第30話 道中 5


 また違う視点のお話をするとしよう。

 いつもと違う景色の話だ。


 それは卒業式の日だった。

 家くんの学年の―――卒業式である。私は一通り、教え子の―――音楽の授業で教えた子らを眺めていた。ただそれと同じように、彼の姿を探す。

 少し探し回った結果、彼の顔を見つけた。


   

 卒業式での彼は、ステージを見つめていた。

 真顔だったが―――楽しそうではある。

 よくよく見れば、わずかな憂い、戸惑いを浮かべているようにも見えた。

 ひたすらにマンガが好きな生徒で、没頭の達人ではあった、だが。

 

 さて家くん―――君が、なぜ笑顔だったのか。

 何がそんなに、キミを楽しくさせたのか。私は聞かされたから全部知っている。

 ―――簡単だったね。

 そんなに難しいことじゃあ、無かったんだね。

 ちょろいもんだろう、高校生活なんて。

 社会人になっても、キミがそうなってくれることを祈るよ。

 

 笑顔で、幸せを享受してくれ。

 幸せを受け取れば、いずれは、誰かに幸せを与えたくなる。

 そのような人間になれば、社会人になれば、私からキミへの文句は何もない。


 学校で、幸せに出会えた生徒がいる。

 そうなれない生徒もいる。

 知っている……ただ、キミは見つけたようだね、素敵なものを。 


 実は毎年、生徒のことに関して、同じ過ちを繰り返しているようにも思える。

 それでも年々、自分に適した……つまり、近づきやすい生徒をしっかり大切にしようと思うようになった。

 私が選ばなかった生徒は、少し生徒は、無視する。

 私はね……そうする。

 そして他の教員なかまが何とかしてくれる。



 女子生徒に関してなんて、あっさりと女性教員に役割を投げたりもしている……口うるさい適格者が、在任しているわけだしね。

 あきらめることは、仲間に任せるということでもあるよ。



 これから巣立つ、旅立つ者の表情だった。

 その日の彼は、普通の生徒に見えた。

 私は違う。旅立ちはしない。

 ここで生徒を見る。ここから外に行っても何もできやしない―――そんな人生を、自らの意思で選んだ。



 そうして彼はこの学校から巣立っていった。

 中庭で、見えなくなった背中。

 もう何度目になるか―――学校から姿を消した、生徒たち。

 今回は語らないが、話してよかった生徒は何人もいたのだ。

 彼と同じか―――いや、もっと別の魅力ある子もいたはずだ。


「ふう―――つまんないねぇ!」


「どうしたんですかァ、先生?」


「学校とか仕事とかがつまんない。キミも気をつけなぁよ?大人になったら、結構大変だぞ」


「……」


 近くにいたその生徒は、驚きはしないものの首を傾げた後、友達のもとへ駆けて行った。

 本気で思っているわけでは―――ある。

 ただ、中庭の四角い空に向かって口に出してみると、それでやっと楽になるだけだ。

 やってらんないよ、そんな気になるよ。

 どんなに気に入った生徒も、三年間。か。

 経ったらいなくなるんだよ?



 ————————————



「先生って、どんな生徒ヒトとでも話すの?」


「うん? そうするよ、そうするつもりだよ」


 そして、全員とは無理だった。


 新しく出会った若い生徒。

 顔が小さい―――家くんよりはね。そんな印象を受けた。

 下級生たる彼に、家くんの話をしたい衝動に駆られた時もあった。

 マンガの話をしていたことだ。 

 これから出会う生徒たちと、笑える話として。


 だが話してみれば、並んで草むしりをしてみれば。

 彼は彼で、家くんに劣らない魅力を持った生徒だった。

 詳しい話は、今回語ることはない。

 まったくテーマの違った、長い物語になるからだ。



 

 ―――これは教師である自分へ、戒めのように思っていることが、ある。

 私は、学校にいるわけだけど。

 生徒はいずれ、巣立っていく。

 三年経てば、私の眼の前からいなくなる。

 もっと早くに去った子もいた。

 ―――私は教師である立場上、学校にずっといるからねえ。

 どうしても何か、不公平な気分にはなるがね。


 どんなに気に入った子でも、そうでなかった、つまり波長の著しく異なる子も、終わってしまえば同じ景色だ。

 生徒の去る背中———。

 そして何も出来ることのない私。

 この出来事、そこに何の悪意もはかりごとがないとしても不公平に置いてきぼり―――。

 学習のカリキュラムを謀だと言ってしまえば、それまでだが。


「キミもね、いなくなるんだろうねー、どうせ?」


 あーあ、寂しいねえ老いぼれに対して、なんて仕打ちだよ?

 置いてけぼりな老いぼれ。

 単なる軽口に聞こえるように注意しつつ―――隣で草をむしる若き新人に語り掛ける。

 彼は困ったような表情をした。

 草と私を、交互に見つめている。

 思ったよりも真に受けてしまったかい?


「どうせいなくなっても、悪いことではないんだよ。どこかしらで素敵なものを見つけなさい」


 それまでは、せいぜい私の会話の相手をしてもらうよ。

 私たち教師は、ここを居場所とする。

 ただキミたちにとっては―――道中なのだから。


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