第32話 気持ち悪いかな
「
休み時間の教室で、ある女子に因縁じみたことを言われた。
よくわからない言いがかりをつける女子というのはいるという、噂だけはあった。
女子の中での噂が―――気を付けるべき、相手。
斎藤さんが睨む。
そういった子は中学生の頃よりも確かに減ったけれど―――いるには、いる。
私、困惑。
「みんなが言ってたよ、あなた、不思議な人間だって―――」
「………」
私についての噂がどうなっているのかわからない。
おそらく良いものではないだろうね……。
陰口があるのだろう―――悪い口、あるはず。
沢村さん、荒木さんとはある程度親しくしているけれど、今のところ―――私はあまり人と話さずに教室に通っていた。
そしてクラスのみんなからは、どう思われているのか。
……気が付けばすっかり、忘れている考え方だった。
彼女の言い寄るというか攻めるような口調は、ハッキリしない文句。
よくわからなかったけれど、どうやらひどく私の事が気に入らないようだった。
彼女が。かもしれないしクラスの誰かが。そうなのかもしれない。
真実の可能性もある。
けど、それでもこうして話しかけてくるという事は、私と会話したいということなのだろう。
―――みんな、牡丹と仲良くしたいんだよ。
脳裏でそんな、ガチャ子の言葉が再生した。
わからない。
わからないよ―――ガチャ子。
やっぱり。
私にはわかんないよ、教室が。
私、逃げなかったよ……?
あれ以上、どうすればいいのか、良かったのか。
みんながわかんない。
ナカヨクシタイ。
はぁ。
本当にね、私も、たくさん思ったよ。
一応、私は笑顔を作りつつ―――彼女に言う。
「そ、それでさぁ―――話ってなにかな?」
「はぁ?」
「私、ふざけているかな、毎日授業だよ………私は勉強をしているよ………毎日」
普通に学校に来ている。
嘘はついていなかった。
なんの嘘もついていない。
そうして、日々を過ごしている。
つとめて笑顔などを作ってみて、ウインクをしてみる。
なぜしたのか、私。
わからないが、よほど私は緊張したのだろう、あと動揺もした、してしまった。
ライバル心はないのですよーというアピールだった。
あ、この瞬間に思いついたことだけど……絵の勉強をしている。
そういう意味では、嘘をついていたのかな、私。
「えへ、えへへへへへへ、フェヘヘ……」
場を和ませようという私の気持ちが笑い声となって露出した。
きもち悪いと評判であるのよ。
それでも斎藤さんは何が気に入らないのか、私を睨みつけ続けている。
ふざけている。
少なくとも本気で、真面目にそう信じこんでいる、そんな目で見られた。
なんなんだろう………たしかにまじめじゃあないけどさ。
この人に何かしたかな、私。
ていうか突然現れたようにも思うんだけどこのヒト。
どっから沸いたの?
どうせ沸くのなら油田にしてほしいなあ。
ゆでん。
なんか「ゆでん」って、可愛いよね平仮名だと。
イヤな時間が続く。
休み時間に教室で注目を集めるのも気が引けたので、私は会話をやんわりと終わらせようとする。
どうしよう、ケンカするのは―――嫌だな。
私もイヤだし、私は今絵のことで考えていて………それに苦労をしている。
もう苦労しているんだけれど。
いや、待って。でも待って。
そもそも私が不思議な人間だと、いったい何なのだろう。
私は不思議な、生徒?なるほど。
そういう一面もあるかもしれない。
そして―――そうなのか、うん。そうなると何も起こらない。
この場を何とかして笑顔で乗り切りたい。
頑張れ私、なんか、うまくやるんだ。
ケンカせずに。
ええと。
みんなが言ってたよ、あなた、不思議な人間だって―――だったっけ。
「えっと、つまり斎藤さんは、私のことが不思議系美少女だっていう―――それが、アレかな?気にいらないというおハナシなのかな………? えへ、えへへへへへ……!」
「違います」
敬語できっぱりと否定された。
目が笑っていない。
そうして私は苦境に立たされていく。
どう会話しても怒られそうな、そんな状況だった。
私は、ええと何をすればいいのだろう。
一応は穏やかな顔でやり過ごそうとする。
―――と、ここで荒木さんがやって来た。
ずんずん、とやってきた。
彼女の近付く気配を感じた時には、彼女は私の手を取り、廊下へ向かって引きずった。
「食堂、パン買いに行こ!」
「えっ………!えっ?」
動揺する私の手を引いた荒木さん、そのまま二人して、教室の外へ出たのだ。
―――――――
「気にしない!あのね、気にしないほうがいいよ江垣さん!あの子、性格キツイところあって、アレなんだから」
荒木さんはぱぁっと笑顔を作る。
自身の人差し指を耳の上あたりで、くるくる―――と回す。
その大胆なジェスチャーに、私はやや慌てる―――。
斎藤さんをあからさまに馬鹿にするのは気が引けた。
クラスメイトと喧嘩なんて、そのきっかけなんて、ひたすら嫌だ。
「はぁ、まぁ………」
私はなんとなく同意する気も起きず、あいまいに笑顔を作る。
こっちだってクラスメイトと喧嘩なんてしたくなかったっての。
結局食堂へも、その付近の購買部にも行かず、廊下をしばらく行ったところで彼女は、歩を緩めた。
そうして雑談モードに入る。
荒木さんとはまだそれほど親しくないけれど、攻撃的な人よりはありがたかった。
彼女はぷりぷりと怒りながら、歩く。
「なんかねー。いつも怒ってるのよあの子、怒るためにいるのかも、あそこに……あの態度ッ!ダメねぇ………ダメダメ、あんなのだから皆も困ってるわ。病気なのよ、ビョーキ!もう―――つまりその、イヤなこと、気にしないほうがいいよってことよ江垣さぁん!」
「………」
イヤなこと。
