15 CARAT 初めての友達

 目の前に、少女が立っている。

 また、夢……だろうか。


「え、ええと……私は」


 クリーム色の髪が、彼女の顔を隠す。

 その髪は、なんだかボサボサとしていて、俺にはそれが桜木なのか、ジュリなのかわからなかった。


「私は、誰でしょうか……?」


 見上げた顔の不安そうな表情、口調、それはジュリのものだった。


 ――あなたは、誰ですか?


 夢の中のジュリは、そんな言葉を発した。


 ―☆―


 目が覚めた俺の目は、かすかに涙で濡れていた。

 あの夢は、何だったのだろうか。

 最近、変な夢をよく見る気がする。


 それはさておき、この状況は……。

 俺はベットの上でなく、ちゃぶ台の上で俯せになって寝ていた。

 最後にこの世界にいた時は、確か頭をぶつけて気を失ったからだったきがする。

 最後にいた場所に戻るってことで、間違いはないだろう。

 自分の位置はとりあえずどうでもよくて、俺はこの部屋のありさまが異世界へ行く前の部屋とまるで違うことに動揺を隠せなかった。

 食べ散らかしたお菓子はそこら中に広がり、テレビはついたままで、見たこともない服や物が散らかり放題。


 おそるおそる、ベットの方を見る。


「ようやく王子くん……智乃お姉さんって呼んでくれるようになったのね……ふふふ」


 寝言混じりの寝息を立てながら、智乃さんがベットの上を陣取って寝ている。

 何の夢を見ているんだ……じゃないっ!


「智乃さん、なんで俺の家に住んでるんですか!?」


 一日でこんなにも部屋が散らかっていることを目のあたりにすれば、智乃さんの顔しか浮かばなかったが、まさか俺のベットで当然のように寝てるとは。


「お、王子くん……? 智乃お姉さんでしょ?」


 何を寝ぼけているんだ。


「俺は智乃さんをお姉さんと思ったことはないです」


「えー? いやいや嘘でしょ~? たまにはタメで、お姉ちゃん♪ って呼んでもいいのに」


「絶対に言いません」


 そんな未来があったとしたら、俺はそんな自分を無理やりにでも殺したい。

 本当は敬語なんて使わないで怒鳴り散らしたいのだが、それをやると智乃さんは「やっとお姉さんだって思ってくれたんだあ。可愛い弟だな~♪」とか言うから絶対タメ口は使わないと決めている。


「俺は何でここで智乃さんが寝てるのか聞いてるんですけど」


「あ……! そんなことより」


 俺の部屋で勝手に寝てることがなぜ「そんなこと」で済むのか。

 

「王子くん、一体どういうことなのっ!?」


 そんなこと……で済むことかもしれない。

 急なテンションで俺の目の前に身を乗り出してくる智乃さんは、好奇心の塊のような顔で聞いてくる。


「王子くんが頭をぶつけて気を失って……ふっ」


 そこまで言って、智乃さんはちょっと面白そうに笑った。

 俺がちゃぶ台に頭をぶつけて気を失ったものだから、おかしくて笑ってるに違いない。


「早く、続きを言ってください」


 俺はイライラとした態度を智乃さんにわざと見せながら睨み、智乃さんの次の言葉を待っていた。


「光ったの! 消えたの! 水晶がなんかこう、黄緑色にパァーーって光って、眩しくて目を瞑ってたら、いつの間にか消えてて、王子くんも消えてて、もうそれはすっごいびっくりしたの!」


 30を越えてこの語彙力なのは置いといて……。

 これは、隠し通すことはできなそうな話だった。


「どんなにファンタジックなことでも信じてくれるなら、言いますけど」


 大抵の大人は信じないだろう。俺がこのことを真剣に言った所で、普通の大人は精神科を進める。

 だが、智乃さんは違う。別物だ。


「お姉さんの頭がどれだけファンタジーだと思ってるの。頭の半分はファンタジーなんだからっ」


 胸を張って「自分の頭はおかしいです」と言える大人はたぶん、智乃さんくらいだろう。むしろそれが自分の才能か何かだと思っている。

 俺はとにかく返す言葉がなく、スルーして話すことにした。


 俺が水晶を見つけた日のこと、その次の日異世界に来てしまったこと、ジュリのこと、ガーネット達のこと、俺にそっくりな魔王のことも。

 智乃さんはその話を熱心に、紙芝居を見る子供のように「うんうん」とか、「それでそれで?」とか相槌を打ちながら目を輝かせて聞いていた。その姿が31歳とは思えないほど幼く見えて、俺は一瞬自分の目を疑った。

