17 CARAT 森の中、響くその声は――

 滲む。眩む。水の中のような歪んだ視界。   

 夢の中だということが、なぜかすぐに分かった。


「………………いだ」


 誰のものかもわからない、かすかな声が聞こえる。

 同時に、違和感を感じた。


 苛立ち、苦しみ、憎しみ、哀しみ……俺の中にない感情が、意味も分からず流れてくる。


「……まえの………」


 夢の中だというのに、妙に現実に近い意識が、俺の中を支配している。  

 自分が自分である意識が、遠のいていく。


「――お前のせいだ!」


 鼓膜が破れるほどの声を、夢の中の「俺」は、叫んでいた。

 目の前が、赤黒く染まった瞬間に、俺は現実に戻された。


 ―★―


「……っ!」


 ベッドから飛び起きることなんて、マンガやアニメの世界以外、ないと思っていた。

 布団を放り投げるほど、俺はあの夢の中に入り込んでいたということだ。


「謎でしかねえな……」 


 夢だから意味不明なのは当然なんだが、俺は夢の記憶を覚えていられる人間じゃない。中にはその日見た夢のことを細かく語る奴もいるみたいだが、俺は見た夢は起きた瞬間にすぐに忘れる。

 それが、最近は、昨日見た夢でさえも、微かにだが、まだ記憶に残っている。

 今回は視界が歪んでいて目の前が見えなかったが。

 最後ははっきりと、真っ赤な色で染まった視界を、覚えている。


「目覚めがいいんですね。ロミオさんは」


 その幼い声の持ち主は、俺が投げた布団を頭から被っていた。

 自分から被ったわけじゃないだろう。おそらく俺が彼女の方向へ布団を投げ飛ばしたのだ。


「…………ご、ごめん」


 長い間が空いてから、俺は、ユーナにかかった布団を取りながら謝る。謝ることに慣れていないせいか、ユーナに届く声だったかも不明だ。


「いえ。ここに立っていたわたしが悪いです」


 絶対そんなことないのだが、俺は何も言わなかった。ボロボロの屋敷の部屋の中には、ユーナと、ガーネットが居た。

 ガーネットは刃物の手入れをしている。勢いよく起き上がった俺に関しても、布団が被さったユーナにも、見向きもしていなかった。

 何考えこむようにしている様子で、刃先の同じところを何度も拭っていた。


「ガーネット、昨日はどうだったんだ?」


 俺が話しかけると、ガーネットはハッと我に返ったようにこちらに向き直ると、刃をしまった。


「ああ、魔王もどき、戻って来たのね。昨日の戦闘は、なんとか大丈夫だったわよ」


 ……もう魔王もどきという呼び方がガーネットの中で定着している。

 怪我がなかったら俺も参加した方がよかったのだろうか。いや、戦闘力0の俺が戦闘に出てどうなるかは一目瞭然だ。

 かといって、戦闘の場面に出くわして、何もしないで突っ立ってるわけにもいかない。

 ここは、戦う世界だ。もし、戦う場面になれば、俺はどうしたらいいのだろうか。


「ジュリ、あれからすごいやる気ね」


 穴の開いた壁の向こうを、ガーネットはみていた。


「あれから?」


 俺は立ち上がり、ガーネットの見ている穴から外の様子を覗く。

 外には、ジュリと……あれはロードだろうか。動きが激しいし炎もメラメラと燃え盛っているし。

 その二人が炎と水をぶつけ合っている。ロードの方は手加減をしているようだが、ジュリの方は必死に両手を出して水を作り出している様子が遠くからでもよくわかる。

 喧嘩や仲間割れとかではなさそうだし、これは一体どういうことだろうか。


「ジュリ、町の人を守れるようになりたいんですって。強くなるためにこの村の状況を利用したことに罪悪感があったのよ。だから、そんな状況でしか頼れない自分にならないようにって、一歩でも前に行きたいだとか、そんなことを言いだして、ナイトと火達磨に協力してもらってるということよ」


