7 CARAT 魔王は不敵に笑う
俺だ。あれは俺だ。いや、俺であって俺でない、でも確かに俺だ。
――この世界の、『俺』というべき人間が、そこには立っていた。
何を考えているのか、不気味に楽しそうに笑ってこちらへ向かってくる。一番に気づいたガーネットは、よほど警戒しているのだろう。手に持つ刃の刃先が小刻みに震えていた。
それもそのはず、『俺』そっくりのそいつは、異様な闇のオーラを放っていた。ユーナ以外の全員が、そのオーラに飲み込まれて潰されてしまわないように、警戒の態勢を崩すことはなかった。
紫黒に染まった髪が、真っ赤な瞳が、邪悪な性格を物語っている。
「誰も返事をしてくれないのぉ? 冷たいねぇ。返事くらいしてくれてもいいんじゃない?」
調子よく、狂気に満ちた表情で喋りながら、部屋に入り込み、俺の方に一歩ずつ、一歩ずつ、歩み寄る。
逃げればこいつは必要以上に追いかけてこないだろう。なのに、俺の体は動かない。魔法のせいでもなんでもない。ただ、ただ単に 動けない、いや、ただ単に動かないのだ。
俺は、そいつに会って話をしたいと思っていた。
まさかこんなにも早く会えるとは。いや、会ってしまうとは……。
そっくりの『俺』は、ようやく足を止めて俺の顔をまじまじと、いや楽しそうに、いや気味悪そうに、いや何も考えていないのか、見ていた。
こんなに気味が悪いことなんてあるか?
こんなに恐怖を味わったことなんてあるか?
これがこの世界の俺、【魔王】なのか……?
震える。全身が震える。動かない。体は静止している。
だが、ここで何もするわけにはいかない。
俺はビビりなんかじゃない。俺はこんなやつに負けられない。自分自身に負けてたまるものか。
攻撃も仕掛けられていないのに、俺はこんなことを思う。
「何しに来たんだ?」
「いや、結構騒がれててね~。魔王がホテルで男女の部屋で寝てたってね。僕が君のような変態って噂になってたわけなんだよ。短時間で町中に広まるとは、僕の影響力もすごいなぁ。まあ、魔王って呼ばれるのは心外だけど」
「だから、質問に答えろっ! あと俺は変態じゃねーよ!」
一人で勝手に喋ってなかなか答えようとしない。何を考えているのか全くわからない。何が楽しくて不気味に笑っているのかわからない。何なんだ。こいつは。
「君、姿は僕と似ているのに、せっかちなところが全然僕とは違うね。もう少しお話を楽しもうじゃないか?」
――それに、僕にそんな態度とっていいの?
真っ黒な低い声で、魔王はそう言った。
とてつもない恐怖。どうしようもない恐怖。俺は、そんな恐怖を捨て去る。どうせ身を投げてしまってもいい体だから。
今まで桜木がいたから、桜木と過ごす時間が多かったから、生きていた。
でもあいつがバイトで、俺がこんな状況の今は――。
「ああ、もうこんな命、捨てても惜しくない。だから聞く。お前は、なんで――」
「はは、はははははははっ! 面白い! 面白いねえ! なんて面白いっ!」
俺の質問を遮るように、魔王は高らかに笑う。どこに笑いのツボがあるのか見当もつかない。こいつは、俺の質問に答える気がさらさらないようだ。
何を隠しているんだ。どうしてこんなにも、こいつの考えていることがわからないんだ。
俺だろ?同じ俺なのに、こうも違うなんて。
いや、俺も道を踏み間違えれば、こんな狂気に身を任せていたのかもしれない。
「それはつまり、死を望んでいるということだね? だったら、僕はやっちゃうよ?」
再び魔王はもう一歩俺に近づく。
楽しそうなその顔は、本気で俺を殺そうとしている目だった。
「魔王っ!」
その叫びとともに、俺と魔王の間にナイフが通る。その刃先は壁にきれいに刺さっていた。
ガーネットが、燃えるようなギラギラとした瞳を、魔王に向けている。
「あ~。君はこの前の」
つまらなそうに、かといって顔は笑ったままで、魔王は淡々とガーネットを見て呟く。この態度だと魔王は俺に用があってここにきたことが丸わかりだった。ガーネットがいることに今初めて気が付いた、というような素振りを見せているからそう考えるのが適切だ。
「あなたよね。ユーナのための封印石を奪ったのは。返しなさいよっ!」
「あ~そのことかぁ。ごめんね? あいにく僕は今、封印石を持っていないんだ。君たちの手の届かない場所にあると言うことは、伝えておくよ」
手の届かない場所……?
