6 CARAT 向けられた刃は探し人で

「いない?」


「はい……。ホテルの方にも出て行った痕跡はないと言われて。私が、何かあの方の気に障るようなことを言ったのかもしれないんです」


「あの辺には魔王の顔をよく知る奴らばかりだし、一人行動は命を狙われる危険だってあるってのになあ。……とにかく、何か情報があったら連絡するよ。くれぐれも遅くまで歩き回るんじゃないぞ。ジュリちゃん」


「ありがとうございます! ブラウンさん」


 その日、夕に染まった空の下で、一人の少女が、息を切らしながら駆けていた。


 ―★―


「うぅ」


 頭が痛い。


 俺は頭を押さえながら、天井を見る。

 あのボロアパートの天井とは大違いの、整った綺麗な木の天井だ。うるさい大家の声も、ギシギシとする床の音も聞こえない。


 ――寝るたびに、異世界と現実世界を行き来する。


 決定的な証拠だ。ここは異世界で、俺は昨日はボロアパートで……。

 そうか。俺、ちゃぶ台に頭をぶつけて気を失ったまま寝てしまったのか。あんなところ見られたら桜木や智乃さんなら必ず笑っ――。


いや、待てよ?


 智乃さんもあの場にいたはずだ。無意識の間に俺が異世界に飛ばされるのなら、まさか智乃さん、その瞬間を……?

 考えるな考えるな。気にするな!今は、今のことを考えろ。こんなことを考えている暇ではない。


「なんというか、こんなおさらいをしているのは、この状況に目を背けたかっただけなんだが」


 デジャヴだ。


「きゃーへんたぁーい!」


「お、お前があ、あの有名なま、魔王かぁっ! 僕の彼女に手を出すなぁ~!」


 ぶりっ子な彼女と弱々しい彼氏に身体を固定されて捕まっている。ブラウンの話じゃ魔王には懸賞金がかけられているらしいし、こうされることに疑問は持たないがっ!


「俺は魔王じゃないっ! って毎回言わなきゃなんねーのかよ!」


 俺は必死に暴れまくって二人の腕をいとも簡単に振り払う。案の定、二人の力は運動を全くしていない俺にも及ばなかった。

 何が何だかわからないが、とにかくここにいるのはまずい。あの二人が俺のことを周りに知らせる前に、早くホテルから出なければ話にならない。

 ジュリは一人で魔王を探しているかもしれない。ジュリを探しださなければ……!

 俺は布を被ってとろい二人のカップルを押しのけて、すぐさまホテルを出た。

 ジュリから予備として借りた金を置いて。

 それにしても、ジュリから借りた金はどうやって返せばいいんだ?

 なんてことを考えてる暇もなく、俺はもうダッシュでその場を去る。追いかけてくる人影がないか後ろを確認した時だ。


 ――ドズンッ!


 い、痛っ!


 何かに吹き飛ばされ、ボロボロになった体を起こすと、目の前の馬?が俺のことをじっと睨んでいる。

 後ろに屋根のない大きな、人が座れる席があるから、これは馬車……なのか?


「ちょっと! どこを見ているの? あなた」


 偉そうな女の声がすると思えば、そのソファのようにやわらかそうな席に堂々と座る女がいた。

 なんか、見覚えがある顔立ちのような。


「智乃さん?」


 アップでまとめられた髪は真っ赤だし、ドケチ大家とは比べ物にならないくらいセレブな真っ赤なドレスを着ているが、顔は智乃さんと一瞬間違えそうなほど似ている。


「誰のことかしら?  私はガーネット・エメラルドよ。まったく、せっかくこの町に手掛かりがあると思って来たのに、こんなところで時間を使うなんて。どうしてくれるのかしら?」


 手掛かり?

 なんかこの人の雰囲気、智乃さん以外で見たことあるような……?


「ガーネット様。思わぬ収穫かもしれません。この顔、思い出してください」


 執事っぽい若い男が、メガネをくいっとあげながら、俺の布をとる。さらさらした青くて清潔な髪、真面目そうな顔立ち、まるで智乃さんが前の前の前付き合っていたという彼氏のようだ。……いや、前の前の前の前だっけか。


「あ、あなたは……!? 魔王だわ!」


 ガーネットと呼ばれる女は、俺を見た瞬間表情に怒りを浮かべた。

まさかこいつら、魔王を探して……?

