28 CARAT 主人公は逃げない

―◆romio side◆―


「ロミオ……今」


「ああ……。あれが、妖精アリアか」


 魔獣の長い胴体に背中合わせで体を締め付けられた俺とナイトは、アリアと名乗る妖精の姿をみる。

 真っ黒な羽に真っ黒な瞳。真っ黒な髪をひとつにしばったポニーテール。小さな体。

 俺が想像する妖精とは雰囲気が違えど、羽が生えている、人間より小さい身体、という部分では想像通りだった。


 ナイトは、アリアをまじまじと見つめる。


「本当にアリア様かは、実際にアリア様に会ったことのあるマリ―ニャ王に聞かないとわからないところではあるけど、おそらく、あれがアリア様だと仮定する方が自然だよ。けど、普通の妖精はあんな醜い姿ではない。もっと綺麗で、華やかで……それが妖精のあるべき姿のはずなんだ」


 そうか。ナイトは妖精にあったことがあるんだったな……。

 目の前にいる悪魔のような姿をしたアリア。

 とても妖精とは言い難いその姿は、大きな黒い羽根を動かしながら可笑しそうに笑う。


「あははは! びっくりした? 今日はあなたたちに魔獣をプレゼントするために来たよー!」


 言いながら、魔獣は尾の部分を振り回しながら、器用に暴れる。


「ジュリちゃん! 逃げた方がいい!」


 ナイトはこちらに向かってくるジュリを必死に止めている。

 こんなデカい魔獣に当たったら、ひとたまりもない。


「ナイト、炎は出せないのか。俺は道連れになってもいいから、魔獣を炎で攻撃すれば……」


「それは無理なんだ。さっきから何度も試そうとはしてるんだけど、やっぱり、できない」


「できない……? そういう術でもかけられて」


「僕、魔法の使い方を忘れてしまったんだ。兄がいなくなってから」


 乾いた笑いで、ナイトは言う。

 確かに、ナイトが炎を使っているところは見たことはない。ロードが使っているのを見る限り、魔力がないというわけでもないだろうし、精神面のショックで魔法が使えなくなったのだろうか。

 これ以上聞くわけにもいかないな。


「とにかく、炎は使えない。せめて魔獣の締め付けが緩くなれば、剣を取り出せるのに」


「くそっ、びくともしないな、これ」


 潰しにかかってはいないが、少しでも力を入れられたら骨が砕けそうなほどには締め付けられている。

 こんな状況でも冷静でいられるのは、元騎士であるナイトと、死にたがりの俺くらいだろう。

 わざわざこっちの世界に来てジュリに知らせるつもりが、自分が捕まるなんて……本当に俺は、何がしたいんだ。

 ここに来たって、俺は何もできないのか。


『王子くん、君のいるべき場所がどこか、よく考えてね』


 智乃さんの言葉が、頭をよぎる。


「ロミオくん! ナイトくん!」


 ジュリが、魔獣の方に近づいていく。一緒に来たはずのブラウンもユーナも、一定の場所で立ち止まっていた。


「あははは! 私とミ……じゃなくて魔王の力で作った、ジュリちゃんのみを通す結界っ! すごいでしょー?」


 目の前をくるくると回って楽しそうにするアリアの姿を、俺たちは見ることしかできない。

 ジュリのみを通す結界? いや、それよりも今、何かを言いかけたような……。


「なんで、そんなことをするの? ジュリちゃんだけを危険な目に合わせるなんて。アリア様、あなたは妖精のはずじゃ」


「自分で言うのもなんだけど、私は心が真っ黒に汚れた妖精なの! だから他の妖精みたいに国の平和とか悪魔退治とか興味ないっていうか、むしろ破滅する世界がみてみたいんだよね! 黒の水晶の復活、なんだかワクワクしない⁉」


 狂ってる。目を輝かせて何を言ってるんだよ。

 もうこいつは、妖精なんかじゃない。

 悪魔――それ以外の何者でもない。


「アリア様! こんなことはやめてください! ロミオくんとナイトくんを離してください!」


 気づかないうちに、ジュリがすぐ近くにまできていた。


「ジュリ、危ない! アリアはお前が目的だ!」


「大丈夫ー! ジュリちゃんの身体は傷つけないよ? か・わ・り・に!」


「うぁあああああああああ!」「あああああああああああ!」


 体中に激痛が走る。締め付けられた身体がさらに圧迫され、潰されそうになる。

 さすがのナイトも、俺も、我慢できる痛さじゃない。


「ナイトくんっ、ロミオくんっ! ……アリア様、もうやめてっ!」


「ねえねえ、ジュリちゃん、悪魔に呪われちゃったらしいね? 今でも、皆が魔獣に見えているんでしょ?」


「…………」


 ジュリは何も答えない。剣を構えたまま、アリアを睨み続ける。こんな表情をするジュリは、初めてだ。

 まるで、初めて水晶を手に取って、桜木が魔王の記憶を再現した時のように、まっすぐとした怒りの目。

 ああ、やっぱりジュリは、感情が豊かだ。感情と行動がまっすぐで、輝いていて。


 ――そんな彼女は、物語の主人公のようで、俺とは違う、遥か遠くの光の中にいる。


「もしロミオくんやナイトくんを捕まえているこの魔獣が、魔獣じゃなかったら? これもただの幻聴で幻覚で、あなたの大好きな人間だったら? また、同じ失敗をする? このロミオくんたちも偽物かもね?」


