第14話 夢買ふ人
「ほう? それで朝からそんな頑張っていると」
「頑張ってる、っていうか、何ていうか?」
「まあ別にいいんじゃないですか? そろそろ自分の身は本当に自分で守らなくちゃですし」
「それ、昨日、
「まだ秘密です」
「またそれ?」
学校に居たはずが、いつの間にか自宅に戻っていて、しかも時刻もかなり進んでいて。その上、目が覚めた瞬間に、一つ目には抱きつかれて大泣きされ、その声を聞いた白澤が飛んできて説教されること数時間。
やっとのことで眠りにつき、目が覚めた今朝。
なんとなく、本当に自分でも理由なんて分からないけれど、なんとなく、きちんと修行をすべきなのかも知れない、と思った俺は、朝から家の敷地内にある書庫に籠もって、いくつかの書物を手にとっていたところだった。
「まあまあ、ちょうどいいじゃないですか。坊っちゃん、今日は念のため大事をとって学校はお休みになってますし、私も付き合いましょうか?」
「お、本当に? 読めないところとかもあって困ってたんだ」
「辞書持ってきましょうか?」
「教えてくれるんじゃないのかよ?!」
「前にも言ったでしょう? 自分でやってなんぼだって」
「えぇぇぇ……これ読み解くだけで何日かかるんだよぉ……」
紐で綴じられた昔ながらの本と巻物を前に、がっくりと肩を落とした俺に、
「なぁ、鵺。もう座ってる俺の背丈を超えそうなんだけど」
「大丈夫ですって」
「何を根拠に」
「開いてみれば分かりますよ。多分」
「……多分って」
「百聞は一見にしかずですよ、坊っちゃん」
はらり、と結んであった巻物の紐をほどき、俺の手の上に転がした鵺に、分かるわけないじゃん、と言おうとした言葉が、文字を目にし止まる。
「……なんで?!」
「何でって、当たり前でしょうに」
「いや、待って、何が?! だって俺、古文とかまあまあ苦手だけど?!」
「そりゃあ種類が違いますからね」
「種類って……なに?」
パラパラと手に持った本のページを捲りながら、鵺は少し考えたあと、口を開く。
「翻訳機能搭載、みたいな?」
「誰に?」
「坊っちゃんに」
「俺に?!」
人差し指を片頬にあて、小首をかしげながら言う鵺の言葉に、驚きながら自分を指差せば「何をいまさら」となぜかものすごく呆れられている。
なんでだよ!
「だって坊っちゃん、小さい頃から見てるじゃないですか、これ」
「これ?」
「それ」
とん、と自身の持っていた本を閉じながら言った鵺の言葉に、またさらに首をかしげる。
「なぁ、鵺、さっきから鵺といつも以上に意思疎通が出来てない気がするんだけど」
「んー。そうは言われても、分からなかった頃に戻すってのは出来ないですし」
「いや、それはそうなんだけど……」
一度知ってしまったからには、知らなかったことには出来ない。
鵺が昔からよく言う言葉だけど。
俺はいま、なんで俺がこれを読めるのか、が知りたいのだけど……。分かっていてはぐらかされているような気になり、鵺をジ、と見やれば、「坊っちゃんは欲しがりさんですね」と鵺が妙な言葉と溜息を吐いた。
「坊っちゃんにしてみたら昔から慣れ親しんでいる文字なんですよ。この手の本は」
「そんな記憶さっぱり無いんだけど……いつから?」
この文章とも言えないような、漢字の羅列に、記号の数々。
一部は、じいちゃんや白澤、鵺に教わって知っているものもあるけど、それにしたって、いつから、何で?
