第18話 学校で見た風景 2


 私は教師だ。

 ただ、特別に優秀な教師ではなかったと自分を評価している。

 この歳に、定年間近にせまるまでの道筋を振り返って、思う。

 ただ―――逃げなかった。

 私は逃げなかったと、思う。


 難しい毎日を、答えのない日々を逃げなかった。

 それを目指して、信条として、生徒と向き合っている。

 まだ学校にいる。

 生徒たちが私を通り過ぎて行っても。



―――――



「―――これは、俺の知り合いの話ですけれど」


 その日、私の隣で草むしりをしていた家くんは、ふと話題を取り出した。

 ぶつくさ言い出した。

 いや、言ってもいいのかな、やめておこうかな、というような葛藤が小声で聞こえた。

 小声がいくつか追加されて。


「部活をやっていて……で、まあ三年間……中学校の話ですよ?それをやって。終わってみたら、なにがなんだかわからなくなって、全部消えたと」


「……全部?」


「一番の友達は、別の高校に行ったと」


 ふむ。

 それはまあ……大きいことだ。

 友人———全部ではないと思うが、確かに大部分ではある。

 やや後悔気味な、イエくんの様子。


「あー、言っちまった……まあ先生にならいいか―――。そもそも―――」


 そもそも。

 普通のことじゃないすか、と彼は言って地面を眺める。

 中学校から高校へと移ることが。

 普通……まあ、確かにそうだろう。

 おおよそ避けようのないことだ。


 彼との付き合いも長い、というか安定してきた今日この頃。

 私にのみ話す(だと嬉しい、自身が湧く)ことがらが、ぽつりぽつりと出てくるようになった。

 その事実をとりあえず受け入れよう。


 友人から言われた言葉は、生徒にとって

 それは今までに出会ったどの生徒と話しても、思った。

 言われた言葉が真実であっても嘘であっても。


 変わらない人間関係や、変動しない周囲な在りはしない。

 友人、友人関係———そこに揺れ動く心理はあるだろう。

 たとえ心が動かなくても、義務感、意地のようなものは存在するはずだ。

 冷静に物事を見れるようになったのは、私が老いてやっとのことだ。

 随分と冷たい人間になったと、我ながら思う時がある。

 死に近づいているからね―――少なくとも、キミよりは。


「俺には―――俺にはよくわかりませんけど」


 けれど、と彼は。


「ただ、なんでそんな話をしてくるんだよ。 ってのは、思いましたね……そん時」


 彼の知らない部活動の話。

 そんな話をしたのは、さて。

 彼の知り合いとなるとクラスメイトだろうか?

 もっとも、最近コンビニさんの話しか聞かないが。

 家くんは、そういえばクラスメイトとどんな話をするんだい?

 そう、何の気なしに問いかけてみた。

 彼は少し笑い、空を見上げただけだった。


「まあ、話くらいは、しますけど……」


 なんだかなあ、と彼はいう。

 マンガの話以外には、いまいち本腰を入れにくいのだろう。

 彼のことを大体理解してきた私である、それくらいはわかった。

 とにかく、それは置いといて―――と彼は空を見上げた。


「俺は……俺は楽しいよって思う」


 彼は楽しかったのだ、楽しい話をしていた。

 その時は、楽しかったのだという。

 俺の知り合い、とされる誰か。

 なのに何で、そんな話をするんだ。

 中学校の話を……その頃の話を。

 俺の知らない頃の、話を。


「俺は楽しい―――楽しいぞ?」


 でもなのに、なぜわざわざ、そんなことを言うんだ。

 そんなに「群具煮」はつまらなかったか、と呟く彼。

 あの時間は、コンビニでのマンガは楽しい。

 

 ……それとも嫌だったのか?

 急に飽きたのか?

 おまえの頭が悪いのか?

 だからそんなことを言ったのか。

 あとは、俺が嫌いだから?


 咄嗟とっさに私は、「それは違うだろうさ」と言った。

 定年間近の私でも、彼との時間に言いようのない楽しさというか、安心があったのだ。

 嘘ではない。

 ただ、彼は悩み続けているようだった。

 コンビニさんのことを。


「なんて返せばいいんだよ」


 それを見て微笑んでしまう。

 この中庭の、授業とは違う、時間。

 こんな毎日が好きだ。

 その子は……なんでも、言ってほしかったんだろうね……その子は。

 結局名前も知れていないけれど。


 何か言葉を返して欲しかったはずだ。

 家くんと話してみたかったはずだ。

 それだけじゃあないかな。

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