第16話 マンガ談義しているだけではなくなった



 コンビニでマンガ談議しているだけ。

 マンガの話をして、笑っているだけ。

 好きな話だけをして、嫌いな話は完全にないがしろにして、楽しいことだけを選ぶ日々。

 楽しいだけの、日々。

 そんなふうに楽しくて楽しくて―――たぶん、一生懸命生きてはいない---日々。


 そんな何気ない私の日常は、ビビちゃんのおかげで変化していった。

 ビビちゃんの完成が近づくにつれ、当初はまだ何か足りないと思っていたものでも、魅力を増していった。

 自分が描いたものに、納得できるかどうかは別として、私は今までにない自分に、なっている実感が沸いた。


 学校やコンビニでも、心なしか―――頬が緩む。

 少しお馬鹿さんになったよーな気がします。

 えっへへー。

 表情がゆるゆる。

 いつの間にかへらへらとしていて。

 学校生活が奇妙に楽しくなっている。

 高校一年生の私は、今までの人生で一番なんだか不思議な気持ち。


 あったかい。

 最近、体温がちょっぴり高くなった気がする。

 通学路が、ポカポカする気がする。

 あったかい。

 日向ひなた

 なんて言うんだろう、こういうの―――幸せ?

 幸せ。

 ―――そうか、幸せっていうのかあ、これ。

 ああ、そうなのか。


 ひさしぶりだな。

 こういうのを、幸せっていうのかな。

 もしそうだとするなら、久しぶりだ。

 っていうか、初めて知ったかも。



 学校では授業を受けて勉強し、ガチャ子たちとくだらない話をして、主に私の発言が一番くだらなくて、放課後はコンビニでマンガの話をする。

 あとは、夜はビビちゃんを可愛くしなければならない。


 充実していた。

 私の生活が砂糖菓子のように甘い幸福感で埋まっていって、充実するのは、今までに前例がない―――気がする。

 なんていうことだ、私の毎日が充実するなど。


「なんだか、怖い」


 口に出してから、気が付いた。

 私は今、怖さを持っている。

 すごく色んなことが―――充実しているけれど、安心はしていない。

 心が追い付いていない。

 慣れていない。

 この状況に慣れていなくて、純粋な嬉しさというよりも、地に足ついていないようなふわふわ感がまさった。


 もちろん、今の毎日はとても輝いていて、全然悪くない。

 私のような、絵を描いている人間がとても理想的だと思い描くものに違いない。

 けど、こんなので、いいのかな。

 これでいいのかな。

 うまく言えない戸惑いがある。


 高いところに、登った気分だった。

 と―――怖いものだ。

 乗っている―――ジェットコースターに。

 ジェットコースターを得意とするか、苦手とするか。

 苦手な人はいるだろう―――私はいま、もしかしたら無骨な金具で組まれたコースの一番高い部分に、ガタンゴトンとゆっくり上昇、空に向かって運ばれている状態なのかもしれなかった。


 高い場所に対して恐れを抱くのは、ヒトの持つ正しさ―――というか、性質だと思う。

 けれど今は進みたい、上がりたい。

 幸せでいる、いるための心。

 幸せになる勇気。

 不幸に戻らない、気持ち。

 不幸は、もういい―――苦労して頑張ることに終始した、あの時間は―――もう、いい。

 もうやったし。

 何もないって、知ったから。


 ―――――――――――――――――




「今週はどう?」


「俺ンなかではハズレが多い―――、と、言いたいが」


「言いたいが?」


「いや―――うん、最近わからなくなってな」


 またマンガの話を二人でしている。

 ただ今日のコンビニおとこの発言に、不穏なものが混じった。

 私は、いつもの彼らしくない何かを感じ取った。

 もともと、不穏な発言をする男子ではあったけれど―――。

 あのな、と彼は前置きして、少し言い方を考えていたようだった。


「コンビニさんが、コンビニさんと話したせいで―――マンガがわからなくなった」


「………コン………えっ、私のせいで?」


「ああいや、別に悪い意味でなくてだな………」


 彼はなんとか説明したのは、私の好みと自分の好みが違うという事ということだった。

 今までとは違う作品も、食わず嫌いせずならぬ読まず嫌いをせずに読むようになった。


「俺は、つまらないマンガが多いって思うけれど―――でも、あんたの読んでるマンガの事とかを考えると―――」


「………」


 私の好み、自分以外の趣味を認めるか。

 そういう思考回路になったのなら、随分丸くなったものだ。

 批評家染みた男だったが。

 彼のマンガに関しての発言は、きつい表現や批判も多かったのだが。


「前にさ―――なんだったか、言っただろう―――俺、言っただろう。ギャグマンガがシリアスをやり始めることに違和感があったって」


「………うん、あったね」


 それは、その話は確かにした覚えがある。そんな話をしたのは最初のころだったはずだ。

 私と出会った初日。

 ねえな、これは―――そう呟いた彼の顔。


「あの時は本当に、そういう展開が苦手だった―――感想だった。本当の気持ちだったんだ。でも今は―――あれがいいと思う」


 彼は言葉を選ぶ。


「イヤ、いいというわけではないけれど―――そういうものだと、今は思う。どんな道だろうと―――真面目にやらなきゃあいけないんだよな、ギャグじゃない」


「真面目に」


 マジメ、うん、それは。

 それは、それは常識というものだ。

 私はぎくりとした。

 なんということだ。

 私は、この男に、そんなことを言ってほしくなかった。

 コンビニでは、聞きたくなかった。

 常識や、真面目に勉強しろという風潮は、学校と、家―――両親から十分な圧力がかかっている。

 六限まで授業をしてから帰ったら言われるのが、勉強をしているの?、なのだ。

 他のセリフは何かないかな。


 コンビニここではそんなことがなかったはずなのに。

 毎日―――とは言わないけれど、日々の、ほんの数十分の、大切な、くだらないマンガ談義の時間。

 今まさに、そこに亀裂が入る音が聞こえてくる気がした。

 私は内心脅えがあったけれど、

 コンビニおとこは言葉を続ける。


「ギャグマンガ描いていても、時には、戦わなきゃあならない時があるよな」


「………それは………」


「ずっと笑っているだけっていう訳にも、いかないんだ、だから―――」


 だから。


「俺もそろそろ、笑ってばかりもいられないんだよ………」


 やらないといけないことは、ある。

 彼は言った。

 誰かにそう言った。

 コンビニの外に向かって―――ガラスに向かって呟いたみたいだったけれど。

 誰に向かって言った言葉なんだろう。


 コンビニおとこの様子が、いつもと違うように見えた。

 何かあるのだろうか。

 何かを悩み、思いつめている―――のだろうか。


 マンガのことしか考えていないようにすら見えたこの男子にも、なにか悩みはあるのかな―――成績、とか。

 教室で起こるなにか。

 色々なことを、だとか。


 彼は最後まで、私の目を見なかった。

 それからはしばらくの間、私はイラストコンテストのことで、神経をさらに張ることになった。

 だからコンビニにいる時間は、出来る限り減らし、足が遠のいたのだった。


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