49 CARAT 「お姉さん」

「やあ王子くん、お疲れ様!」


 ソファに座ってくつろいでいる智乃さんを見て、俺はその声に反応したくなかった。


「…………」

「おーい王子くん? お姉さんのこと見えてる?」

「見えてない」

「敬語忘れてるよ〜? てか見えてるよね⁉」


 俺は智乃さんの向かいにあるソファに座って、智乃さんを睨む。いつも察しがいい智乃さんのことだ。もうわかるだろ。


「あーごめんごめんほったらかしにして! 一応子供を追いかける王子くん、この部屋の窓からちゃんと見てたんだよ?」

「そういう問題じゃない……………………です」

「お〜ものすごく不服そうな敬語だ〜……」


 智乃さんが苦笑いで呟く。

 当たり前だ。子供と戯れるとか、俺が一番嫌いなことだ。接し方がわからないし、途中で泣かれそうになったし、そもそも体力がない俺に十人以上の子供と鬼ごっこなんて無理だ。なんとか全員捕まえたが、体中が痛い。


「ほら、王子くん最近色々危ない世界を行き来してるじゃん? こういう訓練も大事だぞ~? と思ってね!」

「……」


 それは一理あるが、子供の相手で訓練になるとは思えない。この人が今考えた言い訳だろう。


「おー王子くん疑ってるな~? お姉さんは王子くんの欠点を直そうと思ってやったんだぞ! ほんとだよ!」

「その話はもういいです」

「うー、王子くんが冷たいよー!」


 この人は本当に大人なのだろうか。自分の頭を抱え泣き言を言っている様子は、とても三十一歳には見えない。こんな大人にだけはなりたくないな。

 すっかり智乃さんのペースに乗せられていたが、そろそろ本題に行くべきだ。

 智乃さんについては色々聞きたいことがあるが、今聞くべきなのは智乃さんのことではない。


「智乃さん、魔王と会ったんですよね」

「ん? うんうん、会ったよ! 異世界の王子くんでしょ? なかなかの迫力だったね~。王子くんと同じ顔の癖に!」

「……」

「もうーそこは笑うところっ!」


 こっちは真面目に聞いているというのに、智乃さんはまるで友達ができたみたいな言い方をする。この人は、どんなときだって、怯えた表情をしなそうだ。絶望したり、泣いたり、本気で怒ったり、そういうことにならなそうだとは思っていたが、それは俺のただの想像ではないのかもしれない。

 負の感情を持っていないように感じる。

 誰かに似ていると思った。


「魔王に会ったときのことを教えてほしい。魔王は、どんな奴だったんだ?」


 俺は敬語も忘れて、智乃さんからの返答に期待を込めて聞く。

 魔王が何を考えているのか、どんな人物なのか。

 桜木と話す中で、あいつは俺が思っていたような凶悪なだけの人間ではないことがわかった。その凶悪さの裏には、恋心というものがあったのだろう。

 俺には知りえない大きな感情を、魔王は持っている。

 それを確認したかった。智乃さんならきっとわかると思うから。


「魔王くんねえ……。意外と普通の子だったかも?」

「……普通?」


 智乃さんの返答は、意外だった。凶悪な笑みを浮かべる姿しか見ていない俺からすれば、信じられない話だ。彼が恋心を持っていたというのも、意外だとは思っていたが。


「確かに最初はね、怖い子なのかなって思ったんだ。でも、あの子はそう見せてるだけなんじゃないかなって。自ら悪役を演じて、悪役をやっているんじゃないかなって、そう思うんだよねー」

「演じてる……?」

「うん。きっと彼の中で、色々なものが狂っちゃったんだと思う。だから本当の意味では普通の子、とは言えないかもしれない。でも――自ら進んで悪を選ぶような子には、見えなかったんだ」


 智乃さんは窓の外を見ながら言う。

 その顔は悲しそうに微笑んでいた。

 そして俺の目を見て、真剣な顔で言う。


「……きっと彼は、自分に言い聞かせてる」


 自分に言い聞かせている。

 それは俺が自分の奥底に眠る感情を隠すため、様々な物事に対して「嫌い」と言い続けてきたように。

 魔王も、悪役になることで、自分を救っている……智乃さんはきっとそんなことを言いたいのだろう。


「まあこれは、一度会っただけの私の想像でしかないけどね?」

「なんで、そう思ったんですか」

「んー。だって、本当に悪者なら、私の骨を折ってもおかしくなかったし、律儀に約束を守って町にも人にも危害を加えないとは思えないし、何より公園に行くまでの間、普通にお話しちゃってたからね。ここは魔王くんの住む世界とは違うから、普段演じていた悪役を必要以上に演じなくて済む。だから普通の子に見えたのかもね」


