8 CARAT 「ロミオ」それは俺の名前
「あなたの彼女かしら?」
「なっ! そんなわけねーだろ!」
「えっ? ち、ちち、違いますっ!」
ソファが一つの小さな客室で、なぜかそのソファにどんと座るガーネットの前に、ジュリと俺は立っている……らしい。
あまりに直球に変なことを聞くものだから、拳を突き出しかけた……どこにガーネットの顔があるかわからないが。
いや、まずなんで俺は……。
「なんで俺、顔を全部布で覆ってるんだよ」
「当たり前じゃない! 魔王の顔なんか見たくもないわ。あなたが魔王じゃないとわかっていても、うっかり刺してしまいそうなのよ」
……俺は布を取ろうとしていた手を下げた。
さっきまでイライラした声色をしていたガーネットは、少し自分を落ち着かせてジュリに質問する。
「ジュリ……ですっけ? どうしてここに魔王と、この魔王もどきがいることを知っていたのかしら?」
「魔王もどきって誰だっ!」
「私はジュリに聞いているの。黙りなさい。魔王もどき」
俺をイラつかせる力は智乃さんと同レベルだな。こいつ。いや、智乃さんの上をいってるんじゃ……?
「それは、町中で話題になっていたので。道の真ん中で真っ赤なドレスの女の人が布を被った怪しい男をさらったと。その道の方向を辿っていったら、男女の二人が魔王と会話していたところをみて」
俺(布を被った怪しい男って俺かよ)とガーネットの馬にぶつかって、言い合いをしているところを通行人が何人かみていたということか。魔王とカップルが話をしていたのはたぶんファイが水晶の体を使って再現していた時のことだろうな。俺にはあの時のファイが衝撃であまり思い出したくないが。
「そのお二人に真っ赤なドレスの人のことを聞いたらガーネットさんと同じ村に住んでいると言っていました。ガーネットさんと、ガーネットさんが別荘を建てたと言うことを聞いて……」
なんだあいつら、ガーネットと同じ場所に住んでいたのか。ガーネットはあんな強いのに、あの二人は同じ村に住んでるとも思えないくらい弱々しかったが。
というか、同じ村に住んでるだけなのに色々知りすぎじゃないか?
「ガーネットさんって有名だったんですね。そちらの村では」
「まあね。よその町の人からは、村で唯一のお金持ちと言われてて、人のお金奪ってるのではないかとか、結構悪い方向に有名なのよね」
ガーネットがそんなことを?
俺はそれは絶対にないと思った。直感だが。なんとなくだが。
「私たちの村、貧しいのよ。村の人は毎晩農場を魔獣に荒らされて。だけど私はエメラルド王国……よそから来た人間で、そんな厳しい生活なんて無縁だった。だからできるだけ役に立とうと、村の人に食料を支給したり、魔獣を倒そうと何度も人を雇ったけれど、誰も全ての魔獣を倒すことができなくて、そんな魔獣狩りに怒った魔獣のボスが、今度は」
――今度は子供を襲った。
ガーネットは震える声で言う。
その声から察するに、その子供は助からなかった……ことがわかる。
「私、甘い考えをしていたのよ。魔獣が少しでも減っていることに安心している面もあったわ。私がやった行動の結果は、魔獣を活発化させるだけだったのよ」
それを聞いて、俺は何も声をかけることができなかった。きっと、隣のジュリも同じだろう。
この世界は、そこまで深刻に悪魔や魔獣が住み着いていたのか。ゲームやアニメの世界に比べたら、今はまだ平和な世界だと思っていた。でも、小さなところで厄介な事態を招いている。それはなんとなく、俺の住む現実世界と同じだと思った。
「話が脱線してしまったわ。とにかく、どうしてここにこれたかはわかったけれど、ここに来たのは?」
質問攻め……か。まあ、いきなり現れたジュリのことを不思議がるのはわかるが。智乃さんはあんまり考えない奴だが、こいつは随分と調べるんだな。
「私、ロミオくんのことを探していたんです」
「……俺を?」
「魔王がこちらへ向かったことがわかって、ロミオくんが危ないと思って、走ってきたんです。でも、もう手遅れだったようで……私がもう少し早く来ていれば、ファイさんが危ない目に会う必要はなかったはずです。……すみません」
「いや、たぶん誰が来てもあいつは勝てる相手ではないだろ」
俺はあの場面を間近で見た。
何もできることがなく一瞬にして過ぎ去った時間。認めたくないが魔王は本当に、魔王と呼ぶにふさわしい強さだった。
「いえ、私は魔王に嫌われているんです。だから、私が来ればこんな事態にならずに魔王が帰ったのではないかと」
魔王に、嫌われている……?
