38 CARAT 初めましての再会

―◆ mio side◆―


「よう、そのさ、話があるんだけど……」


 目の前のジュリは、僕に向かって不安そうな目で訴えかけているようだった。

 僕の脳内は、彼女との時間の記憶で埋め尽くされていた。ジュリは人間として生きられなかった僕を、連れ出してくれた。人間にしてくれた。

 約束をしたんだ。一年程前のあの日。だからいつか会えると信じていた。それでも、もう会えないとどこかで感じていた。

 目頭が熱くなるのを感じ、いつの間にか涙が頬を伝っていた。


「おいミオ……? ど、どうした?」

「――っ! ジュリ、僕の名前、覚えていてくれたのかっ! 会えた、会えたんだよ! ジュリ!」


 僕は確かめるように彼女の肩を掴んだ。

 夢じゃない。この温かさは夢じゃない。


「は、何言って」

「ずっと探していた。ずっと君のことを考えていた。何度も何度も何度も試しては失敗を繰り返して、だけどようやく、ようやくたどり着けたんだっ……。約束を、果たせたんだ……」


 僕は全身が熱くなるのと同時に、言いようのない安心感を覚えた。今、僕たちの世界にいる偽物のジュリは、元の世界……おそらくこの世界での記憶を持っていなかった。だからジュリも、僕たちの世界の記憶を持っていないとどこかで思っていた。

 だけど彼女は、僕のことを見てロミオではなく【ミオ】と呼んでくれた。

 僕の名前を呼んでくれたんだ。

 僕のことを、覚えていて、くれたんだ。


「ジュリ、僕たちの世界に帰ろう。今のクリスタル王国ならきっと君のことをすぐにでも王として迎え入れてくれるはずだ。だから君が王になって、僕の国と同盟を結ぼう。クリスタル王国と、ダイヤモンド王国、二つの国を一つにするために。あの日交わしたもう一つの約束のために。君が帰る方法はわからない。それでも僕は君を必ず元の世界へ――」


「誰、だよ、お前……」


 酷く怯えきった震える声で、ジュリは言った。

 やがてそれは、攻撃的な視線へと変わり、彼女の目はまるで、僕を【敵】と認識しているようだった。


「ジュ……リ? 僕だ……! 君のことが好きで……君も好きでいてくれて……」

「だから、誰だって言ってるんだよ!」


 ねえ、なんで君は、そんなにも敵意剥き出しの目をしているんだ?

 どうして君は、その目を、僕に向けているんだ……?


 僕たちは確かに、一年目まで恋人同士だった。

 永遠を誓う恋人同士だった。

 それは、ただの幻だったのか……?


「お前、ミオじゃ、ないだろ。王子路美尾じゃ、ないだろ。ロミオに成り代わって……なんのつもりだよっ」


 彼女の声は不安、困惑、恐怖に、染まっていた。震える声と今にも倒れそうな立ち姿が僕にそう伝えていた。


「ミオは、僕だ……。僕がミオだっ――!」


 嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

 彼女が、ジュリが、僕のことを覚えていないなんて、嘘だ! だって君はロミオと同じ姿をした僕のことを【ミオ】と呼んでくれたじゃないか。

 なのに何故君は、その名前をあの男に向かって使っている?


「ミオを……ロミオを返せっ! あたしはあいつに、言わなきゃなんねーことがあんだよ!」


 僕はロミオに、あの何もできないやつに、自分の世界を手放して彼女を一人にしてるやつに、彼女との時間も、自分の名前も、約束も、きっと恋心でさえも、全部奪われてしまったというのか?

 全身から複雑な感情が湧いてくるのを感じた。

 悲しい。苦しい。痛い。泣きたい。消えたい。壊したい。終わりたい。好きだ。好き。大好き。

 大好きなはずなんだ。僕も、彼女も、互いを想い合っていた。そのはずなんだ。

 覚悟はしていた。彼女が僕のことを忘れてしまっていることは、覚悟していた。


 けど。


 何よりも許せないのは、彼女の恋心を、上書きされたことだ。

 彼女の目には、僕以外の一人のことしか映っていない。


「ははっ。ははははは!」


 だけど僕は、笑っていた。こんなにも絶望を味わっているのに、僕はおかしそうに笑っていた。

 一年間で僕は、どこかズレてしまった。


 悲しくて、楽しくて、苦しくて、可笑しくて、痛くて、気持ちよくて。

 悲痛、愉快、傷心、高潮、絶望、幸福。

 抑えきれない感情は溶けて混ざって溶けて混ざって、僕の心をかき乱していく。


 次に、激しい怒りがこみ上げてきた。

 ロミオ。オウジロミオ。

 アイツは、僕の彼女を――。

 殺す。絶対に、殺す。アイツを殺して、僕はジュリを取り戻す。アイツを殺せば、目の前の彼女はきっと、僕のもとに。


「はは、急にごめんねー? 僕はミオ。君なら、魔王と呼んでくれても構わないよ。サクラギモミジ」


 今の君に、ミオと呼ばれるのは苦しい。


 ぐちゃぐちゃな感情を必死に抑えて、僕は【笑顔】で言う。

 怯えられたって睨まれたって、今は関係ない。

 ロミオを殺せば、僕は――。


「次来るとき、僕は君を迎えに行くよ。もう、君を惑わす邪魔なやつのこと考えなくていいんだ。騙されちゃだめだよ。モミジ。アイツは何も持ってない。自分が死んでもいいと思っているやつなんだからね?」

「な、何言って」

「ハハハハハハ! うん。うんうんうん。決めたよ。僕は君のために、そして彼自身のために、彼の願いを叶えてあげるさ!」


 ああ楽しい。愉快だ。

 僕たちの時間を奪った彼を! 殺してしまえばもう邪魔はないんだ!

 僕は一生をかけて、彼女との時間を取り戻し、そして連れ返す!

 彼女の目を、覚まさせてあげるんだ。


「んだよ……お前」


 ハッと高まった意識を戻すと、ジュリは――モミジは、泣いていた。


「なんなんだよ……あたし。なんであたし、泣いてんだよ……。なんで、ロミオに顔が似ただけのお前を見て、懐かしく思ってるんだよ! 嬉しく思ってるんだよ! 絶望…………してるんだよ……」


 膝を崩して座り込む彼女を、僕は呆然と見つめることしかできなかった。


「…………あたしから、大切な人を奪わないで」


 ズキン、と音がした。

 大切な人を奪われた僕が、大切な人から「奪わないで」なんて言われて、何も思えないわけがない。

 ロミオを殺した時、僕は素直に彼女の前に立っていられるか?

 それは…………無理だ。


「あたしが好きなのは、ロミオだ。お前なんか、知らない」


 冷めた心は、次第に自分の涙さえも枯らしていく。


「ああ、そう」


 自分でも驚くほど、無機質な声だった。

 今のジュリは、ジュリであってジュリではない。

 僕は、モミジに背を向けて、歩き出した。

 

 ――忘れられるのは、辛いなあ。


 純粋なその声は、心の芯にまで刺さる。苦しいのに、辛いのに、もう涙は一滴も流れていなかった。

 僕は水晶を握りしめながら、自ら首を軽く絞め、意識を殺した。


 殺したいではなく、死にたいな、と思ったのは――久々だ。 

 



 

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