空を買う

 空飛ぶ車が開発された。それは間違いなく人類史に残る大発明だったけれど、おかげで世界は狭くなった。上を見上げるとそこには青空ではなく、発明の汚点が広がっていた。灰色の煙は空を汚し、私たちは僅かな隙間からしか美しい空を見ることができなくなった。


 やがて浮遊技術の進化が進み、あらゆるものを空中に浮かせ、維持することができるようになった。すると今度は車ではなく、家やらマンションやらの建物が建てられ、大地を離れて暮らし始める人々が現れた。それまでみんなのものであったはずの空に値段がつけられ、次から次へと色んなものが建てられていく。領地ではなく領空を争うその様は、人々がどれだけ卑しいかを再認識するばかりだった。欲しかった空を人に奪われると、今度はさらにその上に家を建てる者が現れ、そうするとまた別の者がその上に家を建てる。子供の喧嘩よりも浅ましいその行為は次第にエスカレートしていき、気づけば建物ではなく、世界そのものが階層化してしまっていた。大地に住む者、その上の空に暮らす者、さらにその上の空に暮らす者、そのさらに上の空に暮らす者。空の値段は異常なほどに上がり、既に一般人が買える代物ではなくなっていた。


 下の階層に生きる者はまるで地下で暮らしているかの如く、空を見ることはできなくなっていた。最上空で暮らす人々だけが空を独占し、彼らはその優越感に浸りながら酒に舌鼓を打つ。光の差さない圧迫感と閉塞感は、空を一目でも見ることを夢の出来事にした。


 月日が流れると、空を見たことのない子供たちが産まれてくる。彼らに空の話をすると、まるでお伽の国の話でもしたかのように目を輝かせた。私はその姿を見てある決心をする。


 家も研究も名誉も捨てて、私は今までに積み重ねてきた自分を全てお金に換えた。そしてそのお金を使って、ほんの僅かな幸せを買った。それは、地上から空を見ることができるというだけの、本当に些細な幸せだった。


 その買い物を不思議に思った最上空に住む男の一人が、地上に降りてきて私に尋ねた。


「よくこれだけの空を買う金があったなあ」


「世界をこんな風にしてしまったのは、私ですから」


「でもどうしてあんた、空を買ったのに何も建てないんだ?一番上で暮らせばいいじゃないか」


「そんなの、分かりきったことじゃないか」


 何処にいたって、空の美しさは変わらない。


 それに私は。


 本当の意味で、


 私が欲しかったのは、あんたらが感じる優越感なんかじゃなくて。


 あの青空なんだよ。

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