36 CARAT 《過去編》僕と彼女の、特別な出会い

 ―◆Iya side◆―


「イヤ様……。この子だけは、どうか」


 ベッドの上で、ダイヤモンド王国の王妃は、今にも消えてしまいそうな声で私の名前を呼び、言いました。

 このままでは彼女も、この子も、帰らぬ人となってしまう。

 私は彼女のお腹に向けて、強い光を放ちました。


「私があなたの子供を必ず生かせます。だから、あなたは安心して、眠ってください」


 妖精として彼女にできることはこれしかありませんでした。病気を治すことは、私の力ではなすことができないから。

 たとえ私の意識が数十年途切れてしまっても、それでいい。私は、全力で自分の生命力をお腹の中の彼に与えました。

 彼女が残した最後の命を、無駄にするわけにはいけません。


 たとえそれが、後の災厄になるとしても。


 メラルとルドの予知を思い出します。

 それは、後に私が数十年の眠りにつくというもの。

 ごめんなさい。未来は予知通りに進んでしまいそうです。

 それでも、私は彼女を、彼を、そしてこの子を助けたいのです。


 この国の女神として……いいえ、この三人の家族として。


「やめてくれ……! 二人とも、いなくならないでくれ!」


 何を言っているのですか。私は少しだけ、この小さな子に意思を授けるだけです。


「ジルコニア、あなたはこの子を、大切にしてください。私はきっと戻ってきますかから。どうか、私が目覚めるとき、二人の笑顔をみせてください」


 予言された未来が変わると信じて、そう言いました。


 この子には、どうか幸せになってほしい。そう思いました。


 私は、朦朧とする意識の中、メラルとルドの、もう一つの予知を思い出します。


『妖精の力宿りし少年は、隣国の少女と恋をする』

『世界を跨ぐ力に呑まれた少女を前に、少年は黒く染まる』


 私は、この子は好きな人を作ってはいけない。そう願っていました。

 

 ルドとメラルの予知によれば、恋人を作ってしまえばこの子はきっと破滅してしまう。


 だから私は、彼の父である、国王ジルコニアにこう言いました。


「大切に、大切にしてください。この子を、妖精として、大切に育ててください」


 妖精のように人との交わりが少なければ、恋人を作ることもないでしょう。決してこの子に、出会いを与えてはいけない。

 途端に、意識が途切れていくのを感じました。

 その瞬間に思ったのです。


 この子は私のせいで、人間として生きられない。それはあまりに――。


 あまりに、生きづらいな。と。


   * * *


 ―◆ ―― side ◆―


 僕は絶対に人と関わってはいけない。なぜなら、穢れてしまう可能性があるからだ。生まれた時から、きれいな宝石を生み出せるからだ。

 妖精の代わりとして、妖精として過ごさなければならない。


 宝石を生み出せるのは、妖精のみだ。

 しかし、僕を産み出すときにこの国の妖精は生命力を僕に受け渡した。だから、僕は半分妖精のようなもの。

 ダイヤモンドの宝石は、多くの人から望まれた。けれど僕は完全な妖精ではない。だから生み出せる数もごく少数で、それでも宝石を生み出している時間は楽しかった。


 楽しかった……と思うしかなかった。


 広い広い部屋に一人きり。記憶にある限り会ったことがあるのは父親一人だけ。

 だから、ほかに人なんていないものだと思ってた。

 この広い部屋ひとつが、僕にとっての世界そのものだった。

 