それがどういう意味なのか、今は考える余裕もない。
「もう一度聞く。何しに来たんだよ。魔王」
「今日はそうだなぁ? 君に会いに来た。ってとこかなぁ」
俺に?
「今度は僕から質問させてもらうよ? 君はどこからきたんだ?」
急に自分と顔がそっくりな俺の噂が流れ始めたのが不思議だったらしい。
俺はどう答えるべきかわからなかった。
本当のことを言ってしまったら、何かまずいのではないかと、直感が働きかけた。
なんと言えばいい?どうすればいい?
「気が付いたらこの町にいて、その前は覚えていない」
つまり、記憶が途切れている。そう伝えることにした。
それを聞いた魔王はふ~んと言いながら、何か疑わしそうな目をしていた。
「まあ、そう言うことにしておいてあげるよ。今のところは」
「私を無視しないでくれるかしら……?」
ガーネットは静かな怒りのオーラを放つ。
殺意で満ち溢れた顔だ。怖い。智乃さんが本気で怒ったらこんな顔するのだろうか。もう少し優しくするべきかもしれないな。
「無視はしてないじゃないか。封印石を持っていない僕に何の用かなぁ?」
こんな殺意丸出しであるというのに、魔王は全く気付かないくらい余裕な様子だった。
「私は封印石を返してと言ったのよ。今持っていなくてもあるのでしょ? 返すか返さないか、はっきりと言いなさいよっ!」
「返さないよ」
一秒の間もなく、魔王はそう答えた。さっきまでのようなふざけた口調とは違い、低く、真剣に、重みのある声。
その差に、恐怖で背筋が凍る。ガーネットも、僅かに顔を強ばらせている。
魔王のその声の裏には、何か、別の強いものが働いているのではないか。
「魔王、お前は何のために封印石を集めてるんだ?」
「君には関係ないじゃないか」
ギロッと、俺を睨む俺の顔。
心臓がドクドクと体中に響く。言えない……ようだった。
「僕の質問に嘘をつく君に、僕のことばかりを教えるわけにはいかないなぁ」
心臓がさらに音を大きくする。
気づかれていたのか。やっぱり。
俺のことをどこまで知っているのかは知らないが、本当のことを知っているようにも思えない。
俺が本当のことを言わないかぎり、魔王も口を割る気にはならないだろう。
「でも今はまあ、本当のことを言わなくてもいいよ? 僕も言うつもりはないからさ」
そう言うと魔王は今度はガーネットの前に立つ。
すると背中の真っ黒な色をした剣をさっと抜き出し、床に穴が空くほど突き刺した。
「あんまりしつこいと、君の大切な"友達"、殺しちゃうけど?」
見るからに年上のガーネットに向かって不敵な笑みをこぼす。
ガーネットの体は固まっていた。
手足が小刻みに震えているのがわかる。そして部屋の隅にいるユーナをみる。友達、というのはユーナのことなのか?
