第11話 四人が出会う

 彼の血族と縁を繋いでから千年以上の時が過ぎたが、人間の世界、ましてやこの国は、大きく変わった。

 昔のように私たちをるものも減り、夜の闇が街を覆うこともめったになくなった。


 過ごしにくい、と一部の妖怪たちはボヤいているようだが、慣れてしまえば、そう不便を感じることもあまりない。

 あるとすれば、時折訪れる破壊衝動だが、っちゃんが産まれてからは、それもまただいぶ収まっており、派手に暴れることもなくなった。

 まぁ、ムシャクシャすることも多々あるが、白澤はくたくをからかうことですっきりもするし。

 それを白澤がどう思っているかなどは知らないし、これから先も気にするつもりなどこれっぽっちもない。


「あなたの言う昔なんて、私たちにしてみれば、一昨日くらいの感覚ですよ。昔というのは……」



 昔。

 むかしむかし。


 あれは、まだ、私の同類がこの国ではただの妖しにすぎず、かの国では、『ぬえ』と呼ばれていた頃。




 「あ、鵺! やっぱり此処にいたか!」

 「貴方、また此処に来たんですか?」



 ガサ、という草を掻き分ける音とともに現れたのは、一人の端正な顔立ちをした青年で、その顔を見てついた私の大きなため息など、彼は聞いていやしない。


 「邸の中で名を呼んでも姿を探しても見つからぬからな。もしかしたら此処かと思ってな」


 ははっ、と楽しそうに笑う彼は、この地からは遠い、海を渡った国からやってきたという。


 「いつも思うんだが、此処は空気が良いよな」


 そう言って、んー! と両腕を広げて伸びをする彼を見やる。

 今、私と彼がいるこの場や、入り口にある深い藪には、道迷いと惑わしの術がかかっており、人間が入ってこれぬようにしている。

 それにも関わらず、彼はある日、突然ふらりとこの場へとやってきた。


 「一つ、聞きたいことがあるのですが」


 解せぬ。

 いくら入り口を変えようと、どれほど藪を深くしようと、彼はなんて事のない顔をして私の前に現れる。


 「お、鵺から物を問われる日が来るとは! なんだ? 僕のいた国のことか?」


 どうやっても解けぬ謎を解消すべく声をかければ、彼は妙に楽しそうな表情を浮かべて私を見る。


 「貴方の国のことは今はいりません。そうではなく、貴方、何故ここに入ってこられるのです」

 「何故、とは?」


 私の問いかけに、不思議そうな顔をして、首を傾げる。


 「この場所にたどり着くまでに、いくつかの術がかかっていたはず。今までは、その全てを解けた者を私は見たことがなかった。それなのに貴方は、いとも簡単に私の前に現れる。一体、何故なのです」


 ズイ、と顔を寄せながら彼を見やれば、彼は「何故、といわれてもなあ」と頬をかきながら呟く。


 なぜ、この者なのか。

 なぜ、この国の仙人たちではないのか。

 なぜ、あの者ではないのか。

 なぜ、この者だけが、入ってくるのか。


 彼が来る度に悩み、その度に、らしくもなく妖術の練度をあげることばかり考える。


 そんな私の悩みを知るわけもないこの男は、「そうさなぁ」と組んでいた腕を解き、ツツツ、と宙の風の層に指先で触れる。


 「強いて言うのなら、透明な糸のようなものが、視えたから、だろうか?」


 ううん、と眉を潜めながら言う彼の言った言葉に、「糸?」と返せば、彼が「ああ」と静かに頷く。


 「確かに、ただ見るだけなら、ただの藪、ただの川、ただの茂みだ。けれどこう……目を凝らしてじいと視てみるとな。視えるのだよ。色のついていない、透明な糸のようなものが」

