16 CARAT 決まった未来は幸せだろうか

 桜木と初めて会った日のことを思うと、それがつい最近の様に思えてくる。俺にとって最も印象深い出来事だったから。


「初めてあった日から、俺ら随分と長い付き合いだな」


 まだ約1年しか立ってないのだが、俺たちにとっては長い月日だ。

 正確にいつかは覚えていないが、このくらいの時期だった気がする。

 改めて思い返してみると、フレンドリーな桜木が今まで友達が居なかった方がおかしい。

 それも、人に見られる自分を気にしているのだろうか。だから無理に会話をしようとしないのだろうか。

 俺には、というか他人には理解できない感情を、きっと桜木は今もどこかに持っている。


「そうだなぁ。長い付き合いなのにまだ何にも……あ、いやいや、違うからなアンナ!」


「ふふ。やっぱりそうなんだ。私的には、ちょっともみじちゃんはミオくんにはもったいない気がするけどな~」


「今、軽くミオのことディスったろ!」


「2人とも、仕事はどうしたのかな」


 2人の意味不明な会話を遮ったのは、おそらくこの店のマスターと呼べる男だった。

 冷静を装いつつ、かなり怒っているのが目に見えた。

 ただ、そんなことはどうでもよく、俺は自分の目を疑いたかった。

 目の前の彼を、つい最近見たことあると自覚したからだ。


 その顔は、異世界での「ブラウン」の顔と瓜二つ。

 一瞬見ただけでは、活気のいいブラウンとは真反対の、冷静沈着な見た目だった。ブラウンが筋肉質なのに対し、彼の体は色白で細い。

 そればかりか、店内を見回しても、初めてあったことがあるはずなのに見たことある顔ばかりだ。一番奥の二人席に座っているカップルだって、どこかで見たことある顔だし……。


「あっちもこっちも、どんだけ世界って狭いんだよ……」


 小声でそう呟いてしまう。

 もうすっかり、俺の中でこの世界とあの世界はパラレルワールドか何かだと確信していた。

 今日の桜木を見て、その確信は大きくなっていた。

 桜木とジュリ、智乃さんとガーネット、ブラウンとマスター。それに、俺と魔王。

 ずっと気が付いていたし、この世界の俺とあの世界の魔王が同一人物だと言われて、まあ二つの世界が並行世界だとか、そういう類のものだということは確かに当然なことなのだが。

 「平行世界」のあっちには魔法やら悪魔やらが存在するし、そもそも異世界自体を認めるのに時間がかかったから、それ以上の「この世界と異世界の繋がり」を考える余裕なんてなかった。


 桜木とアンナはいつの間にかマスターに説教をくらっていた。それにしても、マスターと言うからにはもう少し歳のいってる人が勤めているかと思ったら、30代半ばくらいの若い男だったとは。

 前に行った時は5分経たずと店を出たものだから、特に気にしていなかったが。


 俺は2人の仕事の邪魔になると思い、喫茶店をそっと出ることにした。


「痛っ……! すみません……」


 店を出ると何かにぶつかった。声からして女子だ。視線を下に向けると、中学生くらいの背丈の少女が、痛そうに頭を抱えている。

 顔を上げた彼女をみて、俺はため息を隠せなかった。


「またか……」


 その少女の顔は、前に見せてもらったブラウンの娘の顔と、全く同じだった。


 ―☆―


 金髪のポニーテールに、モデルのようなスタイル抜群の容姿。背が高かったから中学生かと思ったが、どうやらこの春で6年生になるらしい。

 