 なぜ俺はこの人のためにわざわざ長い話をしているのかよくわからなかったが、あの世界で起きていることを共有しないと、毎朝夢を見ていたような気持ちになり、現実との区別がつかなくなると、無意識に感じたからかもしれない。

 話し終わった後、どこかに残っていた「夢を見ていたかもしれない」という感覚が恐ろしいほど消えていたから、間違いない。


「王子くん」


 智乃さんは、何か考え込むように俺の目をみた。


「その話、桜木ちゃんには言った?」


 話を全部聞いて、最初に出た言葉がそれだったから、俺は言葉を詰まらせた。

 この人は、変なところでストレートに痛いところをつく。


「言ってないですよ」


「そっかぁ。でも、いつかは言った方がいいと思うな~。 お姉さんの考えだと、その水晶、魔王くんに盗られたら桜木ちゃんが危ない気がする」


 水晶は俺と魔王しか触ることができない。

 逆に言えば、俺と魔王なら触ることが出来る。異世界を行き来するのはこの水晶の力。その力がもし、魔王に渡ってしまったら……。


 考えるだけで寒気がする。


 でも、そこでどうして桜木が危ないのか、よくわからなかった。いつも会う公園とアパートの距離は、それなりに離れているのに。


「なんとなく、かな!?」


 ダメな答えが返ってきた。

 この人の、こういう所が嫌いなんだと、この時やっと思い出した。

 

 ―☆―


 喫茶店【LunaStone】の前で、俺は入ることなく突っ立っていた。

 日本語にすると月の女神の石。

 店内は俺みたいなのが店に入ることもためらうほど、落ち着いた幻想的な雰囲気が漂っている。前に一度来たことはあるが、5分も経たずにコーヒーを飲んで帰った記憶がある。それから先は行っていない。

 この喫茶店のマスターは宝石好きで、カウンターがガラス張りの宝石展示スペースにもなっている。


 それはそうと、桜木がバイトしているという都市伝説を本人から聞いたわけだが。

 こんなザ・お洒落と言えるほどの店に、桜木という人間が思い浮かばない。なんだか桜木がいるだけで雰囲気がおかしくなるんじゃないかと勝手に思うほどに、信じられない。

 そんなことを考えていると、店から出てくる若い社会人2人組が、なんだかにやにやした顔で話しながら公園側の方へ歩いていった。


「なあ、新しく入ったバイトの子、かわいくね?」


「まるでメイド喫茶かと思ったわ」


 ……まさか、な。

 あいつに可愛い要素なんて無縁だし。


「ミ、ミオ! 本当に来てくれた……来たんだ」


 さっきの2人組自動ドアを開けたせいで、店の外も中も丸見えだった。おかげで俺は、都市伝説が本当だったことに、店に入る前に気がついた。

 桜木のいつもは派手目なメイクが、大分抑えてあった。雰囲気がかなりちがう。

 なぜだかそれが、俺の目には釘付けになっていた。いつもはメイクをしていてあまり意識しないけど……。


 桜木とジュリは、やっぱり似ている。


 桜木に案内されるがまま、俺はガラス張りのカウンター席に座らされた。

 ガラスケースの中に飾られた宝石の数々は、赤や緑、青と、それぞれ個性を持った輝きを、競うように放っていた。


「とりあえずコーヒー」


「メニュー見ろよ。コーヒーにも色々あるんだけど」


 カウンター越しの桜木が見せてきたメニューには知らない単語がずらりと並んでいた。サイズさえもSとかMじゃないし、ブランドなんて知るかと口に出して言ってしまいそうだった。


