第29話 道中 4

 そう、卒業……私は、彼と別れた。

 そう語ると、言い方がおかしいだろうか。学校には出会いと別れがある、そういうことだ。


 彼が三年生に進級すると、徐々に疎遠になった。

 話す時間が、ではない。なんというのだろうのだろうな、しいて言えば意識が離れて行った。彼の卒業が見えてきた頃、たまに会うだけという程度になり、そのまま―――自然消滅というやつなのか。

 ものすごい喧嘩別れになるよりは、良かったのだ―――そう思ってみよう。


 話もアドバイスも、もっとしたかったんだがね。

 家くん、キミと仲良くなりたい。そしてそのやり方がわからない。

 そういう話があるよ、そういうクラスメイトがいるそうだよ、と。

 そんな台詞を用意していた。

 この辺りは蒔田先生の功績である。

 話して何が悪いのか、という気もする。


 まあ、言って何になるんだという気もしたがね。

 彼はその話の後、すぐさま『今週の、意外性があったランキング~』と言い出してマイナーな作品を紹介するのだろうね。

 目をつぶれば浮かぶようだよ。

 本当に、コンビニでマンガ談議しているのが好きな男子だった。

 それだけだなんて、本当にそれだけだけだなんて―――そんなことがあるのかねえ。


 そっと離れていた。

 ゆるやかにいなくなった。

 と、言いはするが何のことはない―――珍しいことではないのだ、生徒との触れ合いとしては。

 どのような生徒も、どのような高校生も―――大多数の生徒は。

 教師わたしから離れていく。

 優れた生徒も、そうでない生徒も、明るい生徒も、暗い生徒も。

 結局やることは同じ―――これが教師から見た、学校の真実ではある。

 


「良きとも……か、良き生徒と先生の間柄か」


 随分と話し込んだが、そんな関係になれていたか?

 彼は本当に完全に、彼が好きなマンガの話をしていた。


 彼がマンガが好きで。

 マンガが面白くて。

 また、コンビニさんも、そうであることがわかったのみで。

 思えば、脇から見ていただけのようでは?


 彼が私の隣を通り過ぎて行ったとはいえ、私も、暇を持て余すことはあり得なかった。

 現代の学校教師の運命というか―――、平凡な日常である。

 なんのことはない、同じことの繰り返しである―――私は、別の生徒に話をするようになった。

 彼の一つ後輩にあたる生徒……男子も、女子も新顔が来る。やって来る。

 その子に環境係の説明をしたりしなければね。


 やらなければならない役目だ。

 向き合わないといけない―――なんて言い方は、口癖だった。

 私が若い頃の。


 そうして時が過ぎて。

 実は私は、家くんとはそれほど仲良くなかったんじゃないかと思うことも、増えてきた。

 彼が草むしりをしている時に、最初に声をかけた日を思い出す。

 私と会話をする以前から、彼は楽しそうだったのだ。



 結局、彼の名前の本当の読み方を聞かずじまいだった。

 聞くタイミングはたくさんあったし、親交をより強固にするためならば必要なアプローチだったはずだ。

 だが、そうしなかった。

 出来なかったのか……?

 そういうことだろう。

 彼は、私が「いえくん」と呼ぶことをどう思っていたのだろう―――もしかして、実は嫌だったのかな。

 そうではないと信じたいが……。



 職員のうちの、一人二人は、私をからかうこともあった。

 彼にべったりですねだとか、彼がお気に入りだったんですか―――と。


 楽しそうではあったが、何も知らん連中だ。

 私が知らないことを、知らない連中。

 適当なことを―――私は結局、彼の名前すらも知らないままだったというのに。

 

 彼との時間。例えるならばそれは―――偶然出会った野良猫に、歩み寄る行為のように思われた。

 おそらく逃げられる。

 どんなにゆっくりそれを、行ったとしても。


 しかし猫が嫌がる近寄り方と、そうでない、猫からすれば許しがたい近寄り方は確かにある。

 技術は存在する。

 私は幼い日に、友人の兄に教わったことがあるために、たびたび猫の毛並みをたまわることが出来たがね……。

 まあ、彼は、家くんは猫ではないのだが。

 兎にも角にも、私は上手く近づけたらしい。

 ……どうしてだろう。


「近づけた……はずだ」


 近づかなかったかもしれない。

 話しかけない未来もあったかもしれない。

 彼には大切なものがあり、それを好きであり―――素敵なものを見つけた。

 だから先生わたしがいなくても、つまり―――幸せだった。

 

 本当にマンガが好きな男子生徒だった。私は彼にとっては、ついで。二の次だったのだろう。付随するだけ。

 たまたま近くにいた教師。

 それが荒谷先生。

 そのことに、特に傷ついたりもしない心がある。

 これが、つまり、老いなのだろう。


「わが校の生徒が、素晴らしいものを持っている―――素敵なものを見つけていた」


 

 そう思うことにしよう。それは良い高校だ。

 良い、物語だ。

 そうだ―――いったい何が悪いことなのか。

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