22 CARAT ありふれた言葉、許されない言葉

「……約束だからな」


「ん?」


「だーかーら! 明後日、約束だからな! 十時にここ集合!」


「はいはい。随分と張り切ってるな」


「そ、そうだよ! 悪いのかっ!」


 別に悪いとは一言も言ってないけどな……。

今の状況を話すべきか話さないべきか……。

 話したところで何も変わらないかもしれない。けれど、桜木に要らぬ心配をかけてしまうことは確実だ。

 けど、そんなこと気にするのは俺らしくないかもしれない。

 俺の身に起こってるだけのことだ。話したところで今の関係が崩れる可能性はゼロに近い。


「桜木」


「なんだ? 改まって」


「……そろそろ、帰るか」


「? だなー。バイトでヘトヘトだし」


「アンナと話してただけだろ。ちゃんと仕事してるとこ見たことないぞ」


「してるっ! つーか、お前が言えることか!」


 そんな他愛もない会話を交わしながら、俺たちは別れた。

 夕方の外はまだ明るい。今日は雲一つない晴天だったからか、いつも以上に明るくみえる。


「……眩しい」


 俺の心は、ずっと曇ったままだった。


 ―☆―


「不合格……」


 異世界に飛ばされる前の、最後の面接の通知が、ポストに入っていた。

 中には見慣れた文章が堅苦しく並べられている。


「いつになったら就職するんだよ……俺」


『これじゃあまるで、路美尾くんが……』


 ハローワークで聞いた、あの言葉が俺の脳裏に蘇る。

 その先の言葉は、容易に想像できた。


 ――わざと落ちてるように見えます。


「クソッ! 本当に俺は……クズだな」


 思わず壊れかけのボロいドアを強くたたいてしまう。

 自己嫌悪に浸って、それでも本気になれなくて。

 だから俺は、こんな現実を捨てて、異世界で本気になろうとしている。

 いや、それも全部、自分に言い聞かせるための嘘なのかもしれない。

 実際、何もできていないじゃないか。この前だって、ロードの一件があったとはいえ、寝込んでいただけで、俺は何の役にも立っていない。

 クズでクズで仕方がない。

 逃げて、逃げて、逃げて……そんな自分を嫌って、なんとかやってるふりをして。


 俺の生きる時間は、全部進んでる【ふり】をして、いつも止まっている。


「はーい自己嫌悪タイム終了ー!」


 後ろを振り返ると、見慣れた姿が立っていた。

 いつも変なタイミングで現れるんだよな……。この人は。


「……智乃さん」


「さあさあ王子くん、入って入って」


「ここ俺の家なんですけど」


 そう顔を引きつらせながら明らかに迷惑ですという顔をしても、智乃さんは空気を読まずどしどしと俺の部屋に入ってくる。 

 今は帰ってほしいのに。

 何せ、智乃さんに弱みなんて見せたら何言われるかわからないし、正直今の俺はこの人のテンションについていけない。


「王子くん、桜木ちゃんのことは好き?」


「……は?」


 なんでいきなり桜木が出てくるんだ。

 ああ、俺が桜木に何も言えてないのを知ってるのか。この人、変に感がいいし、俺のいないところでちゃっかり桜木に会ったりしてるらしいし。


「無言ってことは、肯定ってことでいいのかなー。それとも、言えないのかな?」


 智乃さんは、俺に一歩ずつ近づいていく。

 魔王が近づいてきたあの恐怖とは、別の恐怖が俺を襲う。


「智乃さんには関係ない」


「二人の時間、最近崩れつつあるよね」


 俺は何も変わりたくない。そう心から願っている自分が、本当に醜くくて、耐えられなくて。


「帰ってください」


「本当は、桜木ちゃんの気持ちに気づいてるんじゃないの?」


 俺は全て無視してやり過ごしている自分を、ずっと無視している。


「――帰れっ!」


 俺は、大声を出して智乃さんを突き飛ばそうとした。


「……あっ?」


 ――が、俺がこうすることをわかっていたかのように、智乃さんは後ろに下がる。

 俺の両手は空中を舞い、あっけなく床へ崩れ落ちる。


「い、今の、痛かったよねっ」


 俺をこうした張本人の智乃さんが、大げさに反応しながらも倒れた俺の体を起こす。


「……ぐ」


 真面目な場面でこれは格好悪すぎる……。

 智乃さんに関わると、なんでこう、智乃さんの都合通りに行くのだろうか。