 これはまずい。身体が痛んでろくに動けないこの状況で、どうやって逃げる?そもそも、俺は魔王じゃないから逃げる必要もないはずなのに、何か悪いことでもしているようなこの感覚をどうにかしたい。


「封印石をどこに隠しているの? 一刻も早く、ユーナの呪いをときたいのよ! お金ならいくらでもあるから、封印石を渡しなさい!」


 渡したら逃がしてあげる――と言い、手を俺の方に突き出す。


 封印石、ユーナ、呪い……。


 そうか、この人、俺たちが探していた、水晶が見せた魔王の記憶と同じ人なのか?

 俺はもう一度馬車の席を見る。よく見るとガーネットの隣に10歳くらいの女の子が座っている。

 肩まである緑の髪が、風と共になびいているのに、彼女の体は必要に動こうとしない。こんな事態であるというのに、その目は何も見ていない。その目には何も映っていない。


「ユーナ。必ず、あなたを呪いから救ってみせるから。待ってなさい」


「はい」


 ガーネットの言葉に、彼女は何の感情も見せずに答える。ガーネットの目を見ているようで、見えていないような、そんな、意味のない視線を、彼女はガーネットに向けている。

 なんとなく、わかった気がした。

 ロボット。と言われていたその意味を。


 ――彼女は悪魔によって感情を失っている。


 ガーネットは馬車から降り、俺の顔をまじまじと見つめる。顔が近い。ただでさえドケチ大家に似てるから余計勘弁してほしいというのに。

 こ、これだけこの顔でみつめられるとぶっ叩きたくなるが、この人は明らかに俺よりも強そうなので、それはできなかった。というか、智乃さんにもぶっ叩いたことは一度もないが。


「あ、あの、人違いです。顔が似てるだけで」


「今しっかりと見て確認させてもらったわ! あなたは紛れもなく魔王よ。今更人違いなんてあきらめが悪いわねっ」


 ガーネットは手に持つナイフを俺の鼻の先に当たりそうなくらい近づけて突きつけた。

 少しでも動けば、このナイフで顔が切り裂かれるだろう。そのほうが、今の俺にとっては魔王に間違われなくていいかもしれんが、桜木に説明するのが面倒になる。

 あんなまじまじと見ておいて、まだ魔王だと言っているのか。


「ファイ。この者を用意しておいた別荘まで運びなさい」


「かしこまりました。ガーネット様」


 ファイ。この若い執事のことか。

 じゃないっ!俺はどこへ連れてかれるんだ⁉一刻も早く、ジュリのところへ行かないといけないってのに!

 ここはもう、すきをみて逃げるしか。


「逃げる気ですか。その状態で」


「――っ!」


 身動きが取れない……⁉ 体が全く動かない。まるで金縛りでもあったかのように、体のどこに力を入れても、声を出そうとしても、その体は動く感覚が全くない。

 必死に目だけを動かすと、何やらファイが魔法を使ったようだった。そういえば、この世界では魔法という概念があるんだな。


「……何か、妙ですね」


 ガーネットに聞こえない声で、ファイは呟く。


 ―★―


「質問にきちんと答えなさい!」


「いやだから、きちんと正確に答えてるだろっ! 俺は魔王と似ているだけで、魔王じゃない! お前らとは初めてあったし、封印石も持っていないし、むしろ俺は魔王を探している立場なんだ!」


 俺とガーネットは別荘?と言っていいのかもわからないくらい大きな家で、終わるに終わらない会話を永遠とループし続けていた。

 部屋は真っ暗だが、カーテンの隙間から、かすかに窓の光が差し込む。その光がちょうど目に当たってまぶしい。熱い。

 体はきつく縛られているし、ガーネットのナイフは相変わらずギリギリの位置でとどまっている。


「何度言わせるの? 本当のことを言いなさい! 封印石はどこに隠したのよっ……。お願い。悪魔からユーナを守れなかったのは私。でも、それを救うことができるのは封印石だけなの」


 ガーネットは声を震わせる。

 ユーナは部屋の隅に座り、光のない目は特に意味のないところをじっと見ている。感情を失った少女。彼女を助けることができるのは、封印石の力だけ。

 それをようやく手に入れたのに、あっさりと魔王に盗られてしまったのだろう。


「だったら、こんなことやってないで、早く本当の魔王を探し出せよ。こうしてる合間に、ジュリは」


 今も魔王を探しているのだろうから。


「ガーネット様。彼の荷物から小さな小袋が見つかりました。封印石ではないようですが」


「そう。出しなさい」


 小袋って、水晶のことか・・・!?