「私の娘だ」


 ついにマスターまで喫茶店の雑談に加わることになってしまった。さっきの説教はなんだったのか。

 それも仕方がない。お昼時も過ぎたことだし、今いる客は俺と隣の金髪少女以外、いないのだから。


「もみじちゃん、ミオくんってロリコンなの?」


「はあ!? そんなわけないよな! 年下でもなく年上でもなく同い年が好みだよなっ! な!?」


アンナの問いかけに、覆い被さるように桜木が俺に詰め寄る。


「俺にそれを聞くか」


 当然俺に好みなんてない。それを一番分かってるのは桜木のはずだ。


「……だよな。ミオに恋愛感情なんて皆無、だもんな」


「男の子って皆Hな本を部屋のどこかに隠してるものじゃないの?」


 アンナは顔は不満そうだ。一体何を期待していたのだろうか。


「お父さんいつものお願い」


 見た目に似合う高貴な振る舞いで、かと言って小学生らしい無邪気な笑顔も忘れずに、彼女は父であるマスターに「いつもの」を頼む。


「マスターって子供いたんだなー……なんかどっかでみたことあるよーな」


 桜木は、目を凝らしながら少女をみて唸っている。

 そんな桜木と目が合い、丁寧に礼をする。


「月野るなです。父がお世話になっています」


 その名前を聞いて、俺はこの店の名前を思い出した。【LunaStone】という店名は、彼女からとったのかもしれない。もしくはその逆か。

 マスターは、彼女にホットミルクを差し出す。

 

 お前もミルクかよ。


 俺の呆れる顔に気が付いたのか、そんな俺に対して両手にマグカップを持ちながら、呟くように答える。


「ここのホットミルク、美味しくて……いつも頼んでます」


「わたしもわかるなあ」


 うんうんと、アンナが大きく頷く。

 ここの喫茶店、コーヒーがまずいのだろうか。

 月野は、なんだか桜木を見つめながら、言葉を探しているようだった。

 まだ月野を見つめて唸っている桜木の肩を、マスターはトンと叩く。


「娘は小学生モデルをやっているんだよ」


「そうだっ! それだそれ! 雑誌で見たことあんだよ!」


 桜木が月野に指を指しながら大声を出す。

 そこで、俺は疑問を投げかけずにいられなかった。


「雑誌……? お前女子じゃないのにそんなもの見るのか」


「あたしは女子だ。正真正銘の乙女だよっ!」


 桜木が殴りかかろうとしたので、俺はいつも通りかわす。

 乙女はこんな力強そうなパンチなんてしない。

 俺は本当の疑問は、口には出せなかった。

  小学生モデルが載ってる雑誌を、高校生の桜木が買うはずがない。


 だとするとやっぱり……。 


―☆―


 桜木のバイトが5時に終わって、俺と桜木はなんとなく、いつもの公園に足を運んだ。


「あたしが記憶を失う前に読んでたらしい。あたしが中3になったころの雑誌に新人モデルとして、でっかく表紙に載ってたな。その時の月野るなは小学4年生だったか」


 その雑誌は小学生から中学生までの子供を対象とした雑誌で、桜木はそれを毎月買っていたらしい。桜木が記憶を失うまで毎月欠かさず買っていたようだ。 


「記憶、何も思い出せないんだよな?」


「全く」


「アンナには言ったのか? 記憶の事」


「いいや。マスターは面接の時に言ったから知ってるんだけどさ」


 なんで言わないのか。それが俺にはわからなかった。

 何度聞いても桜木は教えてくれない。俺はまた同じ結果になると思って、それ以上聞くのをやめた。


「記憶、ないんですか?」


 背後からの大人っぽい声に、俺たちは聞き覚えがあった。というかさっき聞いた声だった。

 振り向くと、心配そうに桜木を見つめる金髪ポニーテール少女、月野るながいた。


「あ、あー、まあな。でもあんまり心配とかするなよ? 初対面なんだし、あんたが心配することじゃ」


「知ってる。初対面じゃない……」


 そうまじまじと桜木を見つめる月野。

 桜木は言葉を詰まらせた。俺も、何を言っていいのかわからなくなっていた。


「……いつだったか、私がモデルデビューして数か月たったころ、洋服屋でを服選んでいる時、桜木さんは私によってきて『月野るなちゃんですか?』って言ったんですよ。すごく嬉しそうに」


「桜木が敬語で……気持ち悪いな」


「殺されたいのか」


「敬語だったのは最初だけですよ。それから何度か会うようになって、お互いの服選んで試着したり、それぞれ愚痴を言うようにもなって。その時私、あんまりモデルの仕事、上手くいってなくて、だけど桜木さんと話してると、頑張れて」


 桜木と、月野は少し歳が離れた友達だったらしい。

 記憶を失う前の桜木は、流行に敏感だったのか?おしゃれとかしてたのか?

