45 CARAT 変わった桜木、変わった俺

 ―◆Romio side◆―


「なあなあ、登ってみろよ! いい景色だから!」


 ぼんやりとした意識がはっきりとしてくる。

 気が付くと、森の中だった。十歳くらいの少女が木の上から自分に手を差し伸べているのが見える。


「無理だよ。そんな高いところ、登れないよ」

「行ける行ける! それとも、こうしょきょうふしょうか?」

「……わかった。でも、落ちそうになったら助けてよ」


 今喋っているのは誰だ? 俺……なのか?

 いや、声からして、少女と同じく十歳くらいの少年だ。


 何度無理と言っても諦めない少女に、少年は折れて木に近づく。

 ダイヤモンドの塊を作り出し、木に張り付けた。足場になってちょうどいい。慎重に登っていく。


「ほらこっちだ!」


 少女の手が伸ばされた。

 いつの間にかあんなに上だった少女の手が、手の届く距離にまであった。

 少年はその手を掴む。離れないように、しっかりと。

 そして、導かれるがまま、少年は少女の隣に座った。丈夫な木のようで、二人が乗っても折れる気配はしなかった。


「わあ……」


 木の上は、見たこともない景色が広がっていた。

 森なのだから、木しかない平凡な景色だと思っていた【僕】は、そこに映るものを、まるで異世界のように感じていた。

 もちろん、【僕】にとってあの部屋以外は異世界だ。少女に連れ去られてから、知らない世界ばかり。

 それでも、また新しい世界をのぞいたような、満たされた気持ちが【僕】の心を動かした。


 木漏れ日の光が木々の下に住む動物や植物を照らし、まるで自らが光を放っているように、生き物たちはキラキラと輝いている。

 花々が踊るように風のリズムに乗り、動物たちは様々な鳴き声を響かせ、森の音楽を奏でている。

 少し遠いところでは、川が流れていた。ここからみてもその透き通った青色はまるで隣の少女の瞳のようだと思って、つい【僕】は、少女の横顔をちらりと見た。

 少女はすぐに気が付いた様子で、こちらを見てにっと笑う。


「いいだろー? ここ、脱出するたびに来てるんだ! こんなに広くてきれいな場所を知ったらさ、せまい部屋からぬけ出したくなるだろ?」

「……うん」


 僕は、この景色よりも、少女の顔に釘付けになっていた。

 今みたいな幸せが、ずっと続けばいいのに。


 そんな願い、叶うはずもないのに、願ってしまった。

 僕は、部屋に戻ったら、またあの狭い場所で、一人きりになるのかな。

 僕は、こんな素敵な世界と、こんな素敵な少女と、別れなければいけないのかな。

 僕は。僕は。僕は。


「じゃあ次行くぞ! 日が暮れないうちに、たくさん冒険だ! あそこの川まで競争だ!」

「え、え?」


 少女は僕の手を強く握った。そう言えば、手をつないだままだったことを今思い出した。

 そんなことを考える暇もなく、少女は僕の手を握ったまま立ち上がり、「よし」とか言い出した。


「いっくぞおおおお!」

「――!?」


 高い高い木から、僕らはそのまま降りた。声を出す暇もなかった。

 だけど、気持ちがいい。何かから、抜け出したような爽快な気持ち。一緒に落ちていく隣の少女をみながら、僕は小さくつぶやいた。


 ――ありがとう。




 —☆―



「…………」


 なんだったんだ今の夢は……。

 まるで存在していたかのような現実感。妙な既視感。

 だけど、あんな森、見たこともない。少女だけに、既視感があった。

 途中から、自分があの少年になったような感覚に陥っていた。それほど強い、強い少年の想いが、俺に伝わったような気がした。

 夢から覚めたというのに、夢の内容は詳細に思い出せる。それほど印象が強い夢だった。

 この夢は……水晶の……。

 だとしたら――。


「――ってここはどこだ⁉」


 意識がはっきりと現実に戻っていくうちに、俺はいつものベッドではなく、芝生に寝転がっていることに気が付いた。初めて異世界に来た時と同じような芝生……。これは、公園の芝生じゃないか?


