きみはまだ正気でいるか?

 10時19分0秒。


 私は席から立ち上がり、階段を上がった。そこから少し歩いて、奥から二番目の左の席に座る。そこでちょうど10時20分になった。


 ピー、という機械音と共に、私の座る席以外の席に即死レーザーが照射される。そんなものに目もくれず、私はペンを握った。席が替わったとしても、やるべき仕事は変わらない。私は、機械音よりも機械的に、無感情にペンを滑らせた。


 10時29分0秒。


 私は席を立ち上がり階段を三つ下った。30分になる前までに席に着く必要があるので、さっきよりも少しだけ、駆け足になる。今度は真ん中の一番奥の席に座った。30分になると再び、ピーという機械音と共にレーザーが照射された。もちろん私の座る席以外にだ。


 階層は全部で5つあり、それぞれの階に複数の席がある。例えば今いる一階は、右に3つ、真ん中に4つ、そして左に7つの席がある。2階は円状に25の席が並んでいて、3階は法則なく無造作に机が配置されている。それに意味があるのかと言えば、多分、ない。


 この建物には私しかいない。正確には『私しかいなくなった』だ。何の音もしない、無駄に広い空間で一人息をすると、どこまでも気がおかしくなっていく。それでもまだ、数を数えるだけの正気が私に残っていることが、唯一の不幸だった。


 56、57、58、59。


 この席に着いてから9分を体感で感じ、私は再び席を立った。この建物に時計など存在しない。だから今が10時39分0秒であるというのは、あくまで私の体感だ。2階の正面から右に9つ数えた席に座り、私は僅かな時間、仕事に没頭する。没頭すると言っても、数を数える必要があるので少なからず意識を残している。この仕事に意味があるわけではないが、与えられた分を終わらせないと私は殺されてしまうので、この気がおかしくなる環境で、数を数え続けながらも仕事をこなす。できることなら早く気をおかしくして、みんなみたいに死にたい。何故私はこんなにも正確に時間を感じることができるのだろう。何故私は一度たりとも間違えず、次に座る席を記憶できているのだろう。


 10時49分0秒。


 50分になる前までに、次の席に座る。次に座る席は5A9で、その次が3KK2で、次が4B6、1A1、3YK12、2A24、3ST11、・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


 10分ごとに訪れる死を前に、それでも私は正気を保っている。


 正気を保っている。


 正気を保っている。


 しょうきをたもっている。

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