「じゃあ桜木のオススメでいいよ」


「あたしはミルクしか飲めない」


 こいつはなんで喫茶店でバイトしようと思ったんだ。どうせ手当たり次第まわったのだろうけど。


「お前、なんでいつも派手なメイクしてたんだ? それくらいでいいだろ」


 桜木はいつも決まってメイクをしている。

 面接がある日はさすがに抑えているのだが、それ以外の日はほぼメイクをがっつりしている。俺としか会わない日でも、必ず。


「見られるのが嫌だから」


「は?」


「今だって他の客からの視線を感じる。メイクをすれば、メイクのせいだろうって、目をそらせるんだけどさ」


 言っている意味がわからなかった。


「あたしだって、なんでだかわからない。だから嫌なんだよ。あたしの顔、なんか変か?」


 何もしてないのに見られるのが嫌だから、桜木はわざと自分を派手に飾って、人に見られる自分に理由をつけようとしていた。

 そんなことを、桜木は言っているのだ。


「かわいい」


「え!? な、ななな、何んだよ急に!」


「って言ってたな。さっき店を出て行った奴らが」


 桜木は顔を真っ赤にする。何をそんなに怒っているのか理解できない。


「ま、間際らしいこと言うなっ!」


 目の前に拳骨が飛んでくる。

 桜木の行動はいつも突然だな。とか思いながら、俺はなんとか避けて、桜木の拳は行き所をなくしてふわっと浮いた。

 バランスを崩した桜木がカウンターに身を乗り出しそうになる。


「もみじちゃんはかわいいの」


 突然やってきた彼女は、後ろから桜木の肩を持って、自分に引き寄せた。

 俺や桜木と同じくらいの歳に見える。顔立ちが日本のものではなさそうだから、外国人だろうか?桜木と比べものにならないほどの艶やかな栗色の髪を、下の方で2つに結んでいる。前髪は一部編み込まれていて、清楚な雰囲気を醸し出している。

