声も、説明がつかない。
そんなことを考え始めてふいに黙り込んだ俺に、「坊っちゃん?」「主?」とふたりが心配そうな表情で、俺の顔を覗き込む。
そんなふたりの覚悟に、胸の奥が熱くなる。
「俺、ヤバいくらいに、大事にされてんだね」
ふはっ、と思わず出た笑い声と、緩んだ頬に、馨結も滉伽もほんの一瞬、不思議そうな顔したあと、顔を見合わせて、同じような顔をして笑う。
これは、これが、幼い頃から、俺がよく見てきた光景。
いつも、そこにある、光景。
このふたりのために、ふたりの覚悟のために、俺が、出来ることは。
「……選ばれる、こと。いや、違う。運命なんてやつに任せるんじゃなくて、俺が選ばなきゃいけないんだ」
誰かに、なんて、他人任せじゃなく。
自分自身が、選びにいく。
それが、きっと
「……過去に、あの人に繋がる、道。あの人が、俺に託したものに、繋がる、
その瞬間、チカッ、と視界の端で、何かが煌めく。
「なに、今の」
「坊っちゃん……?」
「主、一体なにを」
ぎゅう、と力の籠もった指先に、ふたりを見れば、馨結も、滉伽も、淡く、光を帯びている。
「え、な、何?! 何で光ってんの?!」
どういうこと?! と慌てる俺を横目に、馨結も滉伽も、スッ、と目を閉じたまま、何も言わない。
「え、ちょ、ふたりとも??」
何だこれ、何が起きてんだよ?!
慌ててふたりの手を力いっぱい握り返せば、くくっ、と小さな笑い声が聞こえる。
「……は?」
「……まったく……本当に貴方は規格外ですね、坊っちゃん」
「……え? は? どういうこと?」
クックックッ、と愉しげに笑う馨結に、訳が分からずに、首を傾げれば、「主」と俺を呼ぶ滉伽の声が聞こえる。
「なに? って……え?! はっ?! 白っ?! な、えっ?!」
呼ばれた声に、視線をずらした瞬間、滉伽の髪が、黒から真っ白へと色を変えた。
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