 辺りを見渡すと、やっぱり公園にいた。

 周りの景色はどうみても、俺の知ってる公園だ。


「なんなんだよ……。何が起こって……」

「王子くーん! おはよおはよおはよおはよ! その間抜けな寝起き顔は王子くんだなー?」

「もう少し寝てよう。よし」

「あー! だめー! 二度寝したらまた異世界行っちゃうでしょ! ほらほら王子くん二度寝はだめですよー。っていうかここ公園だよ! こんなとこで寝たら風邪ひくよ!」


 俺は仕方なく起き上がる。


「なんなんですか。なんで公園にいるんですか。俺も智乃さんも」

「待ち伏せに決まってるでしょ? お姉さんの王子くん待ち伏せスキルはプロだからね!」

「それストーカーって言うんですよ」


 寝起きの途端うるさいのはいつも通りだが、この状況はいつも通りではない。

 早朝の公園は寒い。まあ早朝と言ってもそんなに朝早くはないだろうが。日がある程度登ってるし。でも寒いのは変わらない。早く帰ろう。


「魔王くんがきたよ」

「…………は?」


 帰ろうとして歩き出した途端、智乃さんがそんなことを言い出す。いつものからかうような口調ではなく、真面目なトーンで。

 俺は足を止めるしかなかった。


「さ、桜木は⁉ 桜木は平気なんだろな⁉」

「お姉さんのことを心配してくれてもいいんだよー? というか敬語……」

「智乃さんはどう見ても元気だろいつも通りだろ。桜木は大丈夫なのかっ!」


 妙にざわついた気持ちがあった。

 この公園で目覚めたってことは、この公園に魔王がいたってことになる。つまり、よくこの公園にくる桜木と会った可能性は非常に高い。


「王子くん、落ち着いて聞いて。桜木ちゃんは、無事だけど、無事じゃない」

「……どういうことだよ」

「桜木ちゃんの家に行ってあげて。彼女はたぶん、今日はバイトにも行けないんじゃないかな」


 ―☆―


 桜木の家は、俺のおんぼろアパートと違って二階建ての綺麗な家だ。

 桜木と出会って半年くらいの頃に、お互いの家に遊びに行ったことがある。桜木の親は日中は仕事でいないから、暇な日はよく部屋に招き入れてもらった記憶がある。


「路美尾くん? 久しぶりだね」


 今日は仕事が休みだったようで、玄関の扉を開けたのは桜木の母親だった。


「あー、はい。その、もみじさんいますか?」

「それがね、昨日から様子がおかしいの。もしかして路美尾くん、何か知ってる?」

「詳しくは知らないです。けど……話がしたくて」

「そうね。もみじを呼んでくるから、一緒にいてくれる? たぶん、家族よりも路美尾くんと話した方があの子も素直になれると思うから」


 それは、桜木のことを本気で想う母親の顔だった。

 俺は、そういう笑顔を親からもらった記憶はない。本気で桜木の母親が羨ましいと感じる自分が、憎らしい。


 母親に呼ばれた桜木が、俯きながら玄関におそるおそる向かっているのがわかった。歩くスピードもいつもの倍遅い。

 まあ、そうなるのも当然だろうな。魔王が俺のふりをしている場合もあるし。


「桜木、俺だ。路美尾だ」

「路……美尾」


 その声に安心したのか。

 桜木は力が抜けたように、玄関にたどり着く前に廊下の真ん中で座り込んでしまった。


「よかった……。ほんとによかった……路美尾が生きてて、戻ってきてくれて」

「桜木……」


 魔王と何があったのかは知らない。

 だけど明らかに、桜木にとってただ怖いやつに会っただけでもなさそうに見える。


「桜木、話、いいか?」

「今は、色々怖い。けど、路美尾から聞かなきゃいけないことが、あたしが話さなきゃいけないことがあるんだ。部屋に来てくれよ」

「……そう、だな。わかった」


 俺はちゃんと、桜木と話す機会を持つべきだった。

 あいつがどんな思いをしたかはわからない。でもその目は、不安の色に染まっていた。俺がちゃんと話をしていれば、少しは状況が変わったかもしれないのに。


 ―☆―


 半年前の桜木の部屋は、殺風景だった。

 記憶を失う前の自分の部屋があまりに着飾りすぎていたので、全部かたずけてシンプルにしたのだとか。ベッドも、机も、部屋の壁も床も、特に何もしていない普通の部屋だった。メイク道具がなければ、男子の部屋か女子の部屋か見当がつかないくらいだ。

 だが、今日久しぶりに桜木の部屋に入ると、甘い香りがした。

 机には水色のノートが置いてあって、カーテンはひらひらとしたレース柄のものになっていて、ベッドにはいくつか猫や犬のぬいぐるみがあって、床には白いラグがひいてあった。以前と比べると、だいぶ女の子らしい部屋だった。

 適当に床に座ると、桜木も俺の近くに座る。


「あんま部屋、じろじろ見んなよ……」

「あ、すまん。なんというか、お前、変わったんだな」

「今更言うか? ったく、ひどいな路美尾は。あたしはこんなに頑張ってんのにさ」

「…………」

「って、あたしもちゃんと、路美尾に伝えてなかったんだ。お互い様なのはわかってるんだよ……でも、あたし……」


 無言の時間が続いた。桜木は何かを言おうとして、言えずにいるようだった。


「桜木、俺の呼び方、どうして変わってるんだ?」

「……っ。それは……あたしが、そう呼びたくなったからだ。路美尾はこの名前、好きじゃないみたいなのに、なんか、ごめん」


 桜木の声は、震えていた。その「ごめん」が、俺の名前を路美尾と呼んでいること以外を指しているようで。それでも俺は、その理由がわからなかった。


「平気だ。俺はもう、自分の名前から目を逸らしたりしないって決めたから。路美尾は、俺の名前だから。そう呼んでくれ」


 ジュリに言われたんだ。


『どんな名前だとしても、ロミオくんがロミオくんでいられる、大切な物です。絶対に、捨ててはいけない物なんです』


 俺が俺であるための、確かな証だ。

 この名前が嫌いで、大嫌いで、それでも俺は、この名前と一緒に生きると決めた。

 自分にはこんなきれいな名前、似合わないと思っていた。だけど、この名前と向き合うなかで、俺自身が変われるかもしれない。そんなことを思いながら、俺は名前を捨てたりしないと決めたんだ。


「……ははっ。やっぱり路美尾も変わってんじゃん。あたしよりもずっと、ずっと変わってるよ」

「そうか」


 再び、無言の時間が続いた。

 話すのに時間がかかることはわかっていた。

 信じてもらえるかわからない。信じてもらえたところで、俺が異世界を優先に動いて、その結果桜木を怖い目にあわせてしまったことに変わりはない。

 その罪悪感を全部追い払って。口を開く。


「「言わなきゃいけないことがあるんだ!」」


 罪悪感からでたの言葉は、当たり前のようにぴったりと重なり合っていた。

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