第35話 この感情の名は

 「なあ知ってる? 隣町のアノ話」

 「あ、オレ聞いたー。アレだろ?」

 「そうそう。なんか勝手に、なんだろ?」



 今日、やけにざわついてるなぁ。

 そんな感想を抱きながら、同じ制服をきた高校生たちの後ろをのんびりと歩く。


「えー、でもさ、だいぶ昔っからあった、ってじーちゃんが言ってたよ?」

「いや昔からあるっつったっさあ、なんの前触れもなくていきなり真っ二つだろ?」

「え、オレが聞いたのは粉々だったけど」

「え、真っ二つだって。おれじーちゃんから写真見せてもらったし、なんだったらじーちゃんから写真きたし!」

「なんだし、さっさと見せろしー」


 ガシ、と隣を歩く友人の肩に手を回し言った少年に、手を回された側の少年が「おー、見せたる見せたるー!」と言いながら、器用に携帯をいじりはじめる。



「真っ二つ? 粉々??」

「あれ、っちゃん、知らなかったでやんすか?」


 ひょこひょこと動く頭に、つい手をおきたくなる衝動をこらえながら、「ひとつ目は知ってるんだ?」と問いかければ「もちろんでやんす!」と元気な声がかえってくる。


「あれですよ、あれ」

「あれ?」

要石かなめいしでやんす」


 そう言った一つ目の指し示す先には、ひとつの石がある。


「え、あれ?」

「あ、いや、正確にはいえば、要石もどき、なんですけどね!」


 要石もどき。


「いやいやいや、もどきって」


 なんだもどきって。

 そんなことを思いながら言えば、一つ目が「ですよねぇ」と笑う。


「けどけど、坊っちゃん。もどきとはいえ、要石もどきもそこそこの力があるでやんす」

「へぇ」


 ひょこ、と少し前に出た一つ目がこちらを振り返りながら口を開く。


「われわれにはあんまりっていうかほぼ意味なんかないんスけど、ちょっとみえる人間たちにはもどきぐらいかちょうどいいらしいのでやんスヨ」

「ちょうどいい? どういうこと?」


 くるくる、と指先をまわしながら、一つ目は言葉を続ける。


「坊っちゃんくらいにえてるヒトにゃあ意味なんてないんですけど、ええと、なんでしたっけ、ケンタ? キンキ?」

「え、なんで白い服きた髭のおじさん?」

「いやそっちじゃなくて! ご利益ありそうですけど、そっちじゃなくて! あれですよー、あれー、えーっと」


 うーんと、と言いながら首をぐねぐねとひる一つ目に、いまの会話から言いたいことを連想してみるものの……美味しそうな鶏肉しか出てこない。


「……坊っちゃん、からあげじゃなくてですね!」

「や、もうそれしか思い浮かばなくなった」

「そっちじゃないでやんすー! ええと……」

「……見鬼けんきだろう」

「あ、それでやんすぇ?!」


 ぴぇっ!! と小さな叫び声をあげて、一つ目が軽く飛び上がる。


「ぴえって」

「……煩い」


 ぐるんっとすごい勢いで俺の背中に回り込んだ一つ目に苦笑いを零しながら、横を見やれば、彼は眉間に皺を刻んでいる。


「え、すごいね、桂岐かつらぎ。俺、全然わかんなかった。もうからあげしか出てこなかった」

「いい加減、からあげから離れろ」

「はは、ごめん」


 ちっ、と舌打ちをしながらも、隣に並んだ桂岐の、表情と言動のちぐはぐさに、ふふ、と小さく笑えば「煩い」と彼はさらに眉までひそめる。


「やっぱり優しいよな、桂岐って」

「…………気の所為だ」

「気の所為じゃないでしょ。やっぱなんだかんだで優しいよ」


 優しくなかったら、いまこうして俺たちに構わないだろうに。

 そんなことを思いながら桂岐を見やれば、「ふんっ」と小さな息をはいて、桂岐はスタスタと歩き出す。


 その背を眺めながら、ふと、以前に桂岐が零した言葉が、頭をよぎった。



『ねえ、まきびー、それってそんなに大事なこと?』


 他の人には見えないようにしている初月ういづきが、俺の肩にのったまま尻尾を揺らし、不満げに零す。


(たぶん)

『ふうん』


 ぷらぷら。

 視えている初月の白く、もふもふとした尻尾に、先生の話をぼんやりと聞きながら、そっと手を触れる。


『わかんないなぁ』

(そう?)

『うん。だって、確かにむかし? のことは大事かもしれないけどさぁ。今ここにいるのは、ボクが知ってるまきびだもん。あっちのマキビはボク知らないもん』

(……でもさ、初月。知ってたとしたら?)

『知ってたっておんなじでしょ! まきびはまきびだよ! アヤヒトだって気にしてるのはそこじゃないよ!』

(……そうかなぁ)

『だって、ちょっと前のぬえ様とは違う目してたもん!』


 それは違う存在だからでは、そう思った瞬間に、初月が不貞腐れたのが分かる。


『もー、まきび、なんでそうなの!』


 ふんす! と初月の鼻息が首筋と手にかかる。


『アヤヒトはまきびを認めてないわけじやないの! ただ寂しかっ』

「あ」


 初月の鼻先が俺の顔の前に来た。

 そう思った瞬間、『ふぎゃっ』という声とともに、初月が肩から落下した。



「……お前たち、煩いんだが」

「え、俺も?」

「そんな煩かったん?」

「いや……そんなつもりは」

「鎌井は寝てたからな」

「あっはー、バレてぇら!」


 休み時間に入るや否や、あきらかに不機嫌な表情をしながら、桂岐が俺の机の横に立つ。


 その様子に初月とともにビクビクしながら桂岐を見上げれば、ほんの少しの違和感に気づく。


「ねえ、桂岐……」

「……真備?」


 つい、と伸ばした手が、桂岐に届く直前、俺の名前を呼んだ太地の声に、ぴた、と手が止まる。


「…………」

「え、何なになになに、ふたりともどしたん?」

「……いや……」


 きょろきょろ、と俺と桂岐の交互に、せわしなく視線を動かしながら、問いかけた太地たいちに、かろうじて「何でもない」と返せば、桂岐がほんの僅かなため息を零したあと、どこかへと歩いて行く。


