第17話 学校で見た風景


 今日も今日とて校舎中庭の草むしり。

 彼と出会った頃の、草木が生い茂るあつさは鳴りを潜めた。

 風があまり通らない中庭だからか、この湿度は?

 わりかし年がら年中、蒸している空間だ。


 ふと、渡り廊下を眺めると建野たての先生が生徒ら数人と話していた

 地毛が茶色っぽく、二か月に一度は黒く染め直しているという二十代の若手だ。

 ああやって、生徒からは話しかけられやすい。

 いやあ、歳近としちかだからか、舐められてるだけっすよ、と彼は職員室で眉を曲げていたが。


 私も生徒と近い距離にいれているだろうか。

 はいれているだろうか。

 そう思った日々はもうちょっと若い……まあオッサンだった頃にはあるが、今では何とも思わない。

 生徒の親になりたい、でありたい―――そんな自然な感情は、ある。

 現在は、ある。


 私は彼と出会って、イエくんと出会って、新たな視点を得られた気がする。

 ふと、『イエス』みたいで格好いいなと思った。

 ええい、本名聞かないと、という焦燥感はあったのだ。

 あったはずだが、最近は割と聞かなくてもいいやっていうノリになってきている。


 彼と、彼の見つけた「幸せ」について共有する日々。

 生徒と近づけた時は、もちろん悪い気はしない。

 稀有な、事だから。


 学校の、全ての人間が幸せになれるわけではない。

 学校もそうだし、社会もそうだ。

 生徒もそうだし、先生だって―――。


 ただ、幸せがあり、不幸があり、その時々によって比率が変わる。

 悲観の必要はないと思う。

 悲観をしたがる者は多いがね。



 それでも私たちは、教師は。

 生徒が幸せになる手伝いをする、そう信じてやっている。

 信じていないと……やっていられない。


 キミにすべてを話すことが出来ないが―――いま世の中、うるさいからね。

 

 私が、いや教師たちが、生徒の問題を解決したこともあったんだ。

 ただ、いつの時代も。

 全員は無理だった。

 生徒の全てが幸せになることはできない。



 これはちょっと説明がつかないが、不幸になろうとする生徒がいた―――不幸になるべく、一生懸命に努力をする生徒さえ、いた。

 確かにいたんだ。

 不幸に向かって飛び込む生徒。

 理由は説明できないが、何だろう―――珍しくもなかったよ。

 確かにいた。

 不幸に向かって、走る者。

 幸福を知らない者。

 恐らく、そういうものなのだろう。

 そういう性質なのだろう。

 私からすれば、正直言ってお手上げになってしまう……生徒本人の願いがそれだとお手上げだ。



 トラブルの解決を、絶対に求めない生徒もいた。

 また、どうしようもない、家庭内の問題が大きく立ちふさがる事例もある。

 教師われわれと親が対立したこともある。

 いや……分かり合えなかった、願いが届かなかったというべきか。

 高校生だと、十六年から十八年になる。

 そんな時間、歴史ともいえる時間。

 家庭内で積み重なった不和を、我々が綺麗さっぱり解決することは不可能だ。


 不幸な生徒がいたとして。

 生徒が幸せになったとしても、親が幸せにならなければ意味がない。

 生徒の問題が解決しても、親は置いてきぼりになってしまう。

 亀裂が入るだけ。

 そんな状況がある。


 ……解決か。

 解決ではない、せいぜいが、小さく軽い問題にしようと……軽減。

 そう、軽減だ。

 例えば家庭の問題の全てを解決、出来ないのだよ。

 家庭、親、子供。

 なるほど生徒も馬鹿ではない―――解決が不可能なことを、正確に理解している。

 当事者である本人がね。

 幸福が不可能であると、理解した生徒がいた。


 それに、あと教師の問題もある。

 教師は教師で、何も悩みを抱えていないわけではない。

 教師だって自分で、なにかひとつかふたつか、抱えて出勤している。

 必要悪、という言葉があるが、ならば必要な不幸というものも、存在するのかもしれないね。



 キミは、コンビニさんと―――幸福と出会ったときに―――気づいたときに、まず戸惑いを覚えたのだったね。

 幸せの形は皆、違う。

 キミは、何時いつだったか―――迷子ですよ、と自分を評していたね。

 迷子。

 そうだったのかもしれない、誰だって。

 どの生徒も。

 時にはそうなることもあるのやも、しれない。

 しっかりと芯を持つ生徒も大勢いて、なかには教師よりも正確に生きているような、傑物もいたけれど。


 多くの迷子は、その生徒らは―――彼ら彼女らは、ただ歩いたり走ったりしてみたかっただけなのかもしれない。

 そうして幸せに向かおうが不幸に向かおうが。

 二の次だったのか。

 何がしたいのか……まあ、単に気を引きたいというのもあるだろうけれど。


 いまでこそ老後の趣味を探そう探そうなどと思いたち、幼児のように初めての経験を探している私ではあるが、はるか昔、当時はそうだったかもしれない。

 もう、記憶も霞んだ。

 脳の海馬も役立たず。

 経験から来る勘だけでやりくりしているよ。

 教室で、ずらりと並んだ席のうち、独りでも二人でも振り返ってくれたら、上出来さ。



 それでも私は願っていた。

 息を吸って吐くように、大体の生徒には幸せになってほしかったのだ。

 それこそ、草むしりをするような難易度でね。

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