『じゃあ、本当に帰るから。そろそろ僕の嫌いな人間が来そうだからね』
さっきの魔王の言葉が頭の中で蘇る。
嫌いな人間って、ジュリのことなのか?
俺たちの考えを悟ったように、ジュリは付け足して話し出す。
「ええと、それが、私にも何がなんだか……。最初は、余裕な態度で笑っていたんです。でも、なぜか急に怖い顔をするようになって……」
「おかしいわ。何が原因かわからないけど、嫌いなら」
「殺してもおかしくない」
ガーネットの言葉に続けるように言った声の主は、ユーナだった。
「あ、すみません。そう思ったので。それより、ファイの治療をしたので、もう大丈夫ですよ」
「治療、してくれたの?」
「だめでしたか?」
ガーネットは驚いているのだろう。意志もすべて悪魔に喰われてしまったと考えていたからか?
でも”まだ”ユーナの感情は完全に悪魔にやられていない。
「そんなわけないじゃない。ありがとう。ユーナ」
布の隙間から外を見ると、ガーネットがユーナの体を優しく包み込んでいた。
―★―
「あの、ジュリ」
「この前はすみませんでしたっ!」
ガーネット達はファイのもとへ別の部屋に向かい、俺とジュリの二人は客室に残った。
俺が気まずそうにしていると、ジュリが意味の分からないことを言った。
すみませんでした。それは俺が言うべきセリフのはずなのに、ジュリはそう言うと頭を深く下げた。
「勝手にあなたの名前を聞いて勝手に話題にして、お気持ちを考えることができなくて……その」
「なんでお前が謝るんだよ。……おかしいだろ」
明らかに自分が悪いのに、相手に謝せるなんて、俺は本当に酷い人間だ。
俺は、顔を上げたジュリの目を見て、息をゆっくり吸う。まるで宝石のように綺麗な瞳は、微かに揺れていた。
「――ごめん」
人生で初めてではないか。こんな言葉を使うことなんて。
目を見て言ったはずなのに、俺の目は別のところを見ていた。ジュリのように深く頭を下げることもできず、どこを見ていいのかもわからなかった。
でも――。
このままでいいわけがない。ただ一言じゃ自分の気持ちは伝わらない。これが俺にとって何かが変わる一歩だとしたら、自分の思いに踏み込むしかない。
俺はもう一度息を吸って、今度は目をそらさずに口を開く。
「自分の名前が嫌いで、名前を笑われるのが怖くて、自分の都合で何も知らないジュリに怒鳴って……。最後まで話を聞くべきだった。本当にごめん」
誰もが思う。
普通に謝っただけではないか、と。
それでも俺にとっては、『ごめん』は初めての言葉で、重みのある言葉だった。
謝ったこともない。中学の頃だったか、何か問題を起こしても、自分が悪いと思っていても、決して謝るという行動はしなかった。何が俺をそうさせたのか正直わからない。
でも、そのせいで前に進めなかったことは確かだ。
俺のことを馬鹿にした奴もいたが、俺のことを気にかけてくれる奴も何人かはいた。それを丸ごと嫌って人を避けて、思えば俺はそんな人間だった。
――全ての人が、俺を侮辱していたわけではなかったはずなのに。
謝って、初めて気付く。
なんであの時、自分が悪いって気づかないで臍を曲げていたんだ?
なんであの時、素直に謝ることができなかったんだ?
いつまで俺は、こんな捻くれた性格に身を任せているんだ?
