第17話 鵺のデコピンは痛い

 時々、沸き起こるこの気持ちは何なのか。

 そんなことを考えかけて、止める。


「……どうせいつもよく分かんないし、まあ……」


 気にしても仕方ないんだろう。多分。

 まるで言い聞かせるかのように呟いて、目の前のピクリとも動かない自分の紙人形へと意識を集中させる。

 すると、ついさっきまで視えていなかった糸の先端が、ぷらぷらと空中を漂っているのが見える。


「人型から出てるやつがブッツリ切れてる……もしかして、だから動かないのか」


 ツン、と途切れている糸の先端に触れた瞬間、人型が、むくり、と身体を起こす。


「あ、動いた」


 突然、するすると動き出した人型はまるで、電池切れを起こしていたおもちゃが、電池を入れ替えた瞬間に動き出すような、そんな感じに見える。


「そうそう、その調子ですよ、っちゃん」


 そう言って、俺の切った紙人形の一枚を手にとってぬえは笑う。


「マジで? いい感じ?」

「遅すぎる第一歩としてはまずまずでしょうね。次はもっと距離を伸ばします」

「距離?」

「そう。距離です。坊っちゃんと式神との、物理的な距離」

「え、ちょ、早くない? 俺、いま動かせるようになったばっかりじゃん!」

「早くないですよ。言ったでしょう? 遅すぎる第一歩だと」


 せっかく動き出した俺の人型式神を、鵺は無情にもひょい、とつまみ上げて立ち上がる。


「はい、坊っちゃん、廊下に出て」

「え、俺が? 鵺じゃなくて?」

「当たり前でしょう? 部屋の中だけで鍛錬してどうするんです」


 ほら早く、と俺の背中を押しながら言う鵺に、「なあなあ」と振り返りながら声をかければ、鵺の手が止まる。


「なんです?」

「こういうのってさ、覚醒とかしたら一気に凄いこと出来たりするんじゃないの? 俺、小説とか漫画とかでそういうの読んだことあるよ?」


 ヒーロー映画とかだと、力を手に入れて、ある日、突然強くなる。みたいな。

 そんな描写を頻繁に見かける。

 だからもしかして、俺も?

 そんな期待をこめて鵺を見やれば、鵺は驚いた表情を浮かべる。


「ほら、やっぱりそうな」

「そんなわけ無いでしょう?」

「痛ぁあ?!」


 やっぱりそうなんだ、と言いかけた俺の額に、鵺が容赦なくデコピンをお見舞いしてくる。

 そのデコピンのあまりの痛さに、額を抑えながらしゃがみこんだ。


「坊っちゃん? いいですか? 呪術は暗記が必須項目です。ことを覚え、印を覚え、術を覚える。それの何もかもが揃ってもいないのに、唐突に無双になれるわけが無いし、いきなりチート能力が手に入るわけが無いでしょう?」

「おま、チート能力って、俺より知ってるじゃん! つかデコピン!手加減してよ!!」

「おバカな発言をする坊っちゃんには、痛いくらいが丁度いいんですよ。痛いくらいが」

「痛いくらいじゃなくて、かなり痛かったけど?!」

「でしょうね。痛くしましたから」

「しれっと言うなよな?!」


 きっ! と勢いよく立ち上がりながら鵺に抗議をするも、全く響いてすらいないらしい。


「だあ! もう!」


 どこ吹く風という表情を浮かべる鵺に、イライラしたまま部屋の入口へと歩き出した瞬間、グンッ、と身体の動きが止まる。


「なっ、」

「そもそも。きちんと鍛錬をしてこなかったのは坊っちゃん自身でしょう? 私たちがどれだけ心配してきたか、理解してます?」


 腕を捕まれ、そのまま鵺の胸の中に引きずり込まれる。

 背の高い鵺の声が、頭上から降ってくる。


「……鵺?」


 いつもと違う鵺の声に、彼を見上げれば、鵺の薄い紫色の瞳が、少しだけ揺れている。

 その瞬間、気がついた。


 鵺が、俺を通して、アノ人を見ていることに。

 鵺が、アノ人をとても大切にしていたことに。


 自分であって、自分じゃない。

 そう理解した次の瞬間。


「まっきびーー! ご飯だよおー!! ごっはあん!!」


 とてもとても元気な声とともに、すぱあああんっ、といい音を立てて、俺の部屋の扉が開いた。



「…………で、反省の言葉は思いつきましたか? そこの三匹」

「……いや、あの」

「えっと、えっと!」

「えっとね、うんとね!!」


 カタカタガタガタ、と大きな体を小刻みに震わせた白い毛並みを持つ三匹が、鵺から距離を取ろうと、必死に俺の背後にしがみつく。


「いや、その前にお前ら、全然隠れられてないけど」

「え、ウソっ?!」

「え、あ、本当だ?! 小っちゃくなるの忘れてた!!」

「わ、ボクたち丸見えじゃん!!」


 1%くらいずつしか隠れられていない阿吽あうんと、初月ういづきにそう声をかければ、どうやら彼らは全く気がついていなかったらしく、本気で慌てた声をあげる。


「ま、真備まきび! どうしよう!!」

「どうしようって言われてもなあ」

「真備なら何か思いつくでしょ?!」

「いや、何ていうか」


 阿吽の言葉に、口を開きつつ鵺を見て、言葉が止まる。


「坊っちゃん? どうしました?」

「わっ、ぶっ」


 そんな俺の様子に、鵺は首を傾げ歩き出した瞬間、初月の尻尾が、俺にぐるりと巻き付く。


「ボク、何があったかよく分かんないけど! よく分かんないけど、今のぬえ様に真備はダメ!!」


 そう叫んだ初月の尻尾が、きゅ、と少しだけ巻きつけた力を強くする。


「なにを言って、」

「だって、鵺様、まきびを見てない!! まきび、泣きそうなのに!!」


 初月の言葉に、真っ白になっている視界が少しぼやける。

 それと同時に、誰かが、息をのんだ音が、した。










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