「もう、言ってしまうなら生まれてからずっと、ですかね」
「生まれてから……」
「絵本のかわり読んでたりしてましたからね、十三代目が」
「父さん?! 何してくれてんの?!」
驚く俺を全く気にすることなく、鵺はほんの一部を指さす。
「ほら、このあたりの字列。読めるでしょう?」
「蘇婆訶って、これ『ソワカ』、だよな。呪で使うやつ。確か……なんちゃらになりますように、とかそんな意味の……」
「そうですね。あと
「……聞いてはいるけど……ぼんやりだ」
「それは坊っちゃんがちゃんと聞いてこなかったのが悪いんです。まぁ、でもとりあえず、坊っちゃんはスラスラ読めるはずなんで、とりあえずこの山、午前中に読んじゃいましょう」
「……え……」
「大丈夫ですって。これくらいなら。今までサボってたんですから取り戻すんでしょう?」
にっこり、という効果音がぴったりな満面な笑みを浮かべた鵺に押し切られる形で、俺は泣く泣く山積みにされた書物に手を伸ばしたのだった。
文字とおり山積みにされた本のうちの一冊。
『夢買い』
他者の見た夢を、買い取ること。吉夢でも悪夢でもどちらでも可能。
「夢、買い」
どこかで聞いたことがあるような気がする。
「備中……の国司……名は……」
―― お前、名は?
――
―― 吉備、備中の者か
―― そう。流石、
「仲麻呂! それならば、君の夢を僕に売ってくれ!」
僕の言葉に、振り返った友が、目を見開く。
「真備、こんな時になにを」
「こんな時だからだ、君だからだ! 僕にとっての、君だからだ!」
涙で、彼の顔が、見えなくなりそうだった。
「言え! 友よ! 君の夢を、僕が買おう! この命をかけて!」
そう叫んだ僕の声に、友の口が開く。
「真備! 俺の夢は――」
「あべの、な」
「……っちゃん、坊っちゃん!」
ぺちぺちと俺の頬を叩く必死な顔をした
「ぬ、え?」
どうしたの、と声にならないまま目で問いかければ、鵺がはあああ、と本当に深い息を吐き出す。
「うん? え?」
「……無事ならいいんです。何もなかったのなら、それで」
「無事? 何、で俺、また泣いて」
ひょいと俺が持っていた本を自身の手に移しながら、頬を一撫でした鵺の手が、俺の頬に流れていた涙を拭う。彼の手はひやりとしていて気持ちいい。
思わず目を閉じた俺に、「休憩しましょう、坊っちゃん」と鵺がいつもと変わらない声で、俺に言った。
「はい、麦茶」
「あ、うん」
ずいと眼の前に出されたグラスを受け取り、口元へと運ぶ。
あんな山、絶対に読みきれないと半ば自棄になりながら読み始めたものの、ものの数分で、山積みの大量の本というマイナスな感情、よりも読める楽しさが勝った。
気がつけばもう最後の本の、終わり部分に差し掛かっていて、時間もだいぶ経っていたらしい。
鵺の持ってきてくれた麦茶が、身体の中を通っていくのがよく分かる。
「っはぁー」
「一気飲みですね。おかわりいります?」
「いや、大丈夫」
カランと液体がなくなったグラスの中の氷が静かな音を立てる。
「なぁ、鵺、俺が最後に読んでいた本」
「……気になりますか」
「アノ人の声が、聞こえた。その本から。途中までは普通だったのに」
そう言って、鵺の手に渡った最後の本を見やれば、鵺がどこか痛みを堪えているような表情をしながら、「でしょうね」と静かに答える。
「なあ、鵺」
「……はい」
「その本、さ」
「気に、なりますか」
「うん」
そう言った俺を見て、鵺はほんの少し視線をさげたまま、持っていた本を手渡す。
「真っ白になってる」
ついさっきまで、表紙も、中身も書いてあったのに。
今は何もない、ただの紙の束。
ざらりとした感触だけが、指先から伝わる。
何で、と問いかけようとした言葉は、いつもとは違う鵺の様子に、声にならずに止まる。
「なぜです。私を置いていった貴方なのに。なぜこんな本を、ここに預けたのです」
「鵺?」
苦しそうな表情のまま、視線をあげた鵺と目があう。
それなのに、鵺は俺を見ていないような気がして。
「鵺?」
彼の名をもう一度呼んでも、鵺は俺を通して、違う誰かを視ている。
「どうして、坊っちゃんの中なんです? どうして、坊っちゃんを選んだんだ。真備」
「真備、って、鵺。まさか」
―― 「すまんな、我が子よ」
「その声、は」
―― 「今だけ、代わっておくれ」
一番近くに居た大切な人が泣く声に、遠くから聞こえた優しい声が、俺の瞼をそっと伏せた。
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