第26話 道中 1
しばらくたったある日のこと。
廊下で家くんが、誰かに話しかけられているのを目撃した。
家くんに、対面している生徒。
それは性格が激しい性質の少年だ、ということしかわかりえなかったが―――。
「お前のこと好きな奴なんて誰もいないからな! 教室にいないからな!」
知らぬ男子は、叫んでいた。
その会話というか、言葉を投げつけられていたシーン。
どのような事情があったか、私は全てを知らない。
駆け寄れるような距離でもなく、呆気にとられた。
口出しはしなかった。
――――――――――――――――
翌日。
「いやあ、今日読んだところがですね、先生———これが意外で、
彼と出会ってから、なんの脈絡も無しに会話を開始できるようになってから、随分な時がたった。
知り合ってから正確に何か月なのかわからなくなってきた頃合いだ。
私の中で、人生の歴史の一部分となりつつある彼。
彼はこれまで通り、懸命に作品を説明していた。
ネタバレはしたくないんですがね、と彼は前置きした。
群具煮のであるところの槍くんが、度重なる激戦でついに骨折をしてしまったんですよ。
そうして槍くんと家族会議を開き、いったん本格的な修理をしよう、修業は取りやめにしよう―――
武器としての槍に、当然のように骨が入っている身体構造。
誰もそこに
ふだんは作品の重要なネタバレは絶対にしない彼ではある。
あるが、私が別にいいよ、と言ってからは……その作品に関してではあるが、頻繁に内容を話すようになった。
最新話の内容を。
許可をした。
私はマンガの内容や秘密よりも、家くんの声が聴けることを重んじたのだ。
時折ではあるが―――マンガの原作よりも、それを彼が話した方が、より作品の魅力が増す気すら、したのである。
そんなはず、あるわけないのに。
「それでどこに行ったと思います? 言おうかなあ言っちゃおうかなぁ~うーんでも言わないほうがいいかなぁ~?」
そんな彼と、私は苦笑いしながら話していた。
この頃には、彼は、彼という人間はヘラヘラと笑ってばかりいるなという印象すら持てた。
実に楽しそうに笑う生徒である。
そういった表情変化だけ切り抜くと、女子を感じさせるものがあった……とは私が抱いた、一瞬だけ抱いた感情だ。
女子のようにコロコロと。
男子の中には、表情がまるで変らぬもの、変えようとしないというものもいた。
その方が格好いいから、とする性別なのだろうな。
まあ私世代ならわかりもするがね。
また、言うことがコロコロと変わる男など、最低の者だとも父親から怒鳴られたものだ。
自分は仏頂面な性質だ、といわれたらしい彼だが、そんなことは全く思わなかった。ギャップがある、という風に思えるようになった
私から見た彼に、そんなことは―――そんな無機質さはない。
その草むしりで、少しだけ家くんがクラスメイトとの、不仲の話をした。
まあ寝て起きてしまえば、彼の様子は元気そのものではあって、昨日のことは記憶から抜け落ちているようにも見えた。
パッと見たところ、家くんの表情とはそのようなものだ。元気そのもの。
「先生———俺、楽しいんですよ。俺は、俺は楽しいんですよ―――毎日、こういうことやってて――—でもでも
という話をされた、彼は多くを語らなかったが、まあ語っても―――重いのだろう。
親しい関係になれない生徒が、クラスにいた。
面白くない話なのだろう―――少なくとも、群具煮よりは。
「俺が思ってた通りですけどね。それは」
そうして話を簡単に切り上げた。
―――いやな話を忘却する。
まあ、いいよ。
それは、忘却は―――人生において重要なスキルだと、この齢になって感じる。
だって、よいことを、たくさん覚えなければならないから。
そういった技術が、すさまじかった同僚も知っている。
「でもまあ―――シンプルなんだけど―――シンプルっていうかなあ」
「そうだね」
コンビニでマンガ談議してるだけ。
それだけで……こんなに楽しいのに、俺のやっていることはとても簡単なんだ。
こんなに簡単なのにな。
どうしてわかってくれないんだろう。
家くんは、少し寂しそうに呟いた。
ま、わかれって言ってないけど。
笑ってはいた―――笑いながら、やはり悲しそうではあった。
どうして真似をしないんだろう、こんなに……簡単なことを出来ないんだろう。
「本当にそうだね……」
家くんよ、それは簡単というほどではない。
好きなものがある。
一つか二つか……すべてではない、好きになる。
そしてそれを毎日続ける、持ち続ける……。
一日、二日、百日……。
キミのそれを、その技術が、まったくできない生徒もいるんだよ。
ヒトは簡単に飽きる。
ヒトは継続しない。
あきらめていく生徒は、たくさんいた。
誰にでも出来るものじゃあないよ―――好きの継続は。
嫌いなものを、見てしまうからね。
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