第2話 出会いか遭遇か 2



「―――えな、これは」


 声が聞こえたほうへと、目を向ける。

 私の隣でマンガ雑誌『週刊少年跳躍ちょうやく』を眺めているその男は、また同じ諦観を口に出した。

 テノール(たぶん)で呟いた。


 無いというのはマンガから、何かがないという意味であるらしい……何が?

 内容が物足りないだとか、そういう意味なのだろうか。


 マンガに、彼の求めていた何か―――見えない何かの要素が欠けている。

 そんな表情だ―――。

 そう、表情を見て思った。

 落胆が彼の瞳に見える。


 その男子はどことなく難しい顔をしながら、今週のマンガを読み続けている一般的な男子に見えた。

 否、一般的の中でも、気難しい真面目な男子。

 陰鬱で静かな、怖さすら漂っていた。


 無えな、という否定の言葉はもしかしたら私に対して向けられたのかなあなんてことも思ったけれど。

 どうやらちがくて。

 私の趣味は確かに誰にでも受け入れられるものではなく、男子とは全くとは言わないまでも、趣味が違うだろうなとは思っていた。


 同じ高校の制服だが、その顔は知らない。

 知らない男子だ―――同じクラスではない。

 ちらりと名札を見る。

 名札には二文字。

『家足』………とある。

 ………どう読むのだろう、わからん。


「………」


 私がじっと見ていることに気付いたその男子は、眉を上げて驚いた。


「………!ああ、いや………あのう」


 独り言を聞かれたことに気付き、やや困った表情の男。

 印象はここであっさりと、普通の男子に変わった―――結んであった紐がほどけたように。


「好きなの?マンガ」


 私がそう問いかけた理由はと言われると、本当になんとなくだ。

 つい声に出してしまった声は、運が悪ければコンビニ内の新商品の宣伝放送あたりに、簡単に塗りつぶされてしまうような音量だったはずだ。


「えっ」


 ただ、思いのほかはっきりと反応を示した男は、やや間をおいて弁明を始める。

 別にそんなに申し訳なさそうな表情かおをすることはないのだが。

 私はそれに、付け足す、言葉を。


「いや、読んでたから………それで何かつぶやいていたから」


「………まあ」


 好きだよマンガは。

 男子は視線を私に向けて、合わせて、いぶかしむように言う―――

 だが彼は。

 いや。と言って、マンガ雑誌に向き直った。


「好きじゃないな、今週のは」


 と答えた。

 今週のは、を強調した。


「………有名なマンガじゃん」


槍使い ランスマイスター 群具 煮ぐんぐ にる』は既にアニメにもなっている有名マンガだった。

 伝説の槍を巡った壮大なファンタジーだ。

 よく表紙絵も飾っている傾向がある―――週刊少年跳躍の、看板作品と言ってもいい。


 しかし彼はその、ピクリとも笑おうとしない口元から、最近は駄目だと、付け足す。


「ギャグマンガなのにシリアスに走り出すから―――駄目だ」


「………そっか。うん、それは確かにあるかもね」


 当初はギャグコメディだったが、戦いが苛烈かれつ化して敵組織のボスと戦うと、激しいアクションシーンが増える。

 それは自然な流れだ。

 だが台詞セリフが少なくなっていくのはいただけない。

 ギャグを目当てとしている読者は、敵が強くなればなるほど主人公の発言がつまらなくなっていくという悲劇に見舞われる。

 反比例的なものを感じる。

 元々第一話からギャグ読者の心を打っていた作品だけに、大きい。

 でも、でも。


「でもさぁ『跳躍』だよ。そのなかで、バトルは王道じゃないの?」


「………」


「もしや………それとももしや。女子が口出しするのはやっぱりダメかしらん?」


 少年が読むものを、読むべきものを読んでいる。

 そこら辺忘れないようにはしているつもりです。


「そうじゃないけれどな、やはりこの作者が嫌いだよ。ずっとギャグばっか描いていればいいんだよ、あんたはもう」


 作者あんたはそれで面白いんだから、ギャグで行けばいいんだから―――と男は言った。

 随分な態度の読者だな、読者のくせに―――とも思ったが、私も今はただのマンガ好きな高校生なのだった。

 そして、時にはマンガに対して反対派アンチになっているときもある。

 この男もそうなのだろうか。


「随分な言い方だね………」


「どうしてそうなるのかわからないんだ………!ギャグなのにシリアスに走り出すから、って話だ。嫌いというか、もう謎だな。ミステリーなんだ。なんだか手を抜いているように見えて、それがな………どうにも不安なんだ」


 手を抜いている………のだろうか。

 確かにあの作者は、画力、絵の迫力があるタイプではなく、コメディ向けの作者だと思っていた。

 それが面白かったのだが、それが少ない回はどことなく物足りなかった。

 かもしれない。

 この男に言われるまでは気づかなかった。


「それでも―――バトル入れておけばいいんじゃないの、男子は」


 知らんけど。

 いや、知ってはいても理解は深く及ばない。


「いやいや………そういうんじゃないんだよなぁ」


 ぱらぱら、とページをめくるその男は、マンガを娯楽として読めていないのではないかと思うほどに―――そう、難しそうな顔をして読んでいる。

 マンガを楽しんでいるようには見えない。

 ううむ………この男の表情筋の仕様かなぁ?

 いや、案外私も、こんな仏頂面で読んでいるのかしらん?

 だとしたらちょっと美的に違う。

 直すべきだな。


 私はふと、自分の頬っぺたに両手を当ててみる―――表情筋の積載量は一般の女子より多いつもりだ。

 そこを少し揉みこむ。

 ぐにぐにと。

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