「……桂岐」


 どことなく、その背が寂しそうに見えてしまって、思わず名前を呼んだけど、桂岐が振り返ることはなかった。



「ふふ。また会ったね」

「……お久しぶりです野田、先輩」


 にっこり、と自分を見て微笑んだ彼女に、声を返せば、彼女の笑みが深まる。


「キミは何を飲むの?」

「……バナナオレですかね。先輩は?」

「あたしは、イチゴオレ、かな」


 イチゴオレ。

 そう聞いて、なぜだか分からない違和感を感じつつも、自販機へ硬貨を投入する。


 チャリン、と小銭の落ちていく音。

 ガコン、と飲み物が落ちてきた音が、する。


「……どうぞ」

「……あたし、イチゴオレって、言ったと思うんだけど」


 困惑した表情の先輩と目が合う。


「でも、先輩は、こっちだと思ったので」


 そう言いながら、先輩に差し出した無糖の缶コーヒーが、先輩の細い指先へ渡る。


「……覚えてないのに」

「……そうですね。残念ながら」


 触れそうで触れなかった指先に、視線が留まる。


 ……少しでも、触れたら、もしかしたら。


「キミとあたしの、何かが分かるのかも、しれないね」


 ポツリ、と呟いた先輩の言葉に、バッと顔をあげれば、苦しそうな表情の野田先輩と目が合う。


「……先輩?」


 どこかで見たような、その表情。


 ずき、と心臓に痛みが走る。


 これは、何。

 今のは、何だ。


 ぐっと自身の胸元のシャツを握りしめる。

 痛い。苦しい。

 辛い。


 いや、でも、それよりも、どれよりも。


「でも駄目なの。それじゃ、駄目なの」


 きゅ、と先輩が缶コーヒーを握りしめる。


「先輩?」


「キミが、あの人を、連れて行ってしまったのだから」


 ――  あの人?


「だから、キミが、あの人を連れてきてくれないと、あたしは、動けない」

「動けない……? 先輩、動けないって、どういう」

「キミだって、あの人をずっと探しているのでしょう?」


 ―― 『あの人』

 

「あの人、って。別に、俺は誰も探してなんて」

「嘘よ」

「え」


「でなければ、キミが、何度も何度も、夢を見ることなんてないもの。何度も何度も、声を探すことなんて、ないもの」

「……どうして、それを」


 探しているわけじゃない。

 聞こえてくるんだ。

 見せてくるんだ。

 幾度となく、望んでも望んでいなくても


 俺の意思に関係なく


 溢れた涙も、溢れた嗚咽も

 あの瞬間、強く、強く、

 会いたいと、願うあの気持ちは、


 あの想いはまるで、


「魂の記憶、とでも云うのかしらね」


 そう呟いた先輩と俺の間に、さぁぁぁ、と風が吹く。

 ふわり、と先輩の髪が揺れる。


 風に揺れる、長い髪。

 抑える左手。


 そこに立つ、2つの影を、


 少し離れたところから見ているのは、



 誰。


 これが、


「……これ、が……魂の、記憶……?」

「人は時に、有り得ないことすら、引き起こすものだから」

「……それ、って」


 ―― 「ねえ君は、盈月えいげつ、って知っているかい?」


「だっ?!」


 耳元で囁かれたように思った。

 そのくらい、近くに聞こえた声に、周りを見回すも、誰もいない。



 誰、も。


 いつの間にか、俺、ひとりで。



 ―― 「また、俺は」

 

 

 ひとりなのか。




「……また?」


 また、って、なんだ。

 そう考えるものの、その先が纏まらない。


 ぐるぐると頭の中を、疑問がまわる中、ふいにふわり、と吹いた柔らかな風が、来訪者を告げる。


「どうかしたかい?」

「……君、は」



 居るはずの人がいなくて、

 居ないはずの人が、ここにいて。


「……何が、なんだか」


 訳がわからない。


 小さく呟くと同時に、ほんの少し、甘い匂いに包まれた。

 この匂い、知ってる。

 そう自覚した瞬間に、視界が滲んでいるのがわかる。

 呼吸が苦しいのが、わかる。



「……きみは、泣き虫なんだね」

「……そんな、こと」


 会いたかった。

 会いたくなかった。

 会わせたくなかった。


 会わせて、あげたかった。



 流れる涙が止まらない。

 息が、苦しい。


「大丈夫。大丈夫だよ、真備まきび

「なんっ」


 なんで、俺の名前を


 そう言おうとするも、声が出ない。


 ひたり、と合った瞳に、息がつまる。


 ―― ああ、君は


「……まだ、きみに会うつもりは無かったのだけど」

「な、……っんう」

「僕の、大切なひと」


 ぴと、と頬に触られた手のひらが、熱い。


「泣きやんで、真備」


 どくん、と心臓が大きな音をたてる。



 これは、何だ。

 この感情、俺は知らないのに。



 ―― 「会いたかった」

 

 そう呟いた言葉が、口の中で、溶けて消えた。


















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