第16話 まるでマンガのような台詞


「私が読んだ本ではねえ。昔読んだ本では好きなセリフがあってだね」


「えと、何年前のマンガですか」


「いや、マンガでは……なくてね」


 小説の話さ。

 人は―――臆病な人は。

 本来ならおよそ恐れる必要のないものまで、恐れてしまう―――というような一節があった。


「恐れる……必要のないもの」


「幸福……だよ。臆病な者は幸福すら、恐れるものなのだと」



 家くんは、特に言葉を返さなかった。

 基本的には表情変化に乏しい男子である……マンガの話以外では、ね。

 私が話した内容についてだが、国語の教科書でも例文となっているような有名な作品を選んではみたのだが……。

 

「音楽の先生でしょう? 先生って……」


 それなのになんで小説なんですか、と彼はもともと大きくない目を細めた。

 ううむ、手厳しいな。

 いいじゃあないか別に。

 それとも何かの歌詞から引用したほうが格好がついたかね?


「臆病」


 彼は、草を睨みつつもそう呟く。

 臆病、という言葉にショックではないにしても、かなり意外だったのか。


「先生、俺はビビっているんでしょうか……臆病なんでしょうかね」


 すごく困っているように見えたけどね?

 私は口端から笑いを漏らしつつ、この場にしゃがみ込んでいる。

 そうかビビっていたのか……いやいや、そんな馬鹿な、などと聞こえてくる。

 どうやら重くとらえているようだが、そんなことをせずとも好いのだよ。


「小説、ねえ……」


 最終的にそう呟いた彼の視線は、私を睨んではいなかったものの、本当に胡散臭いものを見る目ではあった。

 小説。

 これまでの流れではマンガ好きな彼……小説は読んだことはないのだろうか。


「いやいや、人並みには読みますが……言われるじゃあないですか、学校じゃあ、アレ読めって」


 実にテンション低そうな態度であった。

 ……ま、私も最近は読んでいない。

 一時期読み漁った程度である。

 家くんはいう。


「ていうかそれ、先生の意見じゃなくて本の引用でしょ」


 呆れたように言った。

 音楽の先生ではなかったんですか、と彼。

 む、教えたっけか………まあ雑談はたくさんしたし、彼が気付くタイミングはたくさんあったはずだ。

 話題を変えようとして、私は息を吸う。


「家くん。 私が思うにね―――キミは幸せだ、そうかもしれない―――ただ、それだけでいいのかい」


「えっ」


「悩んでいるじゃあないか……今。とても……!」


 というと無表情で停止する彼。

 ショックを受けたというよりは、意味を図りかねているような表情。

 楽しい、幸せ。

 それだけの人間なんて、なかなかいるものではない。



「キミがそう……本当に幸せになるためにはまだ……何か、やらなければならないことがあるんじゃあないかな」


 あるいは、何かをやりすぎているのか―――わからんがね私には。

 生きれば生きるほどわからなくなる。

 私は、おおよそキミの三倍生きているはずなのだがね。


「何度も言いますが……俺は別に、読んでるだけでも良かったんだ」


 彼はいつの間にかいくつか、小山となるまで積みあがっていた山に、もう一つ草を放った。

 何気にむしるペースは速いようだ。

 手先は器用なだろうか?


 そんな彼は言う。


 幸せ―――望んでいたわけではない。

 なってしまっただけ。

 少なくとも、他の人たちを、クラスメイトをないがしろに、自分だけが幸せになろうだなんてことは、思わない。

 正しいとは思わない。

 

 「ただ……気づいてほしい、なんて。 思うことはある」


 毎日笑うのは、簡単なことなんだって……こんなに。 

 そう言う彼。

 ぼそぼそと、私の眼など見ずに静かに、困ったように言う。


 毎週、ちゃんと面白いものはそこにある……と。

 私の眼ではなくクラスの誰かを思い出しているのかもしれない。

 マンガに関しては熱意ある彼だが、色々と悩みを抱える性質は、あるようだ。

  

「キミが幸せならいいじゃあないか」


 まず、そこからだよ。

 キミはこの学校に通い、幸せになってもらわないといけない。

 少なくとも、そこに近づくべきだ。

 家くんの毎日は、なんと表現すればいいかわからないが……まあ正攻法とは違うのだろう。

 一般的な高校生活とは、趣を異にする。

 異なるだろう―――多くの生徒とは違う面がある。

 けれど幸せになっちゃあいけない男子は、いない。

 キミは間違っちゃあいない。



「何故なら―――この学校に通う、生徒だからだ」


 生徒が、幸せになる。

 高校教師私のたちばとしては、そこは譲れないな。


 彼は少し静かになって―――微笑んだ。


「なんていうか……誰の台詞セリフっすか、知らないですケド」


 ふふ、どのマンガでもないさ。

 私の台詞だよ。

 おっと、笑ったというよりも馬鹿にしたような笑みだ。


「本当ですか?影響受けてません?」


 茶化されてその日の雑談?は終わった。

 ううむ、なんだかんだで嬉しそうだったし、まあ良しとしよう。

 熱血な音楽教師が、活躍するマンガか……ちょっと記憶にはないが、読みたい欲はある。


 影響かぁ。そんな影響受ける年はとうの昔に過ぎたんだがなあ。

 読んだマンガの影響を、すぐに受ける少年だった……。

 言われてみれば私にもそんな時代が、確かにあった。

 完全に忘れていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る