英雄がいない

「父上を殺した貴様が、私に何の用だ?」


 魔王の娘が、俺にそう言った。逃げることのできない檻の中で、そう言った。


 ここは奴隷たちが収容されている、とある市場だ。場末も場末、世界の隅も隅のそのさらに片隅で、彼女は息をしていた。


 生きていた。


 汚らしい服装に唯一、家畜のような首輪が光る。いや、その比喩はまるで意味がない。実際彼女はそう遠くない未来、どこかの誰かに買われて、家畜として生きるのだろう。


「戦争に負けた者たちの最後さ。覚悟は、していたさ」


 彼女は俺に言う。その「最後」をつくり出してしまった、俺という人間に。


「気分はどうだ、『英雄』」


 それは嫌味か、それとも心からの敬意か。その問いに俺は答えない。答えられない。俺が今どんな気分かだなんて、そんなの。答えられる答えなんて、ない。


 俺と彼女に、どれだけの違いがあるのだろう。俺が負けていれば、俺が英雄でなければ、全てがひっくり返っていたのだろうか。彼女が俺を、見下していたのだろうか。


「わざわざ会いに来てだんまりかい?何とか言ったらどうなんだ。なあ」


 私を憐れみに来たのかと、そう問い質すような目で彼女は俺を見つめる。彼女は人を殺した。だけどそれは俺も同じ。彼女の仲間を殺したし、もっと言えば彼女の肉親を殺している。悲しみや、怒りの度合いなど測れやしないけれど、少なくとも彼女は、俺よりも世界を呪っていいと、そう思えた。だけどそんな素振りのひとつも見せない彼女は、どこまで現実を理解して・・・


「なあ、英雄」


 と思った矢先。彼女が立ち上がった。立ち上がって、ゆっくりと俺に近づいた。だけど俺と彼女の間には壁がある。どうしようもないほど理解できなくて、分かり合えない壁が。


 彼女は錆び付いた鉄柵に掴みかかると、喘ぐように声を荒げた。


「あんた、英雄なんだろ・・・?みんなを救った英雄なんだろ・・・?みんなを救うから、英雄なんだろ・・・・・!?」


 目を伏せてボロボロと、彼女は涙を流す。


「・・・・・・・・・・・・・・・なら、なんで私は、救われていないんだ・・・?お願いだよ、私にも、英雄をくれよ・・・。あんたを、くれよ・・・・・・・」


「・・・・・すまない」


 俺は、英雄じゃないんだ。だって英雄は君の言う通り、みんなを救うものだから。


 君が救われていないと言うのなら。


 この世界に、英雄なんていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る