「今日は私、いつも以上にお姉さんするから、ちゃんと聞いて? 王子くん」


 俺は重心のかかった右腕を抑えながら、ベッドに座る。

 少しでも離れたくて座ったのに、ちゃぶ台に座っていた智乃さんは、わざわざ俺の横に座りなおしてきた。


「で、何ですか。早く帰ってほしいんですけど」


 さっきのは恥ずかしすぎる。大声で怒鳴ったのにも関わらず、豪快にバランスを崩してコケたからな……。

 正直この人とはもう顔も合わせたくない。


「いやーいい転び方だったよ! 動画撮って今後の取り立ての脅しに使えばよかったと思うくらい! 怪我はなくてよかったよかった……!」


「それしたら本気で警察呼びます」


 俺がこんなにもイラついているというのに、いつもの調子で元気キャラを突き通す31歳を見て、俺のイライラは募るばかりだ。


「リラックスできた?」


「してるように見えますか」


「うーん思わないけど、さっきよりは落ち着いたんじゃない? 今はあれでしょ、お姉さんの前でコケたことが恥ずかしいだけでしょ~?」


 全て見透かしていますよー?と言わんばかりに智乃さんは含み笑いで俺の顔を覗き込む。


「まあ、それはいいとして、さっきの質問、答えてくれるかな?」


「……」


「私は、王子くんが言った言葉をそのまま信じるよ。だから王子くんも、自分の言った言葉を信じて。今だけでいいから」


「……桜木のことは、嫌いじゃない……です」


 ずっと嫌いだ嫌いだと言い続けてきた相手だったけど、気が付いたんだ。

 それは捻くれた性格を持った俺が、自分に隠していただけで。

 好きという感情が何なのか未だにわからないけど、この感情は嫌いという感情ではないというのは確実だった。だからこそ……。


「だからこそ、桜木ちゃんに向き合えないんだよね」


 普段の智乃さんとは打って変わったような、優しく包み込むような声。一瞬、本当に一つ上くらいのお姉さんのように見えた。

 姉がいたことないから知らないけど、もし姉がいたら、俺は毎日こんな風に相談することができたのかもしれない。


「桜木ちゃん、王子くんのいない公園で、泣いてたんだ」


「……」


 さほど驚きもしなかった。

 あいつがそういうやつだということは、俺はとっくにわかっている。

 誰よりも寂しがり屋で、誰よりも女の子で。

 長くて短い一年間、ずっとあいつの顔を見てきた俺なら、分かりきっていることだった。


「俺は全部、根本から知らないふりをしてた。今でも。けど……」


 それを第三者である智乃さんから言われたら、もう隠し通すことはできないじゃないか。


「桜木ちゃんは、他人に正直になれない。王子くんはその逆だね」


「逆も何も、両方だから間違ってますよ」


 自分にも、他人にも、正直になれない。

 それが俺だ。きっと、この先も、そんな性格から前に進むことはない。


「就職の面接だって、受かる気なかったんですよ。俺は」


 それはもう、真剣にやっている桜木が知ったら本気で殴られるレベルに、俺は醜い人間だ。

 時間は止まらない。けど、自分にとって幸せな現状を、必死に止めていた。

 このままでいてくれ。このままでいてくれ。

 そう思うことは桜木だって同じだろうに、俺は桜木とは全然違う。


 嫌々ながらも、現状に満足しないで進む桜木を、俺は嫌いになんてなれない。


「どうしようもない自分に、嘘をついて、他人のせいにすれば、この気持ちも収まるかと思ったんですけど」


 他人を嫌いになれば、すべてを嫌いになれば、この気持ちを抑えることができると思っていた。全て嫌いなふりをすれば、自分を守れると思っていた。

 嫌いな自分の一部を、必死で隠して嘘をついていた。


 でも、それを知ってしまった今は。


「王子くん、正直に言っていいよ。お姉さんは隣で、聞いてあげるから」


 ああ、本当に智乃さんはずるい。

 こういう時に本音を言えるのは、やっぱり一瞬だけでもお姉さんになる、この人だけだ。

 だから俺は、今の率直な気持ちをそのまま言葉に出した。

 世界中にありふれた言葉だけど、発することすら許されない言葉。


「死にたい」


 気づいたら、頬が濡れていた。

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