37 CARAT 《過去編》僕と彼女の、たった一日の幸せ

「ドアを塞いじゃったのに、どうやってここを出るつもりなの?」


 僕はドアをくっつけることだけを考えて、後のことを考えていなかった。これでは父上が返ってきたとき開けられないじゃないか。


「窓があるじゃん!」


 少女は、天井に近い壁にある、小さな窓を指した。たぶん、五メートルはある。僕も一度は考えたけど、とても僕らの身長じゃ届きそうもない距離だ。

 さすがにさっきドアを塞ぐほどの力を使った後に五メートルの距離の宝石を作り出すことも、妖精未満の僕では無理だ。三日くらいかかってしまう。


「だいじょーぶ。あたしならいける!」


「そ、そのポーズは一体……?」


 少女は、その場に座り込み、僕に背中を見せた。


「何って、おんぶだけど?」


 何でもないように言う少女を見て、思わず目を疑った。

 ドレスを着た明らかなお姫様が、男子である僕を背中で運ぼうとしているのだから。さすがに世間を知らない僕でも、これがおかしいことだという教養はある。


「ほらほら、使用人来る前に早くでねーと!」


「う、うん……」


 僕は彼女の小さな背中に、乗った。

 なんだか、なんとなく、屈辱な気分だった……。


「いくぞ! つかまってろー!」


「え? え?」


 僕の頭が「?」で埋まっているうちに、少女は、飛んだ。

 そう、飛んだんだ。

 全身に水を纏いながら、その力強いジャンプと共に、滝のような威力で飛んだ。


「わ、ああああーっ⁉」

「離すなよ! 死ぬから!」


 もう無茶苦茶だった。

 流石に怖くて目を瞑ってしまった僕は、再び目を開けた瞬間、その目を疑った。

 お城を飛び出して空を飛んでいることも、十分驚いたけれど。


 世界の外の美しさに、意識を奪われた。


 城の外観を飾るダイヤモンドとそれ以外の、色とりどりの宝石。

 本でしか知ることがなかった、草木や川、湖。ずっと空想上のものだと思っていた自然。

 手をつないで幸せそうに微笑む女の子や、水をかけあってはしゃぐ男の子。そんな子どもたちを見て笑みをこぼす大人たち。

 色白の耳が尖ったエルフや、ふさふさと気持ちの良さそうな毛並みをしたビーストたち。

 見回しても限りなく続く広い広い、広い世界。


 僕にとってあの部屋だけが世界だった。

 だけどこんなにも大きな世界が、僕の世界の外側にあったなんて、知りもしなかったのだ。


「どーだ? すっげーきれいだろ!」


 僕を担いだまま、少女は言った。

 僕はその言葉に反応することができなかった。

 楽しそうに笑う彼女の横顔が、とてもきれいだったから。恥ずかしくなってしまったのだ。


 それは、初恋だった。

 妖精として過ごしてきた僕は、人間として初恋をした。

 これから始まる悲劇なんて知らずに、只々、クリーム色の、青い瞳の少女に――恋をした。


   * * *


 着地をした場所は、王都だった。僕の国ではなく、クリスタル王国。少女が過ごす国の王都だ。

 少女はドレスを脱ぎ捨て用意していた別の素朴な衣に着替える。深いフードをかぶっていて、完璧な変装だ。僕もひと目では少女と気が付かないだろう。


「おいおい、また城を抜け出したのか?」

「だ、だれのことだろー?」


 一瞬で気づかれた。

 少女に話しかけた町民はおかしそうに笑ってから、小さくため息をつく。その表情はとても優しいものだった。


「もう何回も見かけてるからなあ。あんたのことは。……見なかったことにしといてやるよ」

「絶対に言うなよ!」

「仕方ねーな。……で、そこの彼氏くんは?」


 少女と楽しそうに話をする町民は、僕の方をじー、と見つめる。


「かれし? よくわかんねーけど、ひみつだ!」

「怪しいぞ? まさか誘拐してきたんじゃないよな?」

「ゆーかいなんかしてねーって! な?」

「えっ」

「ちょーっとあそびに来ただけだもんな!」

「う、うん」


 「話を合わせろ」という必死な少女の視線を浴びて、僕はとりあえず頷いた。

 疑うような目をしながらも、町民は小さくため息をついて「わかったよ」と言う。


「とにかく、早く家に返してあげるんだぞ?」