 ジュリは、そこまでして自分の町の人の役に立ちたいと言っているのか。

 もう一度、ジュリの姿をみてみる。


「もっと、威力を強くしてください! お願いします!」


 数十メートル離れたここからでも、ジュリのその真剣な表情、意志の強い声が聞こえる。

 なんだか、一昨日会った日よりも、立ち姿が大分変わったように感じる。

 ロードも、あんまりジュリのことは好きそうでなかったのに、魔法の練習に付き合うまで仲良くなれたのだろうか。


「そろそろあの2人を呼んできなさい。皆あなたを待っていたのだから。魔獣退治はもう終わったから、一度城へ戻って王様に報告しに行くわよ」


―★―


 俺は激しい炎と水のぶつかり合いの中に入る。

 激しいと言っても、炎が圧倒的に水を蒸発しまくっているが。


「そろそろ出発らしい」


 それだけ伝えると2人は俺の声に気づいたらしく、炎と水は一瞬にして消えた。燃え移った炎は灰を残して消え、水溜まりになった地面の水は消え、不自然に黒く湿った地面へと姿を変えた。

 魔法を見ると、この世界が昨日いた世界からしたら現実離れしすぎていると実感する。俺にはまだ慣れない環境だった。


「おー、ロミオじゃねーか! 話はこいつから聞いたぜ」


 ……そういえば、ロードには俺のことを詳しく話していなかったっけ。


「ロミオくん、おかえりなさい。……ええと、この場合はおかえりと言うべきではないのでしょうか?」


 しょうもないことに頭を使い始めたジュリをよそに、ロードは俺の方へ近づいてくる。


「へっぴり腰のくせに、よくやるモンだ」


 ジュリには聴こえない声で、ロードは苦笑しながらそう言う。


「魔法の練習付き合うほど仲良くなったのか?」


 ロードにしては意外だ。一昨日は少なくともそんな雰囲気じゃなかったのに。

 ジュリもビクビクするほど睨んでいたのに。


「仲良くする気はねえ! 炎出せるのはオレだけだから仕方なく」


 そうか。水と炎は確かに練習するには相性がいいな……。

 いや、それよりも、ひっかかることがある。

 "オレ"だけ?

 ……ロードが炎を出せるなら、ナイトも出せるんじゃないのか?


「オレはまだジュリのこと、認められねえよ。ナイト」


 それに気づいたジュリも、小走りでその方向へ駆け寄った。


 最後にロードが言った言葉の意味が、俺はわからなかった。


―★―


「ガーネット様、お待たせしました」


 町へ村人の様子を確認しに行ったファイは約束の10時0分ぴったりに村へ到着した。 さすがガーネットの執事だ。


「ご苦労様。村の皆は元気にしてるかしら?」


「ええ。それはもちろん。ガーネット様に会いたがっていました……ですが」


「やっぱりこの村が恋しいのよね……わかるわ。王都に戻ったら復興準備、するわよ」


 この村はもう随分と荒れ果てている。復興には時間がかかりそうだ。

 こんなにも壊れて醜くなってしまった村を、ガーネットやこの村の人たちは、諦めない。よっぽどこの村が「好き」なんだろうな。


「あ、あの……」


 小さく手を挙げてジュリが口を挟む。


「今魔王が何をしているのか、確認をしたいんですけど……大丈夫ですか?」


 つまり、魔王の記憶をみておきたい。ということだった。

 馬車の中で話し合いもできるだろうし、ここは人気ひとけが少ない分、誰かに水晶を触った後の行動をみられることはない。


「そうね。……けど、問題は誰がやるか、よ」


「わ、私が言い出したので、私が、やりますっ」


 少し、気恥ずかしそうにジュリは俺の方へ歩み寄ってくる。

 俺は水晶を取り出し、手を伸ばすジュリに差し出す。記憶が再現されている間は自身の記憶が消えるとはいえ、相当恥ずかしいことに変わりはない。

 ジュリは意を決して水晶に手を触れる。


「…………っ」


 電流のような光の痛みに耐え終えると、ジュリの身体はしばらく硬直した。

 

「封印石もあと10欠片といったところだね! 黒の水晶復活まであと少しっ!」


 最初に発せられた言葉はそんな言葉だった。

 俺たちは困惑しつつも、嬉しそうに笑うジュリの様子を、見つめ続ける。


「もう少しで会えるよ! あなたの最愛のジュリちゃんに」


 悪戯な笑みで笑いかけると、ジュリはまた少しフリーズしてから、我に帰ったように俺たちと目を会わせた。


 ……どういうことなんだ?