 だから僕は、純粋で、素直で、穢れがなくて、そうならざるを得なかった。

 自分のしたいこと、自分が好きなもの、そのどれもが外側から決められているようで。

 だけど、幼い僕はそれに気が付くこともない。


「父上、そのドアの向こうには何があるの?」


「ああ、何もないよ。ミオ、お前は気にしなくていい」


「そうなんだ。わかった」


 疑問に思っていても、何もないと言われたのだから何もないのだろう。

 そう思いながら、いつも鍵が閉まっているドアの向こうには気にも留めていなかった。

 父親は時間があればいつも僕のそばにいた。僕のことを大切にしていたのは間違いないだろう。


 世界は小さくて、世界には僕と父上の二人だけが生きていて。

 それでも楽しくて、綺麗な宝石をみているだけで自然と笑顔になって。


 それが偽りの幸せだと気が付かないまま、10年が過ぎた。


 10歳にもなると、好奇心というものは大きくなる。

 僕は何度もドアの向こうへ向かおうとした。

 あの先には何があるのか、父上はこの部屋にいない間何をやっているのか。

 聴いても教えてくれないのはわかっていた。

 だから僕は、父親がこない真夜中にドアを何度も開けようとした。


 けれど、内側から鍵を開けられる場所はどこにもなく、開けられる方法はなかった。


 そうだ。そんな時だった。彼女が現れたのは。



 ――ある日の昼だった。

 父親はその日何か用事があって、いつも一緒に食べている食事も僕は一人で食べていた。たまにあることだ。

 今にして思えば、他国との交流があった父親が、僕に付きっきりだったほうがおかしい。

 ドアはどうせ開けられないとわかっていたので、食事が終わると、おとなしく宝石を作ったり、勉強をしたりして時間を潰していた。

 そんな中、彼女は急に現れた。

 ――ドンドンドン!

 思わずビクッと体を震わせる。

 父上はあんなに強くドアをたたいたりしない。父上じゃない誰かだ。


「誰かいるか―! いたら中へ入れろー!」


 幼い声だった。僕と同じくらいの歳に聞こえる。だからか、僕は最初に感じていた警戒心もなくなり、ドアの向こうに声をかけた。


「僕はこの部屋からの出方がわからないんだ。だから開けられな――」


 言った途端、すさまじい勢いでドアがこちらに向かって倒れた。

 ドアが床に敷かれるようにして倒れたのだ。しかも、真っ二つに割れている。

 当の本人は「やっべぇ……」と言いつつ、部屋の中に入って内側から大きなドアを持ち上げて元の形に戻そうとした。

 二つに分かれているから戻るわけがないと思いつつ、僕は彼女の姿に見惚れていた。


 クリーム色に染まったツヤツヤな長い髪。青く華やかなドレスの隙間からのぞく透き通る肌。掴めば折れてしまうのではないかと思うほどの、華奢な身体。女の子らしいやわらかくて小さな顔立ち。 

 見た目だけで、まるで本の中にでてくるような天使だった。


 僕は、彼女に一目惚れしていたのかもしれない。

 10歳の僕が抱く感情なんて、今になってわかるはずもないけど。


「ね、ここに隠れさせて! お願い!」


「あ、え……っと?」


「外のやつらに追われてんの! クソッ、ドアなおらねーし!」


 大慌てで真っ二つになったドアをくっつけようとする少女を見て、僕はぼーっとしてしまった。

 それもそうだ。派手なドレスを着た華奢な少女が、乱暴な話し方で二つになったドアを無理やり一つにしようとしているのだから。


「外……」


 僕は、空いたドアの先にを見る。

 今なら、ここを出て外を見ることができる。

 だけど僕は、少女を助ける方を優先した。なんで追われてるのかとか、そんなのはどうでもよくて、ただ彼女の役に立ちたかった。


「離れて」


「あ? 何するつも……」


 僕は二つに割れたドアの境目に、ダイヤモンドを生み出し、その規模を広げた。まるで接着剤のように、細かいところにまでダイヤモンドの結晶を巡らせる。二つのドアは、一つになる。

 そして、ドアのあった場所にドアをはめこみ、またダイヤモンドをドアと壁に張り巡らし、取り付ける。

 壁一面がダイヤモンドになってしまった。これじゃあ外側からも内側からもドアを開けることは難しい。


「だ、ダイヤモンドだよな⁉ それ! おまえ、ようせいだったの⁉」


「妖精じゃないよ。だけど、妖精の代わりをやってるんだ」


「すげー!」


 少女は目を輝かせる。僕はそのキラキラとした目にドキッとしてしまい、思わず目を逸らした。

 褒められたことが気恥ずかしくて、あまり考えずに言った言葉が、僕と彼女の始まりだった。


「すごくないよ。ここから出られないし、宝石を作る以外何もできない」


「え? ここから出たことないのか……?」


 信じられないと言った様子で、少女は目を見開く。そんなにおかしいこと? と聞き返すと、首をブンブン縦に振った。


「ここに隠れるつもりだったけど、やっぱナシ! 一緒にここを出る!」


「……は? な、なんで……?」


「だって、外の世界を見たことがないなんて損すぎるじゃん! それに――」


 彼女は、僕の目をまっすぐと見る。

 その瞳は、逸らすことができないほどの、美しい青だった。


「誰かの言いなりになるなんて、そんなの自分じゃないじゃん」


 ――そして僕は、恋をした。


 そう、本当に些細なことだった。こんなことで恋をする僕は、案外心が弱かったのかもしれない。

 いや、彼女との出会いは決して「こんなこと」ではなかった。

 僕にとって、大切で、忘れられない――。


 特別な出会いだった。

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