そう………あの子と話すのは、イヤなことである。
クラスでは周知らしかった。
クラスの、困った人。
周りから見てそうであるし、あの子自身が、自分自身、困惑したまま生きている。
そうして完成している。
私は肯定も否定もせず、それを聞く。
それは確かに………そうなんだろう、すすんで賛成したくもないけれど。
いま荒木さんが私を気遣ってくれているのはわかった。
私を助けてくれたことも………。
「どーする?パン買いに行く?」
「あ、いや………しばらく歩く………」
言って、なんだか疲れた。
一人になって考える。
斎藤さんよ、私に対しての発言は要領を得なかったけれど、どうやら「気に入らない子」判定を受けたようだね。
私は。
私ね?———ふざけているのかもしれない。
コンビニでふざけて、マンガ談義してるだけの―――近況。
私は大したことのない人間だよ。
ふざけてるだけだよ最近。
マンガの話をして、笑っているだけ。
楽しい日々。
楽しいだけの日々。
教室には、ひょっとしたら学校にすら―――何もない。
私、知ってる。
残らなかったよ。
ふざけずに真面目に頑張っていた愚直な女子の三年間は、ほとんど残らなかった。
コートで走りまわって、球を大して速くもない全速力で追いかけて。
そして、中学生が終わったら……三年間が終わったら。
消えてしまった。
すごく輝いてるような人もいた気がするけれど、全員じゃあない。
私は選ばれなかった―――あの時。
噓じゃあ、ないよ。
頑張ったら何か、手に入るかもしれない。
そして、手に入らないこともある。
それだけだよ。
そんなに簡単じゃあない。
そんなに甘くないよ。
大切だった子は、今、隣にいない。
私が友達になった、いい子は―――とてもいい子だから。
優しくて面白くて友達思いな人気の子で。
あの子は今も友達に囲まれて笑っている。
私の知らないところで、私の知らない人たちと、楽しそうにしているはずだよ。
そういうことが出来る、やってしまえる子だった。
本当の―――現実を知っている。
すぐあきらめたわけじゃあなくて石の上にも三年、三年間の積み重ねで気づいた、築いた、笑えない日々。
三年間学校で必死で走り回って、全部消えるなんて―――、あるよ。
よく、あるはわからないけれど、あることだよ。
あなたは知らないかもしれないけれどね。
それでさあ。
最近、気づいたことがあるよ。
私の人生が―――ちょっとだけ楽しくなっている理由。
新しく見つけた、なんだか不思議なもの。
私が笑える理由はね、二百九十円くらいで学校の帰り道にあるんだよ。
平積みで、お店の棚に置いてあるんだよ。
簡単なことなんだよ。
誰でもできるよ―――そう、誰でも。
誰でもだから、あなたにだって出来るんだよ?
大したことじゃ、なかったよ。
スゴイ女じゃなかったよ、私。
簡単なことしかできなかったよ、毎日。
学校の帰り道に、少しだけ不思議な時間がある。
なんだか、もらえているの。
不思議なものをもらえるの。
だから、もっと上手くなって―――私も何かしてあげたい、人の役に立ちたい、そういうヒトになりたいって思えるの。
なれていなくても……これから、そうなれるといい……って。
もうびっくりするくらい簡単なことで、言うまでもないようなことで。
全然難しいことじゃあ、ないんだよ―――。
私は気づいている毎日———あなたはまだ、気づけていない。
でも、そんな簡単な方法で。
明日にでも、それは来るかもしれない。
誰だって―――笑えるんだよ。
簡単で、でも大切な。
絶対手放したくないって思えるものがあるの。
学校の帰り道に。
隣に。
気付けば、いるから。
―――結局。
それからも、斎藤さんが私を好きになることはなかった。
と、いうよりも―――あの人はクラスの誰とも仲良くなれていないようだった。
そんな、たぶん……よくある現実だ。
どの高校にも、中学にも、小学校にもあることだった。
あんな態度で私に話しかけてくる人間が、クラスメイトと親しくできるわけもない―――という。
私に嫌われるか、そうじゃなくても荒木さんに嫌われるか、クラスの、他の誰かか―――時間の問題だった。
もう、嫌われているか。
一応、近くの優しい人たちが何とかしている、しようとするだろうけれど。
あれは……!
私はたまらなかった。
学校に、毎日通った人。
苦手なこともある中で、逃げなかった人。
よい人間に、いや立派な人間に、成りたかった人。
教室で、頑張っている感じはバシバシと伝わってくる。
そういうところが痛々しい。
そうして過ごした後———別に、何者にもなれなかった人。
「なに、も……」
なにも違わないんでしょ?
なにが違うんだろう……私と、どのくらい違うんだろう。
私は………マンガの方が好き。
それを続けた。
続けることで笑えたから。
そんな人間になって―――ううん、元々そうだったのか。
好きなものを好きだと思いつづけられる人間に、なりたいし、なれていた。
最近ではむしろ、その溢れてしまう笑みを自制、抑えるようにした。
笑えていない周りの人に、表情だけでも合わせて。
手加減を、する―――たぶん中学の頃は全くできなかったことを、はじめた。
ただ、やっぱりかと思った。
やっぱり―――教室より、マンガの方が面白いと感じた私の心は、間違っていないようだ。
マンガ好き。
それだけで、それだけの方が―――いい。
他のことはもう、いい。
私は―――いろんな経験をして、それを経て、そう思っている。
斎藤さんに責められたその日の帰り道、私はコンビニで笑っていた。
いつものように。
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