「あ、あの……どうでしたか? 何か居場所の手掛かりは……?」


 俺たちは困惑しかしていなかった。

 ジュリが今再現した人は協力者だろう。協力者がいることに困惑していたが、それはもう、後の言葉を聞いてどうでもよくなった。


「居場所の手掛かりはなかったわ。……続きは出発してからにしましょう」


 俺たちは馬車の中へ乗り込む。水晶の力のことを知らないファイは、頭に?マークを浮かべていたが、説明が面倒くさいのでスルーした。

 移動中、ロードとナイトが入れ替わったので、話し合いを進めることにした。

 俺はナイトとジュリにさっきのジュリの言動を説明した。


「わ、私が自分で言ったってことですよね……ああ……うぅ」


 自分で自分のことを「最愛のジュリちゃん」と言ったことが恥ずかしいらしく、真っ赤な顔を髪と両手で隠して縮こまるジュリ。

 その隣で、ナイトは難しそうな顔をしていた。


「うーん。協力者がいたことには驚いたけど……それよりも」


 やっぱり、ジュリのことを嫌いなはずの魔王が、ジュリに対して協力者に「最愛の」という言葉をつけられていることに疑問をもったらしい。


「ロミオの他に恋のライバルがいたなんて! うん、気合いが入ってきた! 絶対に僕がジュリちゃんを手に入れてみせる! 負けないよ。ロミオ、魔王!」


 思ったのと違うテンションで楽しそうに闘志を燃やすナイトに俺とガーネットはひきつった表情になる。

 ジュリはさらに顔を赤くし、固まって動かなくなってしまった。


「あ、あのな……本人の前で大声で変な宣伝するな。……あと俺は別に」


「ツンデレだな~ロミオはっ」


 確かに見た目としては桜木同様美人ではあるに違いないのだが、それとこれとは別。そもそも一目惚れでここまで一途になるこいつがおかしいと思う。


「その、魔王はジュリちゃんの事、嫌いなはずなんだよね?」


「ま、間違いないと、お、思います……」


 ジュリは顔をあげたものの、その声は裏返りそうだった。

 いつまで恥ずかしがってるんだ。


「あの人の目つきが怖くて夢に出てくるくらいですし……」


「それは元々じゃないの?」


 ガーネットは完全に俺の方を見ながら冷笑した。やめろ、俺をみるな!


「それもあるんですけど、やっぱり彼の言動からは憎しみや嫌悪の感情しか伝わって来なかったというか……少なくとも、好意以前の問題だと、思います」

  

 ジュリにとっては魔王のことを言っているのだろうが、最初の一言は言って欲しくなかった。

 俺が自分と魔王の顔に若干の嫌悪感を抱いて頭を抱えていると、ナイトが難しい顔をして「う~ん」と唸る。


「一種のツンデレとして捉えてもいいけど、仮にも好きな相手に嫌らわれてるとわかるほどのオーラを出してるなら、おかしい。本当に嫌いなのかも。こんなにジュリちゃんは素敵なのにどうして……理解ができない」


 ナイトは世界の終わりみたいな顔をする。世界の終わりみたいな顔がどんな顔かは知らんが。

 これ以上ナイトが興奮やら落胆やらするといちいち面倒くさいので、もう一つの問題に話を変えることにした。


「あと、協力者……。魔王にそんなのがいたとか、聞いてねえぞ」


 口にしてみて改めて思う。魔王1人だって勝てる気がしないのに、仲間までいるのなら、さらに警戒しなくてはいけない。


「そうですね……。全部1人でやってしまいそうなイメージでした」


 ジュリの言う通り、てっきり1人で全部やってるようだったが、手分けでもして封印石を集めているのか?その割に相方の方は目立たないな。


「水晶のことを知られたら危ないから、私たちも知らないふりをしておくのがいいでしょうね」


 話し合いをしているときのガーネットは、なんというかとても頼りがいがある。頼れるだけでそれ以外は俺の嫌いなタイプなのだが。

 

 ――と、しばらくそうして話し合いをしていると、突然馬車が激しく揺れたのだ。


「何!?」


 ガーネットが声を上げたその瞬間、馬車が勢いよく傾き逆さまになった。

 俺たちは地面に身体を強く打ち、馬車から振り下ろされた。

 中でもジュリは木の幹に身体をぶつけ、腕に真っ赤な傷ができていた。


「ジュリちゃんっ!」


 ナイトは素早く立ち上がりジュリのもとに駆け寄る。そして剣を抜いて座り込むジュリを守るように構えた。

 何が起こっているかもわからず、俺はなんとか立ち上がる。ファイもガーネットもユーナも、警戒して攻撃態勢を整えている。


 グァアアアアアオ!