「ま、待てっ!」


 俺が叫んだ時にはもう遅く、ファイは水晶を取り出そうと、小袋の中に手を入れる。

 瞬間、ビリッと電気が走り、ファイの体をまとった。そして声も出さず、その場うつむいて立ち尽くす。

 水晶の入った小袋は、そのまま下に落ちた。小袋の中が青く光っているのがはっきり見える。


「ファイ! ……魔王、何をしたの!?」


「あの水晶は、別のところにいる魔王の記憶を、触れた奴の体を使って再現するんだ」


 怒りを抑えきれず声を荒らげたガーネットに、俺は仕方なく説明をした。信用度ゼロの俺が。

 そんなことをしていると、ファイの体が動き出す。


「わたしたちのホテルにいたじゃなぁい。なんでそんなとぼけた顔をするのぉ~? へんた~いっ!」


「え」


 ガーネットは、とんでもなく気味の悪いものを見たように顔をひきつらせた。

 な、なんだ。俺もすごく、気持ちが悪い。吐きそうなくらいに。

 目の前の若い青年は、ぶりっ子全開で喋り出したかと思えば、動作をピタリとやめ、ハッと意識を取り戻した。


「う……私は一体……。ガーネット様、どうなされましたか?」


 ガーネットは、ショックなのか驚きなのか、しばらく固まっているし、この間に少し整理をするか。

 やっぱり、ファイも桜木やジュリのように、水晶を触ったあとの記憶はないんだな。

 そして、あのぶりっ子、どこかで見た気がする。ホテルって言葉にもひっかかるし。

 

 ってまさかっ!?


「おい! 本当の魔王が、この町にいるかも知れない! 俺がさっき会った奴らの記憶を、魔王が持っていたんだ!」


「うるさい! 魔王はあなたでしょう!?」


 ガーネットは突きつけていた刃を前に出す。

 刃先が俺の鼻に当たりそうになり、咄嗟に避ける。


「あんなに気味悪いものを見せられて、どうしてくれるのよっ!」


「おかしい……。凄く心が痛むのですがなぜでしょうか。ガーネット様」


 ファイが得体の知れないショックを受けたように胸をおさえる。

 こいつが言った、ホテルにさっきまでいた……と言えば、たぶん魔王じゃなく俺だ。ぶりっ子女と頼りない彼氏、あの弱々カップルの部屋で、俺は目覚めた。

 魔王の記憶は、かなりリアルタイムかもしれない。何をしに来たのか、そんなことを考えてる暇はない。

 魔王は町中、いや国中で広まっているらしい大物だ。そんなやつが堂々と道の真ん中にいれば、ジュリは必ずそこへ行く。俺は、こんなことをしてる場合じゃない。


「俺を縛ったままでいい。だから今すぐ町中に行くんだ!」


「ガーネット様。彼の言葉が嘘とは限りません。一度、信じてはみませんか? 魔王とも呼ばれる人が、簡単な魔法にかかるはずがないと考えています」


 ここへ連れてくる前、魔法をかけて妙だと言ったのはそういうことだったのか。

 ジュリもそんなようなことを言っていたし、魔王の力は甘く見ていいものではないのだろう。


「いいえ。その必要はないわね」


 ガーネットはさっきまで向けていたナイフの刃を窓の方に向けながら、強ばらせた表情を隠してそう言う。

 いつの間にか、目に当たっていた眩しくて熱い日の光は塞がれ、消えていた。  真っ暗な部屋の中で、人影が窓の光を塞いでいることがわかった。暗闇に慣れていないせいか、はっきりとしか顔は見えなかった。

 そして、この目が、暗闇に溶け込んだころ、俺は、目の前の恐怖に、体が震えていた。


「へぇ。君が僕のそっくりさんかぁ」

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