「はいはーい。あ、なあなあ、今日はいるのか? ルーナ!」

「はは、言ったそばからそれか。今日は友達と遊んでるさ」

「くそー! 次いつ脱出できるかわかんねーのにー」

「ハハハ。またいつでもくればいいだろ。ジュ……いや、名も知らないお嬢ちゃん」

「へへ。さんきゅー!」


 町民に向かってにかっと笑う少女を見つめていると、ふと、町民がにやにやと笑い始めた。


「これはお嬢ちゃんにも春が来たのかぁ?」

「何言ってんだよ? 今は秋だぜ?」


 部屋に籠っていた僕には春とか秋とかはよくわからないけど、少女と町民の会話は少しだけ噛み合ってないように感じた。


「ま、どこの誰だかわからないが、仲良くしてやってくれよな。ぼく」


 突然頭を撫でられて、ビクッと身体を震わせながらも、僕はその手を振り払うことはなかった。

 父上以外の大人の手。この人の手は、父さんの手よりも力強く、父さんの手と同じくらい優しさに満ちていた。


「おっと? 怖がらせたか?」

「い、いや」

「はは、かわいいなーあんた。見たところ十歳くらいだろ? これくらいの歳といえば生意気な奴らばっかなのによ? そこのお嬢ちゃんみたいにな。このままピュアでいてくれることを願うぜ」

「誰がなまいきだよっ!」


 少女が町民の横腹のあたりをこつこつ叩く。本気ではないのだろうけど、叩かれてる方は仕方なさそうに微笑んでいた。


   * * *


「こ、これからどこに行くの!?」

「知らん! けどいーじゃん、楽しいし! ほらほら、足がおそいぞ!」


 町を歩き森を駆け抜け、川で遊び地べたに寝っ転がる。休んだら今度は木を登り崖を登り、川を下る。僕たちはたった一日で大冒険をした。実際には大冒険ではないけれど、僕はそんな風に感じていた。


 もちろん、そんな楽しい出来事には、代償があるもので。

 少女と一緒に部屋へ戻ると、父上が鬼の形相で待ち構えていた。いつも僕に優しく声をかけてくれる父上は、どこにもいなかった。

 その隣には、父上よりもっと怖い顔で隣の少女を睨む女性がいた。


「何をしたっ⁉ 私の息子に!」

「あんたはどれだけ私の品位を下げるつもりなの! 王女の自覚はないの⁉」

「――っ!」


 少女は女性にぶたれた。血を流すほどに強烈なビンタだった。

 床に倒れた少女にもう一度手を上げかけたところで、僕は女性と少女の間に入る。

 わかっている。この女性は少女の母親で、おかしなことをしたのは少女の方だと。

 それでも、目の前で真っ赤に腫れた顔を手で塞ぐ少女を見て、何もしないほど僕は臆病ではなかった。


「やめてください! 僕が彼女にお願いしただけなんです!」


 実際に少女にお願いをしたわけではない。だけど僕は心の中でずっと思っていた。

 外に出たいと。自分の知らない世界を見たいと。

 それを少女は叶えてくれた。僕の一番の願いを叶えてくれた。こんな風に一方的に攻撃されるのはおかしい。


「…………行くわよ。さっさと出ましょ」


 女性は僕を強引にどかし、少女を乱暴に抱えて部屋から出ていこうとする。

 一日ずっと一緒にいた少女が、遠くへ行ってしまう。そう悟った僕は、いつの間にかこう叫んでいた。


「君は……!」


 青い瞳。華奢な体。クリーム色の長い髪。

 天真爛漫な笑顔。僕の初恋の人。

 少女の名前を知りたかった。知らないままでは、本当にもう会えなくなってしまうと思ったから。


「ジュリ! ジュリ・クリスタルだ……!」


 ジュリ。……ジュリ。ジュリ。

 僕は頭の中で、何度もその名前を連呼した。その名前は、心地よくて、あたたかくて、優しくて。そんな意味は一切ないのだろうけど、僕はそんな感情に浸っていた。


「ジュリ、また会おう! 僕の名前は――」


 そして僕も、彼女に名前を言った。

 次に会うとき、この名前を覚えてくれればいいな。そんな思いも込めて。


 ――ミオ。



 僕はそれからしばらく、彼女に会うことは出来なかった。

 彼女に再び会うことになるのは、三年後の、一三歳を迎えたある日である。


 




 

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