第12話 皇妃の正体と思い出

真備まきび、一体なんだと言うのです。そもそも、あの女は」

「皇妃で、楊貴妃ようきひ仙狐せんこだろう? 」

「……それ以外にもありますが」

玉藻前たまもまえだろう?」

「あと、他にも」

「まぁそうだなぁ」


 二人からほんの少し離れた場所に半ば無理やりに移動し、ちょうどいい石の上に腰をおろす。


 抗議の意味もこめて真備の名を呼べば、彼はあっけらかんとし、だからなんだという表情でこちらを向いた。


「貴方、気づいていたのなら何故、彼に何も言わないのです?」

「いや? 今さっき気がついたばかりさ」

「……それならば尚更なぜ」

「別に大した問題じゃないだろう? 人か人で無いかなど。それにぬえが怒ったのはそこじゃないだろう?」


 そう言って、真備は近くに生えている草木へと手をのばす。

 さきほどの自分の妖気によって、ほんの少し元気をなくした葉先たちを、愛おしむような視線で撫でる真備の背に、のし、と体重をかければ、真備は小さな笑い声をこぼす。


「……子どもじみているとでも言いたいのでしょう?」


 まるで不貞腐れている幼子のような言い方だ。

 自分の発言にそんな風に思いつつも、口から出てしまったものは、仕方がない。

 そんな自分の発言に、真備はまた小さな笑い声をこぼすものの、「鵺から触れてくるのは久方ぶりだなあ」などと、少しずれた言葉を口にする。


「なぁ、鵺」

「……なんです」

「僕だって、たまたま通りがかっただけだったとしても、濡れた布を顔の前でバサバサとされたら腹も立つさ」

「……はい?」

「あと、最後に食おうと残していた好物を食べられてしまった時とかにも腹が立つかな」

「……相変わらず、貴方はおかしな例え方をしますよね」

「でも君には伝わっているだろう?」


 そう言った真備が、くくっと楽しそうな笑い声をこぼす。


「彼女はたぶん悪気は無かったと思うぞ」

「……悪気もなにも……」

「誰かに少しちょっかいを出したくなる。そんな時だってあるだろう?」


 真備がいう通り、あの女、妲己だっきは姿を見せた時に、若干の妖気をぶつけてきたものの、妲己にしてみたらだいぶ少ないものだ。

 だが、その行動に、お気に入りのものを横取りされるかのように思った私は、あの女に殺気を向けた。

 いまになって考えれば、真備も仲麻呂なかまろも、あの程度の妖気と蠱惑の術に惑わされるような二人ではない。

 落ち着きを取り戻した今、そう考えた瞬間、さっきの自分の態度になんとも言えない気持ちになって、私は一人大きくため息をついた。



「よくよく考えてみれば、誰かにちょっかいばかりを出していたのは真備まきびのほうなんですよね」

「……何の話です?」

「……いえ」


 ベッドに寝かせたっちゃんからは、思い出の中の彼の面影など一ミリも、何処にも見あたらない。

 けれど、坊っちゃんからほんの僅かではあるものの、確かに彼の気配を感じることも事実であって。

 もう何度目になるか計り知れない小さな胸の痛みは、「あー!」とあたりに響いた阿吽あうんの声に掻き消されていった。


「ねー! ねー! 鵺! 白澤はくたく様!」


 ガラッと勢いよく戸を開け、元気よく自分たちの名を呼んだ声に、振り返る。


「阿吽! 真備様は眠っているのだから静かにしなさいとさっき言ったではありませ」


 ありませんか!! と続くはずだった白澤の言葉が中途半端な位置で途切れる。


「おや、アナタは」


 怒っていたはずの白澤の感情が一気におさまっていく。

 その様子が妙に滑稽に見え、思わず吹き出して笑えば、「そこ! 笑わない!」と白澤がビッと自分を指差しながら吠えた。


「まだ寝てるのか」


 阿吽に大歓迎されながら此処にきたのは、さきほど学校で別れたばかりの桂岐かつらぎ綾人あやひとが何の迷いもなくこちらへ歩きながら問いかける。


「起きているように視えるのならば貴方の目はこの数百年で随分と腐ったのだと思いますけど」

「……お前」


 私の答えた言葉に、目つきを険しくしながら呟いた桂岐を一瞬だけ見やるものの、どうやら桂岐の意識はもうすでに坊っちゃんへと向いているらしい。


「……結局は、彼に惹かれる、ということですか」

「……鵺?」


 ぼそり、と呟いた言葉に、反応をしたのは白澤ただ一人で、「なんでもありません」とだけ小さくつぶやく。



「おや、キミは……」

「……初めまして、桂岐といいます。真備君とは同じクラスで」

「はい、こんにちわ。キミもお煎餅、食べていきなさい」

「あ、いや、すぐに……」

「十二代目がそう言ってるんです。いいから早くあがってきなさい」

「……さきほどから思っていたのだが、なぜ貴様が指示している」

「おや、記憶を取り戻すのに随分と時間がかかった貴方に言われたくもないですが?」

「……チッ」

「まぁまぁ、少しくらい騒がしいほうが真備も目を覚ますだろう。あがっていきなさい」


 にこにこと目尻をさげ、桂岐に声をかける十二代目に、信じられん何故こいつを家にあげる、という意味で視線を投げつければ、十二代目はちらりともこちらを見ないまま「はっはっ」と愉快そうに笑っている。


「……この狸爺」

「狸というより狐と言われるほうが多いがのう?」

「そうですか? どちらにしても此方よりであることには変わりありませんが」

「人として終わらせるつもりなんだがのう」


 よっこいせ、と声をかけながら、坊っちゃんの部屋の椅子に腰をおろした十二代目のあとを追うように、桂岐も部屋へと足を踏み入れる。


「さて。どこから話すべきかな?」


 スッ、と扉が閉ざされるのと同時に、そう言った十二代目に、桂岐の視線が注がれる。


「言うても、キミが儂に聞きたいことは、そう多くはあるまい?」


 じ、と自分を見つめる桂岐に、十二代目は視線をそらすことなく真っ直ぐに見返りながら問いかける。

 ほんの少しの間、十二代目に視線を注いだあと、桂岐は静かに口を開く。


「何故……あいつの魂が、コイツ、賀茂かもの身体にいる」

「それはなぁ……分からんのだ」

「分からない、とは」


 静かに目を細めた桂岐の瞳が、黒色から金色へと変わっていく。


「そうさなぁ。ひとまず、爺の昔話にでも、付き合わないか?」


 そう言って、静かに持ってきた茶を、湯呑に注いだ十二代目を見て、桂岐は小さく息を吐いた。









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