 なんだか今の桜木とは大違いだ。

 桜木の事はさておき、俺は月野のある言葉が疑問だった。


「上手くいってなかったのか?」


 スタイルもいいし雑誌の表紙にもなるくらいだ。上手く行かないはずがない。


「上手くいってなかったというよりは、思ったより上手くいって、戸惑っていたんです」


 月野は俺たちの座るベンチの隣のベンチに腰をかけた。

 そして、独り言のように語り出す。


「モデルの仕事は楽しい。おしゃれとかあまり気にしていなかったけど、スカウトされてモデルになってからおしゃれが好きになったのも事実だし。でも……私のやりたいことって、モデルなのかなって、不安になるというか」


 やりたいこと……。

 モデルという仕事を手に入れておきながら、なぜ彼女は不満を持っていたのか。

 そんな疑問の答えを、月野は俺が考える間もなく教えてくれた。


「モデルの仕事が増えていくうちに、私の将来がどんどん勝手に進んでいるように感じて、それが怖かった。私は、モデルを目指していたわけじゃないから」


 なんとなく、言いたいことは分かった気がした。

 今からでも就職しなければ将来が破綻する俺や桜木と違って、彼女には将来をじっくり考える時間があるはずだ。だけど、モデルという仕事を小学生のころからしていれば、ほぼ将来は確定しているようなものだろう。

 よくドラマやバラエティでで引っ張りだこになっている子役がいい例だと思う。実際、成人の芸能人でも子役時代からテレビに出ている人だっているだろうし。

 それが悪いわけではないし、むしろ本人の意志なら悪いも悪くないもないのだが、将来の道が限りなく狭くなることは明白な気がした。


「だけど、桜木さんが言ってくれたんです。『やりたいことがあるのなら無理することないと思うよ』って。それから私、興味を持ったことはとことんやるようになって……。桜木さんは覚えてないんですよね」


「あ、あたしが……」


 桜木は当然戸惑っていた。硬直して言葉が出てこない。そんな状況だということがすぐに理解できた。

 初対面だと思っていた女子が知り合いだったなんて、去年の春休みに記憶を失った桜木にとっては、初めての事だったからだ。

 まあ、そうでなくても記憶がない状態で平気で学校になんて行けるはずもないのだが。ただでさえ桜木の通っていた学校は遠いらしいし。


「でもまあ、今の桜木でも言いそうなことだよな。軽く、いつもみたいに調子のいい感じで」


 俺はためらわずそう言うことにした。

 得体のしれない自分の過去を知ると、桜木がこうなるだろうということはわかっていた。

 なぜ俺がフォローみたいなことしてるのか、自分でもわからなかったが、一応「友達」だしすることはしておいたのかもしれない。


 実際、こいつが他人に前向きなことを言うことは、かなりそれっぽいと思った。


「桜木、俺と違ってポジティブな思考してるし」


 少なくとも俺はそう思っている。

 だが、それを聞いた桜木の顔がなんだか曇っているのを感じた。


「あたし、そんなにポジティブじゃないから」


 桜木が発したその言葉がやけに重く感じて、俺は特に何も返さなかった。

 よくよく考えれば、俺は出会って約1年経った今でも、桜木のことをあまりわかっていない。こいつが普段どんなことを考えて就職活動をしているのか、俺と話す時だってそうだ。桜木は、他人との間に壁を作っているように感じる時がある。


 そんなことを考えていると、月野がゆっくりと立ち上がった。


「私、そろそろ帰らなければいけないので……桜木さん、会えてよかったです。モデルの仕事、あと少しだけ頑張ってみます」


 少し寂しそうに、月野は言った。

 せっかく会えた友達が自分のことを何も覚えていないという現状を、上手く捉え切れていないのがよくわかった。俺だって今もう一度、桜木が記憶を失って自分の事を忘れてしまったら、どうしていいかわからなくなる。


「ああ。あたしこそ、話してくれてありがとな。……それと、ごめん」


 桜木の声が小さくなるのがわかった。

 その「ごめん」が月野に届いたのか届いていなかったのか、彼女は軽く手を振って歩いて行った。

 その様子を、桜木はじーっと見つめながら、しばらくぼんやりとしていた。


「あたしって、何なんだろ」


 そんな桜木の呟きを、俺は聞くだけで精一杯だった。


―☆―


「いない、か」


 6時になってアパートに帰ってくると、智乃さんはいなかった。まあ、喫茶店に行く前にあの人は出ていったから、そこまで気にはしていなかったけど。むしろ普通に居座られたら困る。

