盲目のデザイア

 命は大切に扱えと、親から教わった。だが命は散り際が最も美しいというのは、覆しようのない事実だ。死の狭間でこそ手に入れられるものがあると、私はそう信じている。でなければ今、こんなことをしようとはしていない。私のこの行いを、愚か者のすることだと揶揄する人もいるだろうが、それを重々承知の上で、私は命を粗末に扱うことを決めた。


 私は人生を変えたかった。どうにかして、今いるこの世界から抜け出したかった。みんなと同じ世界を、生きてみたい。そう考えた時、思いついた方法がこれだった。他にも方法はあったのだろうが、頭の悪い私には、これしか命の輝かせ方が分からなかった。


 不思議と、怖いとは思わなかった。死にたくないと思ったことも、一度もなかった。別に私の人生に生きる価値がなかった訳ではない。むしろ幸せに溢れた素晴らしい人生だったと思う。だけどそんな充実した、何不自由ない人生では、私の求めているものは得ることができない。ただ、それだけだった。


「じゃあ、いってらっしゃい。お前の願いが叶うことを祈ってるよ」


「こんな役目を押し付けて、ごめん。本当に感謝してる。ありがとう」


 協力してくれた友人に、心から感謝を述べる。彼がいなければできないことだった。本当はやりたくないはずなのに、私のために彼は、ここまで連れてきてくれた。


 彼は私に念押しをする。「後悔だけは、するなよ」と。私はその言葉に確かに頷く。


 扉を開け、その前に立つと、果てしないほど澄み切った風が私を歓迎してくれた。とてつもない轟音だったけれど、それが心地よい。私はその風に向かって倒れ込んだ。着の身着のままありのまま、何を身に付けることもなく、私は穏やかな気持ちで空に身を投げた。


 天から舞い落ちる、この感覚。地面に辿り着けば当然、何の抵抗もできずに私は死ぬだろう。だからこそ、受け止めきれないほどの命の輝きを知る。


 私の命が散るまでの、ほんの数十秒の間。私は願いを叶えるために、必死に空を見上げる。まだ一度も見たことのない、話に聞くばかりの空を。


 そんな生と死の狭間で、初めて、私の瞼が動いた。目の奥に、今までの人生で一度も感じたことのない感覚が、次から次へと私に襲いかかる。それが噂に聞く光であると理解するのに、私は数秒を費やす必要があった。今私は、闇の世界から抜け出した。やっと私も、みんなと同じ世界を生きることができる。それがたとえ、数秒の間だけだったとしても。


 地面はすぐそこまで迫っていた。その刹那に、私は、目を開けた。


 嗚呼。


 これが、空なんだね。


 ずっと見たかった。


 この美しい世界を、たとえ死んででも、見たかったんだ。

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