 あの魔王が、智乃さんみたいな人間と普通に会話をしていた。その事実だけで、俺は混乱する。

 もし魔王が、根本から悪ではないのなら……。

 ジュリの「魔王と話したい」という目的は、実現不可能なものではないのかもしれない。


 それにしても、やっぱり智乃さんは人の本質を見抜くのが上手い。

 俺は智乃さんがどんな奴なのか、全く知らないというのに。


「魔王くんの本当の心に近づけるのはきっと……」


 智乃さんはその先を言わなかった。言うまでもなく、わかることだ。

 魔王が動く理由。それは彼女だけ。


『あたしは自分の記憶を取り戻したい! それで、あいつと向き合いたい』


 桜木もみじだけだ。


 ―☆―


「それで、智乃さんはなんでこんなところにいるんですか」

「あーそれね! 別に隠してるつもりはなかったんだけど、私、よくここでボランティアしてるんだ~」

「ボランティア……」


 智乃さんがボランティアをしている。少し驚いたというか、いつも出掛けている場所はここで、子供たちと遊んでいるということか。


「ここ、児童養護施設ですよね。……里親になったりとか考えてるんですか?」

「まっさかー! そんなんじゃないよ。まあお母さんになってほしいとかはよく言われるけどねー。ほら、私の親って野菜作ってるからさ、その野菜を子供たちにも食べてもらいたくて、時々持って行ってるんだよね。あとはー、普通に遊びたいときに行ってる!」


 智乃さんは本当に不思議な人だな。俺がこの人を理解する日はたぶん来ない気がする。


「お姉さんね、お母さんともお父さんとも血は繋がってないんだ。っていうか、本当は日本育ちじゃなかったんだよ? もう十年くらい前の話になるけどねー」

「……」


 親と血が繋がってなくて、日本育ちじゃない?

 あまりにさらっと言うものだから、俺はしばらく理解が追い付かず、固まってしまう。


「ん~? なになに気になる? お姉さんの秘密気になる? 教えてください智乃お姉さんと言ってくれたら教えてあげるよ~ほらほら言って言って!」

「……俺が聞きたいことは終わったので帰ります」

「あーごめんごめんってば! だからそんな真顔で立ち去ろうとしないで~!」


 立ち上がった俺の肩を掴み無理やり座らされた。

 別に俺は、そこまで智乃さんについて深堀したいわけじゃない。智乃さんの昔話、長そうだし。でもどうせ、お喋り好きな智乃さんのことだから勝手に喋るだろうな。


「あれは、智乃お姉さんがまだ十代だった頃……」

「なるべく簡潔にお願いします」

「……ぐぬぅ。これから鈴木智乃過去編をじっくり始めようと思ったけど、まあうん仕方ない……! 簡潔に話すと――お姉さんは家が優秀で裕福なお嬢様だったのです」


 思わず笑いそうになってしまった。けど、至極当然のような目つきで言う智乃さんをみて、嘘ではないことはわかった。


「お姉さん、本当の名前は鈴木智乃ではないんだよね。なぜなら完全な日本人ではないから! 日本人の血が多いのは確かなんだけど、いわゆる」

「クォーターですか?」

「え⁉ 名推理! なんでわかるの⁉」


 智乃さんは「もしかして……ストー」とか言い出したので言い終わる前に「違う」と否定した。

 ガーネットがクォーターと言っていたのを思い出した。智乃さんとガーネットが同じ存在ならそう考えるのが当然だ。


「んーまあそういうことで! 私の家は小さい頃から色々なことを学ばされて、十代のうちから国と転々として語学、芸術、文化、その国の全てと言ってもいいほどの知識や技術を学ばされたんだよ。まーええと、それが嫌になって、日本を学びに来た時、偶然出会った今のお母さんとお父さんに「苦しいならうちに来なよ」っていわれて」

「……それは、随分と変わった境遇をしてますね」

「あはは~たしかに! まあ当然猛反対されたけど、その頃の年下の執事が、私側についてくれて。一緒に親と直接対決してくれたんだよ~」


 執事……もしかしたら、ガーネットにとってのファイのような、そんな存在がいたのかもしれないな……。

 それにしても、そんな権力を持っていそうな親とどうやって対決したんだ。智乃さんならまあ、拳でとか言われても納得しそうだが……。


 「――誰にでも手を差し伸べられる人間になりたい」


 ……。

 智乃さんは、俺の目をしっかり見ながら、優しく微笑んでそう言った。


「そう言ったら、親は納得してくれた。元々、人間性を磨くための修行だったみたい。いろんな国で色んな人に出会って、その中で私が好きだったのはこの日本だった。それに、日本人は暗い気持ちを持って苦しんでる人が多い。だから私は、少しでも誰かの役に立ちたくて、お父さんやお母さんが私の両親になってくれたように、私も誰かのお姉さんになると決めたんだ」


 「お姉さん」だ。その優しい目をみて、俺はそう思った。

 普段はいい加減な人なのに、時々本当に「お姉さん」に見えるときがある。彼女はきっと、自分の生き方に誇りをもって生きているのだろう。


「それでも、三一歳であの子供たちにお姉さんと呼ばせてるのはどうかと思います」

「四十代まではお姉さんだもん! ていうかいい話してるときにそういうこと言う王子くんひどいっ! これじゃあせっかくのシリアスが台無しじゃない⁉」

「…………智乃さんとの会話は、こういうのが落ち着くから」

「……ふふ、確かに。お姉さんも真面目な雰囲気疲れちゃったなー! さて、今日も元気に王子くんに「お姉さん」って呼ばせる方法を考えていこー!」

「呼ばない」

「敬語!」

「呼びません」

「う~これは難題……こんなにもお姉さんはお姉さんしてるのに!」


 智乃さんはやっぱり、よくわからない人だ。

 だけど確かに俺は、この人に何度も助けられている。

 

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