 「……糸……」

 「ああ。それが、いつもいつも複雑に絡み合っている。けれどな、鵺。こうやって指を近づけるとな、ほんの少しだけ緩むのだ」

 「……そんなもの」


 そのような術を組んだつもりなどないが。

 そう言葉に出しかけて止める。

 そういえば、いつも、この男は此処に入る前に、何かをなぞっているように見えた。

 それが。


 「糸、ですか」

 「ああ。あ、でも、今もあるぞ」

 「……はい?」

 「ええと、例えば、これかな」


 そう言って、彼がフッ、と『何か』に軽く息をかけた瞬間、さきほどまでは見えなかった糸のようなものが、ふよふよと空中を漂っている。

 糸、と呼ばれれば糸であるし、細かい何かの集合体、と言えばそうかもしれない。


 「確かに、糸のようだ、といえば糸のようですね」


 そう言いながら目の前の糸越しに彼を見やれば、「鵺もそう視えるか」と彼は嬉しそうに笑う。


 「多分、これが鵺にも糸のように視えるのは、僕がさっき『糸のようだ』と話したからだよ」


 「どういうことです?」

 「これはお師さまの言葉の受け売りなのだけどね。そもそも術というのは人によって視えかたが違うらしいんだ。ましてや、君は僕たちと種族が違うからね。術も呪いも僕たち以上に当たり前なものじゃないか。意識せずともすぐそこにあるから、あえて姿形なんて認識しないだろう?」


 ほんの少しだけ、寂しそうな表情を浮かべた彼がまた、目の前の糸に触れる。


 「まあ、そうですね。術だとか呪いだとか、そんなものは貴方たちが勝手に名付けただけで、貴方と話すのに私は便宜上、その言葉を覚えただけですし」

 「ははは、そうだったね」

 「けれど、だからといって、なぜ私にも糸のように視えるのです?」


 あれはいつもそのあたりにあるものだし、姿形などは特に無かったはずだ。


 「ああ、それは、僕が便宜上、姿形を認識できるよう呪をかけたからね」

 「……真似しないでくださいよ」

 「真似などしていないよ」


 思わず眉間に皺を刻みながら言った私に、彼はくつくつと小さく笑う。


 「それにしても、人間とやらは面倒ですね」


 ひらひら、と言うべきなのか、ふよふよ、とでも言うべきなのか。

 目の前にただよう丸いものたちも、木の陰からこちらを見るものたちも、人間の中でも視えるものと視えぬものがいる。


 「鵺」


 そんなことをぼんやりと考えていた私に、くつくつと笑っていた彼が、もう一人の同郷の者と会わせたいと言ったのは、それからすぐのこと。



 「鵺! 彼は仲麻呂なかまろというんだ」

 「……初めまして、ではないな。鵺殿」

 「ええ、そうですね」

 「あれ、お前たち、知り合いだったのか?」


 そこから。

 坂道を転がっていく石のように、私たちは、長い時間をともに過ごす中で、いつの間にか共にいることが当たり前になった。

 そして、もう一人。


 「……貴女は……」

 「……貴方は、安倍仲麻呂あべのなかまろ殿。そちらのあなたは、吉備真備きびのまきび殿、ね」

 「……随分と綺麗な人だなあ。なぁ、仲麻呂。……仲麻呂?」


 花の蜜のような匂いは、人を惹き寄せる。

 それは彼女の魅力でもあり、術である。


 「……皇妃、だ。真備」

 「え、わっ?!」


 サッ、と頭を下げた仲麻呂の手が、真備の頭を後ろからグイ、と下げる。


 「貴方たちと、お話がしたくて此処に来たのです。頭をあげてくださいな」

 「……っしかしっ」


 そう言って近づいてくる妃に、仲麻呂が困惑した声をあげる。


 「でないと、わたくし、そこの彼に射殺されてしまいそうですわ」

 「っ鵺?!」

 「待て! 鵺!」


 バッ、と慌てた様子で顔をあげた仲麻呂と真備に、目の前にいる女にぶつけようとしていた妖力を止める。


 「二人とも、何を慌てているのです?この女が、これくらいで倒れるわけが」

 「駄目だ、彼女は……、っ!」


 私を見たあと、くるりと皇妃を見た仲麻呂の動きが止まる。


 「……仲麻呂?」


 その様子を不思議に思った真備が、仲麻呂と皇妃の様子を見やった時、「……これは……」と苦しそうな表情で、小さく呟く。


 「……真備、どういうことです?」


 状況が理解できない。

 なぜ、仲麻呂と女は目が合っただけで、息をのんだのか。

 なぜ、その二人を見た真備が、苦しそうな、辛そうな表情を浮かべたのか。


 「あ……えっと……とりあえず、僕たちは少し黙っておこうか」

 「はい?! あ、ちょっと、まき」


 グイ、と私よりも背の小さな真備が、背伸びをして私の口を抑え、自身もまた、声を出さぬように口をきゅ、っとしめた。



















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