「ジュリ。あの時の続きを聞かせてくれ」
聞きたくない。聞くのが怖い。心臓の音が頭に響くほど聞こえる。
自分と、ジュリと、過去の奴らと、向き合う。
これで、少しだけでも、前に進められるなら。
たぶん、1ミリ、2ミリの世界だ。俺という人間がこんなことで劇的に変化するわけでもない。
それでも、俺は息をのんでジュリの答えを待つ。
ジュリは少し間を置いてから、俺の目を逸らさずに見て、話し出す。
「私は、好きです。ロミオくんの名前」
俺には眩しい、さわやかで、優しい笑顔が、ジュリの発した言葉が、俺の心臓の音を打ち消す。
「ロミオくんの名前、素敵だと思うんです。上手く言えないんですけど、かっこいいなって。ロミオくんがどうしてそんな素敵な名前を嫌っているのかわからないです。私が口出しできるようなことではないと思っています。……でも、ロミオくんはその名前に、自信を持っていいんじゃないですか?」
名前に、自信を持つ……か。
「そんなこともあったな。自分の名前がかっこいいって、純粋に喜んでいた時期もあった。でも、俺にロミオなんて名前は、身が重いんだ」
「……身が重いなんてこと、ないですよ。ロミオくん。ロミオくんの名前はロミオ、その名前でしかないと思います。…………な、なんて私、わかったような口で言ってしまってすみませんっ……!」
そう慌てふためくジュリを俺はどんな顔で見ているのだろうか。
何度も、ジュリは俺の名前を口にする。
いつもは自分の名前を呼ばれてイライラする。不安になる。なのに、不思議と、そんな気持ちにはならなかった。
名前を呼ばれるたび、自分が馬鹿にされているように感じたのは、俺がその名前を馬鹿にしていたからではないのか?
落ち着いたジュリは、最後にもう一言付け足した。
「どんな名前だとしても、ロミオくんがロミオくんでいられる、大切な物です。絶対に、捨ててはいけない物なんです」
大切な物……。俺の名前が……。
俺がロミオという名前でなくなったら、それはもう別の誰かとして生きるということになる。
どんなに嫌いな名前でも、それが自分で、それが俺と言う人間が生きる証。
そんな、つまらないと思うほど、どうでもいいことを考えてみる。
でも、そんなどうでもいいことこそが、俺が嫌いを好きになれる時間なのかもしれない。
俺が自分の名前を好きになることなんてないだろう。どんなにジュリに言われても、俺はこの名前を嫌っている。
でも、この名前が、俺である印なのだとすれば、少しはこの名前と付き合うしかない。自分の名前に向き合わなければいけない。
嫌いだ。この名前は心の底から嫌いだ。嫌いな親がつけた、最悪な名前だ。
だからこそ――。
「そうだな」
こうなったら、開き直ってやる。
嫌いな名前と、全力で付き合ってやる。
「ロミオくんの笑うところ、初めてみました」
「は、は? 俺が笑って……?」
「笑っていましたよ」
ジュリはいたずらっぽくにっこりしながら、上目遣いをして俺の目を見る。
すごく、嬉しそうに。
そうか。俺、笑っていたのか。自分のことなのに、なんで笑ったのか意味が分からない。
でも、ジュリのおかげであることは確かだ。
俺が、少しでも前に進めたのは。
「というかお前、俺じゃなくて魔王を探していたんじゃないのかよ」
「一緒にと探すと決めたじゃないですか」
ジュリは俺に向けて、手を差し出す。
――一緒に、魔王を探しましょう。
そう言っているように感じた。
正直、もう勝てる気がしないと思っていた。戦っても無駄だと。
でも、魔王に会ったことがあるはずのジュリは、これから魔王探しをしようとしている。その姿が、なんとなく、俺はかっこいいと思った。
紛れもなく、強いと思った。
俺はその手を握る。小さくて、あたたかくて、強く握ったら潰れてしまいそうなほど、やわらかい。
「何してるんですか?」
「どぅわっ!」「ひゃ……!」
俺は下から聞こえた声に、心臓が一瞬止まったかと思った。
ジュリも顔を真っ赤にして、声が聞こえた方向を見る。
そこには、緑色の髪に、どこを見ているのかわからない目をした、小さな少女だった。
「ユ、ユーナ、いつからいたんだ?」
「今さっきです」
「あ、あの、こ、これは、そ、その、全然……! そういうのではないんですっ!!」
慌てながらも、きっぱりと言う。
俺だからいいが、こんな行動をされたら、普通の男は勘違いするだろ。まあ、俺はそんな勘違いは一切しないが。してないが。
ユーナはジュリの言葉を聞いたのか聞いていないのか、次の言葉を口にする。
「お二人にお願いがあります」
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