てっきり、家族か何かかと思っていたが、そうではないらしい。
何も言えないのか、歯を食いしばって今度は魔王を睨む。
「じゃあ、僕はこの辺で帰るよ」
そう言って魔王は何事もなかったかのように入ってきた窓の方へ歩く。
「待てっ!」
今まで何も声を出さなかったファイが、その叫びで魔王の足を止める。振り返る魔王は、少しめんどくさそうにため息をついていた。
「何? 僕もそんな暇じゃないんだよねぇ」
「ガーネット様の執事として、あなたを逃がすわけにはいきません! 私があなたを――――ぐはっ!」
ファイが言い終わらないうちに、魔王は目で追えない動きでファイの背後につき、背中を片足で蹴った。
ファイはそのまま凄い勢いで部屋の壁に叩きつけられる。魔王はファイのもとにまた一瞬で移動し手に持つ剣を背中向けになったファイの頭に突きつけ、ぎりぎりのところで静止させた。少しでも動けば、頭が引き裂かれてしまうほどの距離だった。
その行動に、俺たちは凍り付いた。
魔王は、想像をはるかに上回る強さだった。
10秒にも満たないこの出来事で、力の差を思い知らされた。
俺には、勝てない。どうあがいてもこいつには勝てない。絶望しか見えない。
ガーネットも同じことを思っているのだろうか?
たとえ封印石を取り返しても、魔王が本気を出せばすぐにまた奪うに違いない。次元が違う。強いのレベルを完全に超えている。
「これでわかったかなぁ? 僕を追いかけても、死人が出るだけだよ? ……それと」
剣をしまうと、何か言い忘れたかのようにガーネットの方に向きなおした。
「手元に封印石がないなら、他の持ってる人から奪うことをおすすめするよ」
「誰がそんなことっ……!」
「じゃあ、本当に帰るから。そろそろ僕の嫌いな人間が来そうだからね」
嫌いな人間……?
そう言うと魔王は窓からその姿を消していった。
「ファイっ……!」
ガーネットはすぐさまファイのもとへ駆け寄り、ファイの体を優しく起こした。
壁に叩きつけられたからか、眼鏡は割れ、顔は血まみれになっていた。ガーネットをその目で見つめている。
不幸中の幸いと言うのか、目は無事なようだった。
「ガーネット様。申し訳ございません。私が弱いばかりに」
「何を言ってるのよっ! あなたは弱くない……」
弱いのは私よ――と付け加えてから、ガーネットは治療するためファイを別の部屋に連れて行った。
残された俺は部屋の隅にぼーっと座っているユーナのところへ向かう。
「おい、大丈夫か?」
俺が声をかけると、ユーナは俺の方をみて「はい」と答えた。
その目は俺を見ているのか見ていないのか、光の灯っていない真っ暗な瞳だった。
さっきの大騒動をみても、なんとも思っていなかったのだろうか。こいつに、恐怖の感情さえもないのだろうか。
「ユーナ、お前はさっきの騒動、どう思ったんだよ」
聞いてみる。彼女は何を思ってそこに座っていたのか。確かに座り込んではいたが、俺たちのやり取りをみているようだった。
「どう、とは?」
「あ……いや、なんでもない」
なんとも思っていない。ようだな……。
あれだけのことがあって、それをずっと見ていて、何も思わないのは正直、不気味だ。
悪魔に取りつかれる前のユーナはどんな奴だったんだ。
「お前、どこまで感情がないんだ?」
「どこまで……。考える思考はありますが、嬉しい、悲しい、苦しいなどの感情がないだけです」
「ガーネットのことは好きか?」
「どちらでもないです。ただ、昔から優しくさせていただいているのは確かです。だから、早く私に取りついた悪魔を封印して、ガーネット様に迷惑をかけないようには、とは思っているんですけど」
この言葉が感情なのかそうでないのか、俺には理解できなかった。
ただ、人間らしい気持ちだということはわかる。
悪魔に取りつかれても自分の気持ちを持ってるってことは、元はそれほど感情豊かな奴だったのかもしれないな。
そんなことを思っていると、別荘の外へ繋がるドアが勢いよく凄い音を立てて空いた。
そして開けた本人は、俺の口にすることも嫌になる名前を叫ぶ。
「――ロミオくんっ! ……あ、あれ?」
そこには、剣を持ちながらきょとんとしているジュリが立っていた。
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