 佇まいや穏やかな表情、見た目だけで優等生だとわかる。そんな容姿だ。


「もみじちゃんはかわいいの」


 なぜ2回言った。


「ア、アンナ」


 桜木はきょとんとした様子で、彼女を見る。アンナと言うらしい。

 桜木はバイトを始めて2日で、もう友達を作ったのか。


「皆、もみじちゃんが可愛くてみてるんだよ」


「は? あたしが? いやいや、あたしに可愛い要素なんてどこにもねーよ」


「かわいい子はみんなそう言うのよね。こういう日本の文化、どうにかならないかなあ」


 残念そうに、アンナは大きなため息をつく。

 桜木の肩を掴んだままで、離れる気がなさそうだ。


「……アンナだってかわいいじゃん」


 自分で言ったことに何故か照れているのか、桜木はなぜか声を小さくした。


「うん。知ってる」


 あっさり認めた。

 でも実際に、モテそうな顔立ちに性格をしているように見えるから、俺としたら逆に否定された方がウザく感じる。

 嬉しそうに微笑んだアンナは、さらにぎゅっと、桜木の方を掴む。会って2日でこのスキンシップとは、このアンナってやつ、見かけによらない行動力だ。


「でも、もみじちゃんには負けるなあ。それこそ、彼氏をとられちゃうんじゃないかって、不安なくらいなんだから」


「とられる気なんてないくせに。リア充め」


 アンナは悪戯っぽく笑うと「もちろん」とかいって桜木に抱きつく。

 桜木は「そろそろ離せ」と言いながらも、自分から振り払おうとする気はなさそうだった。


「俺の事忘れるな」


 危うく桜木から俺が視界に入らなくなりそうだったので、黙って見ているのはやめることにした。


「あ、もみじちゃんの彼氏? 嫉妬したかしら」


「か、か、かっ、彼、彼氏じゃないっ!」


 今日の桜木はなんだか変だ。

 俺と目が合ったアンナは、桜木から手を離して俺の方に向き直ると、小さく微笑む。


「初めまして。私はアンナ・ルクレールって言います。もみじちゃんの親友だから、親友同士、仲良くしてね」


 桜木はその言葉を聞いて、あからさまに驚いた顔をした。


「いつから親友に!?」


「あれ違った? じゃあ、やっぱり彼氏?」


「ミオじゃなくてアンナのことだっ!」


「赤くなるもみじちゃんかわいい」


 否定されたってことは、俺は桜木と親友なのか。「親友」の概念がいまいちわからないが、毎日のように会っていれば嫌いなやつでも親友になるのかもしれない。

 そんなことを考えると、俺の「嫌い」の概念もよく分からなくなってきた。


「それはそうと、あたしが見られてる理由が、なんでその……」


「かわいい?」


 自分から言うのをためらってた桜木に続くように、アンナは桜木の顔を覗き込むようにしてそう言った。桜木は顔を真っ赤にして何も喋らないままだ。

 アンナは少し微笑みながら、俺にコーヒーを出した。


 2人とも仕事中のはずだということを、忘れていた。 


「桜木ちゃんって、人を引き付けるようなかわいさがあると思わない? ええと、ミオくん?」


 桜木が言っていたあだ名を本名だと思われたのか、そう聞いてきた。名前についてはもう開き直ることにしたが、まだ抵抗がある。嫌いな名前を受け入れるにはまだ、時間がかかりそうだった。

 俺はあだ名で言ってもらえた方がいいので、なんて言ったらいいのかわからず、目をそらしてしまった。


「初めて桜木に会った時は、まあ、そんな感じがしたな。今もだけど」


 いつもは人気のない公園で2人だから、人の目がどうとかはもちろんない。


 けど、初めて桜木にハローワークで会った時は、桜木を取り巻く周りの雰囲気に、違和感を感じた。皆、桜木を見ていた。

 求人票を眺めている桜木は、まだ記憶をなくした直後だったからか、今よりもぼーっとしていて、1人の世界に孤立して立っている。そんなふわふわと浮いたような存在だった。その姿に、人は魅了されていたのかもしれない。

 

 そこまで思い出して、忘れていた。そもそも桜木は、黙っていれば誰でも認める美人だということを自分で理解していない。スタイルもいいし肌は綺麗だし、顔もメイクなんていらないくらい整っている。

 いっそのこと智乃さんくらい自分に自信を持ってもいいほどだ。性格はどっちも可愛くないのだが。


 普通なら話しかけないはずの俺は、いつの間にか桜木をみて、話しかけていた。もしかしたら、桜木が自分と、似ていたからかもしれない。

 ほとんど学校にもいかず、そのままいつの間にか卒業して、気づいたら就職をしろと言われて、何もかも嫌になっていた俺は、自分がどこに立っているのかよくわからなかった。

 

「就職したくねえな」


 そのたった一言、独り言のように呟いた。


「就職って、何」


 桜木は驚きつつも、ダルそうにそんな言葉をもらした。


「俺が聞きたいよ」


 国語的な意味は分かっているんだろう。だけど、俺は桜木の言っている「何」が、同じようにわからなかった。

 社会から一度遠のいた俺が、人と関わってこなかった俺が、就職をしてどうしろと言うのだろうか。何のために就職をするのだろうか。

 社会貢献?社会的に一度殺された俺が、なんで社会に貢献する?

 自分が生きるため?もう死んでもいいとさえ思っている。就職しないで餓死していくのも別にそれはそれでいい気もした。

 その後様々な意味を考えたが、出てくる答えはネガティブな答えだけ。俺の中の誰も、それを正確に答えてくれる自分はいなかった。

 だから。


「じゃあさ、競争しようぜ」 


「そんな考えで就職していいのか」


 ――だから、桜木の一言が、俺に何かを与えたのかもしれない。


「何でもいいんだよ。目的が欲しかったから」


 桜木の瞳はかすかに揺れていた。

 それは就職するためのか、生きるためのか、桜木の言った言葉は俺の何かを揺さぶった。

 目的。桜木となら、目的を探し出すことができるかもしれなかった。


「どっちが先に就職できるか競争だな」


「就職をするために就職するのか。お前、正気かよ」


 桜木は俺の手を引っ張って、ハローワークを抜け出して公園まで連れ出した。

 それはもう、爽快に。


「あたしは桜木、もみじ……らしい。あんたは?」


「俺は……」


 王子路美尾と言うのに、大分時間がかかった。

 小中学生時代の、クラスの皆から笑われた記憶がしつこく頭から離れない。

 桜木は俺が言うまでずっと待っていた。


「王子路美尾……らしい」


 自分の名前を認めたくないからか、そう言った俺をみて、桜木は手そ差し出した。


「じゃあ……ミオな! これからあたしたち、友達だ!」


友達なんてものがなかった俺と、記憶を無くした桜木の、初めての友達だった。

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