第15話 同じだけど、違う人

真備まきび!」

「やあ、久しいな、ぬえ


 懐かしい感覚に、ぞわりと肌が動く。


「我が友の泣く姿をこうして見られるとは、いつぶりかな」

「ッ! 泣いてなんていませんけど」

「お前はそうやって嘘ばかり言って」

「嘘じゃないでしょう? それに何です? この仕掛けは。貴方がすんなり鬼籍に入るとは思ってはいませんでしたが、こんなやっかいな事まで仕組んで」


 こみ上げてきた「何か」を誤魔化しそう言った私に、クツクツ、と坊っちゃんが、いや、坊っちゃんの姿をした真備が笑う。


「……違和感しかありませんね」

「子の姿でこの笑いはなぁ。我が子はこうしては笑わんからかぁ」

ていたのですか。そこで、ずっと」

「……さて、どうだろうか」

「……貴方はまたそうやって……」


 すぐそうやってはぐらかす。

 言葉にせずともそう言った私に、真備はケラケラと愉快そうに笑う。

 坊っちゃんは、そんな風には、笑わない。

 そう思うのと同時に、変わらない真備の本質に、胸の奥のほうがグッ、と何かに掴まれたような気分になる。


「それにしても、鵺は随分と変わったようだなあ」

「変わった?」

「ああ。僕といた頃よりも、楽しそうに見える」

「……まあ、飽きることは無いですね」

「なるほどなぁ。お、さあて、そろそろかな」

「そろそろとは、ああ、アレですか」

「ああ」


 私と真備、どちらもが一つの方角を見ながら、「アレ」と言った直後、存外に強い風が書庫の中へと吹き込んでくる。


「鵺! 今、真備の気配が!!」

「ほら来た」

「まったく、貴方は本当に煩いですね」


 フハッ、と笑い声を吹き出した真備の姿を見て、書庫に飛び込んできた白澤はくたくの動きが、止まる。


「心配せんでも、ぬしらにしか伝わっておらんよ。此処にも術をかけてあるしな」


 ニッと昔と変わらぬ悪戯好きな笑顔を向けた真備に、白澤は何も言わずに思い切り飛びついていく。


「おおお、なんとも熱烈な歓迎じゃないか、白澤」

「真備、真備っ!」


 グリグリと頭をよせて彼の名を呼ぶ白澤に、「おう」と答え、白澤を抱きしめ笑う彼の顔は、ほんの少し照れくさそうにも見えた。


 けれど、そんな光景は一分とも保たず、グイッと自身の身体を真備から引き剥がした白澤が、彼の顔を覗き込みながら口を開いた。



「真備様は、どこです」

「大丈夫。我が子はいま、眠っているよ」

「そう……ですか。真備、あなたの子、真備様は」

「ああ、知っているよ」


 言いかけた白澤の唇に、真備が人差し指をあてる。


「僕の我儘に子らを巻き込んだことは、悪いことをしたとは思っている。だが」

「真備様のために、必要だったのでしょう?」

「ああ。この先の道筋は我が子の運命。選ばれぬのも、それも運命だ」

「しかし!」

「大丈夫。ぬしらが育てた子、そんなに弱くないのだろう?」


 選ばれぬ者。

 その言葉が含むある種、残酷な決定に、白澤は顔色を変えるものの、そんな白澤を見て、真備は彼特有の柔らかな笑顔を浮かべ答える。


「……ええ」


 彼の言葉に、静かにうなずく。


「それに、人は予想もつかないから、面白い。そうだろう? 鵺」


 真備の問いかけに、「あなたが言います? それ」と答えつつほんの少しだけ首を傾げ笑う。


 そんな私を見て、白澤も、真備もいつぞやの時のように、顔を見合わせて笑う。


 けれど、私たちは、知っている。

 あの時間は、過ぎ去ったものだと云うことも。

 この時間は、限りのあるものだと、いうことも。


「ふたりとも。この子の可能性は、方図がない。だからこそ、導き、手を貸してやって欲しい」

「……そんなこと、貴方に言われなくても」

「そうですね。真備に言われなくてもですよ。それに、坊っちゃんが手がかかるのはいまさらですし」


 真備の言葉に、白澤も私も返す言葉は同じで、私たちの返しを聞いた真備はほんの一瞬、驚き瞬きを繰り返すものの、「くはは。それもそうか」と愉快そうに笑う。


「さて。そろそろ時間かな」

「真備」

「そんな顔をするな。二人とも」


 私たちを見て、真備が目尻をさげ困ったように笑う。


「ふたりとも、我が子らを、この子を頼んだよ」


 静かに、けれど真っ直ぐに私たちを見た真備の瞳は、星霜を経ても輝きが変わらない。


 言葉にならず、ただただ頷いた私たちを見て、真備はまた困ったように目尻を下げ、静かに笑った。



 ◇◇◇◇◇



『………さて。我が子とこうして話すのは初めてだね』

「……貴方は」

『君の遠い遠いお祖父さん、というところだろうか』

「……吉備きびの真備まきびさん、ですよね」

『ああ。そうだ。我が子、真備よ』


 起きなさい、と静かに、けれど優しい声に目を覚ませば、眠りにつく直前まで居たはずの書庫ではなく、アノ人の記憶の中でよく見かける濃い霧の中に立っていた。


 霧の向こう側に立つ、一人の影。

 自分よりも背が少し高いようにも、見えるけれど。

 っていうか、さっき、遠い遠いお祖父さんって……お祖父さん?

 ということは……ご先祖様? うん……?それってどういう。


『我が子よ』

「え、あ、はい!」


 ぼんやりと考えごとをしていた俺に、アノ人こと、吉備真備さんは、くつくつと笑いながら『そうさなぁ』と柔らかな声を発した。


『遠い、先祖、ということになるであろうなぁ』

「やっぱり、そうなんですね」


 陰陽の祖、吉備真備が自分のご先祖様。

 急に言われてもピンとは来ない。けれど、この人が今ここで嘘をつく必要なんて、ないだろうし……


『まあ、そういうことだ』

「……なる、ほど」


 考え読まれてるし。

 静かに息を吐いた俺に、『真備』と彼が名前を呼ぶ。

 それは、俺の名でもあり、彼の名でも、ある。


『主がこの世に生を授かった日。星は騒ぎ、星が動いた』

「それ……」


 じいちゃんも同じことを言っていた。

 何かが起こるのではないかと、ヒヤヒヤしたのだ、と。

 でも。


「何も起きなかったって、じいちゃんは言ってました」

『そう。その時は何も起きなんだ。だがな、物事には必ず意味がある』

「意味……?」

『そうだ。真備、主のソレにも、意味がある』

「ソレ?」


 それ、って何ですか。

 そう問いかけようとした瞬間、トンッ、と胸のあたりを何かに叩かれたような軽い痛みが走る。


『すまない、我が子よ。あまり、時間がないのだ』

「え、ちょ、時間が無いってなんですか? それに、さっきのソレって何?」

『我が子ならば、大丈夫だ』

「ちょ、ちょっと待ってください。意味がわからな」


 消えてしまう。

 大事なことを何も聞けないまま。

 なぜだか分からないけど、頭の中によぎった考えに、霧の向こう側へと必死に手を伸ばす。


 伸ばしても掴めるわけがない。そう頭では理解している筈なのに、手を伸ばさずにはいられなかった。


『また、すぐに会おう。真備の名を持つ我が子よ』

「すぐにって」


 どういうことだよ?!

 届かない手から力が抜け、ぐん、と重力が下へと引っ張っていく。

 けれど、俺の手は、振り子のようになる前に、誰かの手によってしっかりと掴まれていた。

















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