 熊のような魔獣が、真っ赤な目をこちらに向けて威嚇してくる。

 普通の熊よりも数倍はするであろう体格に、冷や汗が止まらない。あっちの世界の熊だって生で見たこともないのに、それ以上の迫力に思わず息が止まりそうになる。

 

「まだこんな魔獣がいたなんて。でも、余裕ねっ!」


 ガーネットは熊型の魔獣に短刀をいくつも投げつける。

 熊型の魔獣の右足と左足にしっかりと刺さる。魔獣の動きはぎこちなくなり、次第にバランスを崩して、前に倒れてきそうになった熊は、なぜか真横に体を倒した。

 倒れてくる熊を蹴り飛ばしたのは、ファイだった。

 一見小柄で体力のなさそうな見た目だが、何メートルもある熊を蹴り飛ばすほどの脚力を、ファイは持っていた。それほどの能力を持っておきながら、魔王に一瞬でやられるとなると、魔王が強すぎる以外に理由はない。


「ありがとう。ファイ」


「村を襲った魔獣でないとはいえ、まだ警戒が必要です。お気を付けください」


 蹴り飛ばされた魔獣は、ファイの言葉の通り、また攻撃を仕掛けてこようとする。


「ロミオ、ジュリちゃんを見ててっ!」


 ナイトはそういうと、剣を構えたまま走り出す。

 俺は戦力にはならないので、ナイトに言われた通りジュリの傍に行く。

 ナイトは剣を振るい、攻撃をする魔獣と同等に戦っている。ロードの様に遠距離からの炎攻撃ではなかった。

 ユーナもガーネットの短刀を飛ばしたり、魔獣の攻撃の進行を遅らせるように風を操っている。


「ロミオくん……皆、すごいですよね」


 ジュリはガーネットたちの戦っている姿を瞳に映しながら、寂しそうに、悔しそうに、呟いた。


「だな」


「私、いつもこうやって守られてばかりで、強くない自分に勝手に焦り出して、無理してしまったんです。一昨日のことですけど」


 ジュリは自分の拳を強く握る。その手は小さくて、すぐに折れてしまいそうな、そんな儚さを醸し出している。


「俺は、戦うとか、そういうのしてこなかったから、ジュリは俺なんかよりもよっぽど強い」

 

 俺は小学生の頃、いじめてくる奴らに反抗はしたことがあるものの、中学からは登校拒否という逃げ道に進んでいってしまった。その結果、結局今でも学校にも就職にも行かず、途方に暮れている状態。

 でもジュリは違う。戦う強さは確かにないのかもしれない。それでも、ジュリは戦うことをあきらめてなんていない。今も、怪我をしているから無理をしないだけで、目の奥を見れば戦えないことへの悔しさが伝わってくる。


「ジュリは、なんでそんなに強くなりたいんだ?」


「ブラウンさんのような町の人に、いつも助けられているから。魔獣に襲われた時も私を守って戦ってくれましたし、魔王が現れた時も、ブラウンさんをはじめ、沢山の人が私を守ってくれました。……私が見覚えもない人に声をかけられた時も、町の人はそんな人たちを必死に説得して、怖がる私に会わせないようにしてくれました」


「見覚えもない人……?」


 見覚えもない人って、ナンパか何かか?そんな人たちと言っている時点で複数いたっぽいし、町で歩いてナンパされるって、どの世界でも一緒なのか?

 ……いや、世の中にはナイトみたいのもいるし、おかしな話ではないな。


「あ、あの、ロミオくん、耳をかしてください」


 ジュリは俺の耳元まで顔を近づけて、囁くように小さな声で言う。


「私には――」


 その頃、ガーネットたちによる戦闘は終わりを迎えていた。

 ガーネットが魔法で毒を放ったらしく、魔獣は苦しそうにもがいていた。

 そこにナイトが剣を振り、魔獣はガアアアアアア!と、声を荒げていた。


「――記憶がないんです」


 ようやく静かになった森の中で、ジュリの声がやけに響いて聞こえたのは、その声が、桜木と重なって聞こえたように思ったからかもしれない。

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