 どこに出掛けたのかは俺が考える必要もない。そもそも智乃さんに興味がない。


「たっだいまあー!」


 噂をすればうるさい自称お姉さん。

 

 

「王子くん、どうだった? 可愛かったでしょ? 桜木ちゃん」


 その自信満々な質問の様子だと、智乃さんはあの喫茶店に行ったのだろう。

 桜木が嫌な顔をしながら接客する様子が容易に想像できる。むしろ接客をアンナに頼むかもしれない。アンナと智乃さんの相性はそれなりにいい気がする。


「お姉さんは王子くんと桜木ちゃんの恋を応援してるよ!」


「俺も桜木も、そんな仲じゃないです」


「ふーん。……あ、もしかして、あっちで好きな子でもできたのっ?」


 俺の答えが満足でなかったのか、一瞬落ち込む素振りをみせたが、一気に顔色を変えて何かを期待している。忙しい感情だな。

 だが、俺はすぐに智乃さんの期待を裏切ることになる。


「まず、俺に恋愛感情を教えてくださいよ」


 学校に通っていたころ、いじめっ子ではない女子に対して多少の恥ずかしさはあったものの、それが恋な訳なかった。思春期の男としては普通の感情だ。

 恋も普通はするものかもしれないが、幼い頃から他人を敵視していた俺には当然無理な感情だ。いじめっ子ではない女子にさえも、卒業する頃にはいじめを見てみぬする姿にイラついたりしたものだ。卒業と言ってもそもそも卒業式には出ていないが。


「王子くん、きっと、もうすぐだよ」


「は?」


「だって、桜木ちゃんや異世界の子たちのこと、嫌いなわけじゃないんでしょ?」


 俺は黙ってしまった。これでは肯定している様だ。

 会ったばかりの異世界の奴らはともかく、桜木が嫌いだと言い切れなかった。俺はあいつのことを嫌いなはずなのに。本人にも言ってるのに。ずっとそう思ってるはずなのに。

 そもそも、友達だと思ってるやつの事を嫌う方がおかしいとさえ思えてくる。

 自分の感情が、どこから来ているのか、どこへ向かっているのか、今更のようにわからなくなっていく。


「きっと王子くんも変われるはずだ! 私だって変われたもん」


 そう、智乃さんが胸を張ってそう言う。いきなり大声を出されると、隣のお前の父親に怒られるのだが。

 智乃さんのこの言葉が、何か引っかかっていた。

 ……智乃さんが一人称に「私」を使うのは珍しくもないが、この時ばかりは気がかりだった。それも、さっきの智乃さんの『嫌いなわけじゃないんでしょ?』という言葉が頭に残っているからだろう。


 ――俺は、桜木の事を嫌いじゃないのかもしれない。


「智乃さん、そろそろ帰ってください。俺はそろそろ寝るので」


 俺はこの何とも言えない感情を隠すためか、ベッドに横たわった。早いからまだ寝られる気はしないが、こうして布団に入ることで俺は、そんな感情をうやむやにしたかったのだろう。


「寝るってことはまた行くんだよね。怪我はしないで帰ってくるんだよ! ……なんだったら、お姉さんが一緒に寝てあげようか?」


 何が「なんだったら」なのだろうか。

 あくまで外見だけだが、そういうことを言っても似合う30代は智乃さんくらいしかいないのではないかと思える。それは流石に智乃さんを上に見すぎか。

 ただし、内面が……特に頭が、異星人のようにどうかしてる彼女と一緒に寝るなど、死んでも避けたい。そんなことで男としての欲に負けてられるか。


「帰ってください。でないとこのアパートを智乃さんの父親と抜けて、一緒に新しい場所探しに行きますよ」


 実際にこんなボロアパートに住むより、もっと別のいい場所を探して快適に暮らす方が絶対にいいに決まっている。


「それはやめてー! お姉さんの月給が減る!」


 そう言って智乃さんは慌てて出て行った。さすがドケチ大家だ。

 俺は何でこんなボロアパートに住み続けているのだろうか。


 きっと智乃さんがいなかったらさっさと抜けていたな。

 

 そんなことを考えながら、俺は布団に潜った。

 案の定、しばらくは寝られなかったけど、じっとしていれば眠気はくると信じて、俺は考え事をしながらゆっくりと目を閉じた。

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