「…………っ」


「だって、結界も張ってあるのに魔獣が町のど真ん中にくるなんて、変でしょ? だから、またジュリちゃんが見てるマボロシなんじゃないのかなー?」


「…………だめ……それ以上は、言わないでください」


 ジュリの、剣を持つ手が、小刻みに震える。 

 あのときのことを思いだしたのだろうか。俺を斬ったときのことを。


「あとあと! もしジュリちゃんがこの魔獣を斬ろうとしても、ロミオくんたちと密着してるから、間違って一緒に斬っちゃうかもねー? 結界が張られてるから、誰も二人を助けられない! どうしよー?」


「…………一緒に……」


 魔獣に締め付けられて苦しい状況でもわかる。ジュリは完全に動揺している。声も体も震えていて、とても戦える状況じゃない。


「ジュリちゃん! 僕たちで、なんとかするから、今は逃げるんだ!」


「…………っ」


 ナイトは、締め付けられていても大きな声でジュリに呼び掛ける。

 ジュリは、声を出すことができないほど、不安とか恐怖とか、そういう感情で頭をぐちゃぐちゃにしているようだ。

 このままじゃ、ジュリがどうなるかわからない。

 俺も、ナイトにならってジュリに逃げるよう声をかけなければ……。


『――強くなりたいんです』


 ふと、脳裏によぎる。ジュリがいつも言っている言葉。

 このまま、ジュリが逃げて、俺たちが魔獣をなんとかする……それでいいのか?

 この状況なら、俺たちから見てジュリにとって最善の行動かもしれない。怪我もせずに、失敗もせずに終わるのだから。

 ……けどそれは、俺たちから見て、だ。

 ジュリはきっと、後悔をする。

 あんなまっすぐな主人公が、目の前の敵から逃げれば、それこそ揺れやすい心が崩れてしまう。

 俺はジュリじゃないし、これはただの妄想で、ジュリの心が傷つくかなんてその瞬間にならないとわからない。けど、彼女の失敗を恐れるより、彼女の成功を信じる方が、ジュリにとっての助けになるはずだ。

 急いで帰ってきて助けるつもりが、立場が逆転しているが、この際考えるほど無駄だ。


 俺は潰されそうになりながらも、なんとか息を吸う。

 今のジュリが、一番欲している言葉を、ジュリに。


「ジュリ! 魔獣を斬れ! 俺たちを、助けてくれ!」


「え⁉ ロミオ⁉」

「へっ⁉」


 ナイトとアリアが同時に声を漏らす。

 そりゃそうだ。俺がやっていることといえば、命乞いのようなものだ。

 プライドもクソもない言動に、正直自分でも引いている。

 けど、今の俺ができるのは、これくらいだ。

 剣と魔法で敵を討つとか、犠牲になって誰かを守るとか、そういうかっこいいものじゃなくて――。


「ジュリ! 今俺たちを助けられるのはお前しかいない! 自分を信じろ!」


 ――目の前にいる、こいつを信じること。それだけだ。


 人を信じるなんて、今まで散々な人生だった俺が一番嫌いだった感情だ。

 けど、一年前の今日、俺は、信じられるやつと出会った。

 目の前の彼女そっくりな、感情が豊かで場の空気を一瞬にして変えてしまう、変わったやつだ。

 あいつがいなかったら、今の、人を信じるとか、人の為に動くとか、そういう人らしい行動をする俺なんて、存在していなかったかもしれない。


 なんで今、こんなことを考えているのだろうか。


 きっと俺が、最低なやつだからだ。

 彼女の気持ちを知っておきながら、知らないふりをして、挙句の果てに大事な約束まですっぽかした。


「……ごめん桜木。後でゆっくり話す。だから、ここで死ぬわけにはいかない」


 ジュリの方を見ると、震えた手で、強く剣を握りしめているのが見える。

 戦おうと、している。


「わ、私は……弱くて、ちっぽけな存在です。沢山の人に助けられてきて、自分では何一つ町の人を守れていません。だけど……!」


 そう言って剣を構えるジュリの姿は、決して勇敢な戦士と呼べるものでもなかった。手足は震えているし、声も若干裏返っている。


「今ここで逃げたら、誰も救おうとしなかったら、私が生きる意味はない!」


 だけど、少なくとも俺は、そんな彼女が頼もしく見えた。

 

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